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綿矢りさ『かわいそうだね?』ネタバレ感想――彼氏と元カノが同棲!?辛くイタい三角関係

※この記事には、綿矢りさ著『かわいそうだね?』のネタバレがあります。

 

綿矢りさ『かわいそうだね?』を初めて読んだときは、主人公の樹理恵にひたすら感情移入しながら読んでいた。

 


彼氏・隆大の元カノ・アキヨの行動に憤慨したし、樹理恵が終盤に感情を爆発させて大立ち回りを演じているシーンには爽快感を感じたし。あと、隆大。この自分勝手な優柔不断男め!


爽快感は感じつつも、結局隆大の隣に残ったのがアキヨだったのを不満にも感じたものだった。アキヨの思惑通りになるなんて!ああ、悔しい。

 

ただ、何回もこの話を読んでいるうちに感じることが変わってきた。樹理恵も言っていたが、そもそも樹理恵と隆大には絆が構築されていたのだろうか?
アキヨは愛し合う二人を引き裂いた、どあつかましい悪女なのだろうか?

 

 

 

健気に尽くす女・樹理恵

『かわいそうだね?』のあらすじは以下の通り。

 

 

緊急事態に彼はどちらを助けるんだろう――私?それとも元彼女?28歳の樹理恵は無口だけど頼れる彼氏・隆大との交際が順調、百貨店での仕事も順調で幸せな日々。ところが彼が、無職で家賃が払えなくなった元彼女・アキヨを助けるため自宅に居候させると切り出したことで暗雲が……。彼が好きなのは私だって言うけれど!?


引用元:作品について|綿矢りさ『かわいそうだね?』|文藝春秋|特設サイト

 

 


現在付き合っている彼氏のもとに、彼の元カノが居候する。
これは由々しき事態だ。大丈夫、私気にしないです、と言える女性なんているんだろうか。
だが、我らが主人公・樹理恵は戸惑いながらも、この事態を受け入れる。隆大と別れたくないから、異常事態に疲弊している隆大を支えたいから、樹理恵は健気なまでに受け入れるのだ。

 

そもそも、樹理恵は隆大に対して従順すぎるほど従順だ。
嫌煙家の隆大のために大好きな煙草をやめる。隆大が大阪弁を嫌っているから、大阪出身にもかかわらず大阪弁を封印し、標準語で喋る。


隆大に喜ばれるような彼女になるのが、樹理恵の行動原理なのだろう。なにしろ樹理恵は隆大にベタ惚れなのだ。目立つ存在ではないが頼りになり、樹理恵をエスコートしてくれる。身に危険が迫ったときには、さっと助けてくれる、樹理恵のヒーロー。ヒーローのために、樹理恵は自分自身を取りつくろう。

 

隆大に対して理想の彼女を演じる樹理恵は、さらに別の顔も持つ。勤務するデパートのブランド服売り場では、頼り甲斐のある先輩として慕われている。
デパート店員としての顔も樹理恵の中では重要なウェートを占めており、忙しいセール期間中には自宅にいても販売員の声が幻聴として聞こえてくるほどだ。

担当するブランドの服に身を包み、営業用のフルメイクで武装する。樹理恵には隙がない。

 

 

樹理恵と対照的なアキヨ

対してアキヨは樹理恵より年上の30歳。だが、安物の服をまとい、髪の手入れも怠り、メイクも薄い。ふわふわとしたとらえどころのない、年齢不詳な人物として描かれている。
初めて会ったときに彼女がミルフィーユを食べもせずにつつき回している様子は、成人の女性と言うより、幼い少女のようだ。樹理恵がファミレスのウェイターの目を気にして、パフェひとつ頼むのも躊躇っていたことを考えると、本当に対照的な二人だと思う。

 

かつてアメリカで暮らしていた隆大は現地の大学でアキヨと出会った。交際期間は長く、七年にも及ぶ。別れてしまったのは、隆大が日本に帰ってきたのがきっかけだ。アキヨはついて来てくれたのだが、日本に帰ってきた途端に好きだと思えなくなったのだと彼は語る。

 

別れたものの隆大はアキヨと連絡を取り合い、樹理恵との交際を始めた際には隠さずに報告し、さらには樹理恵とアキヨを引き合わせたりもしている。アキヨも樹理恵に対して屈託がなく、気にしている様子もない。
飄々としているようでいて、弱さも感じさせる。

 

 

 彼女を見ていると、隆大が彼女を愛したわけも、彼女と別れたわけもなんとなく分かる気がした。アキヨさんにはなにか、圧倒的にとぼしいところがある。
(中略)
 守ってあげたくなる保護欲は存分にかきたてられるし、おとなしいから邪魔にはならないが、ずっといっしょにいるとみじめな気分になるオーラが出ている。


引用元:綿矢りさ『かわいそうだね?』(文藝春秋)

 

 

アメリカにいたときはアキヨのオーラも気にならず七年間も交際し続けたのに、日本に帰ってからは「魔法が解けたみたいに」好きでなくなる。子どもの頃から長い間アメリカで暮らしていた隆大は、日本では陸に上がった魚だ。ありのままに振る舞おうとしても、「ここは日本だから」と受け入れてもらえない。自分を取り巻く環境の変化と共鳴するように、アキヨへの気持ちも変化してしまったのかもしれない。

 

 

現実逃避の末に

さて、アキヨが家賃滞納で家を追い出され、隆大の家に居候として越してきた。期限は彼女が東京で新たな職を見つけるまで。
せっかく日本までついて来てくれたのに振ってしまった罪悪感もあってか、隆大はアキヨを助けたいと言う。樹理恵がもし嫌だと言うのなら、別れることも辞さないという姿勢だ。


樹理恵だけのヒーローだった隆大は、アキヨのヒーローにもなってしまった。
もし大地震のような災害に襲われたとき、隆大は樹理恵ではなく、か弱いアキヨを助けるのではないか。阪神大震災を経験した樹理恵は、隆大に助けてもらえず、己の力でサバイバルする自分を思い浮かべてしまうのだ。


先述の通り、樹理恵は健気に現状を受け入れることにする。アキヨがいるから、隆大の部屋を訪ねることもできない、電話も嫌がられる。自分は正式な彼女なのに、不倫相手のような扱いを受けている。早くアキヨには職を見つけて出て行ってもらいたいが、彼女の就職活動は順調と言いがたい。

 

自分を納得させる言い訳として、樹理恵は「隆大とアキヨはかわいそう」だと思うようになる。かわいそうだから支えなければ。
この言い訳を補強するのが「隆大とアキヨはアメリカ育ち」という点である。キリスト教文化圏で、日本とは習慣も違う。樹理恵には理解しがたい今の状況も、アメリカ人から見れば普通のことなのだろう。樹理恵は自分に言い聞かせる。


それでも今の状況は我慢できるものではない。樹理恵の中には不安が満ちている。もし焼けぼっくいに火がつくようなことがあれば。何しろひとつ屋根の下なのだ。
本編中に樹理恵は二度、隆大のアパートに突撃をする。一度目の突撃で見たのは、隆大用、アキヨ用のスペースに分かれた部屋の様子だ。きちんと一線を引いて暮らしているとアキヨから説明され、樹理恵はひとまず安心する。

 

しかし、不安は完全に消えない。隆大との会話から、微妙に距離が近づいていく二人の様子を嗅ぎ取ってしまう。耐えきれなくなった樹理恵は、とうとう隆大の携帯電話を手にし、メールをメールフォルダを覗き見てしまう。フォルダの中にはアキヨからのメールで溢れかえっていた。

 

 

From アキヨ
〈昨日どうしてずっと黙ってたの??
 お風呂も自分が入ったあと、先に流しちゃうしぃ。
 大人げないぞっ〉

(中略)

From アキヨ
〈昨日の夜は、勝手にふとんのなかに入ってごめんね
 いっしょにいるのに離れて眠るのが、さびしくって。
 だって、なんか変なんだもん。
 りゅうちんもほんとは、そう思ってるでしょ?
 でもずっと頭をなでてくれてありがとう〉


引用元:綿矢りさ『かわいそうだね?』(文藝春秋)、顔文字は省略

 

 

樹理恵は愕然とする。隆大とスペースを分けて暮らすというルールをいけしゃあしゃあと破るアキヨの姿。そして、樹理恵の知らない隆大の姿。
樹理恵の考える頼もしい隆大の姿と違い、アキヨにとっての隆大は「大人げない面、脆弱な面を持ち合わせた男・りゅうちん」なのだった。


顕在化された問題

樹理恵は二度目のアパート突撃に出る。
すでに隆大の部屋は二人のスペースの境界がなくなり、隆大のスペースをアキヨの荷物が侵蝕していた。さらには鴨居に恥ずかしげもなく干されたアキヨの下着。それが引き金となる。

 

 

 頭のなかで、なにかがつながる音がした。
 普通、人は急激に頭に血がのぼったとき“キレた”や“ぶちギレた”などの言葉を使う。でも私はつながった。いままで故意につなげずにおいた線が、遂につながって電流が行き渡り、充電完了。


引用元:綿矢りさ『かわいそうだね?』(文藝春秋)

 

 

目をそらしてきたが、それも限界に来て、樹理恵は暴発する。アキヨの前で大暴れをし、帰宅した隆大に対し、罵声を浴びせる。

 

 

「なにが冷静になれ、や。そんな言葉しか思い浮かばへんのか。アキヨ、安心しろ。こんな男なんか、くれてやる」
 ああ、くれてやるもなにも元から私のものではなかったのに。彼氏彼女と呼び合う関係に、いったい何の意味があったのだろう。誰と誰の心が深くつながっているかに呼び名なんて関係ない、あるのはいつも、抗いがたい引力と、視線を交わしたあとのさりげない微笑みだけ。


引用元:綿矢りさ『かわいそうだね?』(文藝春秋)

 

 

 

冒頭で「そもそも樹理恵と隆大には絆が構築されていたのだろうか?アキヨは愛し合う二人を引き裂いた、どあつかましい悪女なのだろうか?」と提示させてもらった。

 

残念ながら、樹理恵と隆大は、お互いに自分の本当の姿を見せていなかったし、相手の表面だけを見て、別の顔があるのだと考えようともしなかった。
アキヨは二人を引き裂く要因ではなく、あくまで最後の一押しでしかなかった。

 

樹理恵はようやく取りつくろった姿を捨てた。地震の揺れに見舞われても、もはや彼女は助けてもらえない自分を気に病んだりしない。

 

 

 いまは一人。心細くないと言ったら嘘になる。でも「大変なときは、一体だれが私を助けてくれるのだろう」とやきもきしていたころに比べれば、なぜか心の負担が少ない。ちょうど正しくきっかりと、自分の命一つ分だけの重みが、手のひらに載っかっている。


引用元:綿矢りさ『かわいそうだね?』(文藝春秋)

 

 

取りつくろった姿を捨ててもなお、樹理恵の自己実現は終わったわけではない。作中でも樹理恵が言及しているように、この先絶望とひとりで対峙しなければならない。それでも樹理恵は立ち向かう覚悟を決める。

ひとり残された部屋の中、樹理恵は煙草を吸い、故郷の言葉で「しゃーない」と呟く。
本来の自分を取り戻す準備はできた。次に誰かを愛するとき、今度こそ樹理恵は幸せになるのだと信じたい。

 

 

 

余談。河合隼雄著『無意識の構造』と絡めてみる。

 

本文中にどう組み込めば良いかわからなかったので、余談として。
いつからだったかは忘れたが、『かわいそうだね?』を読んでいると、河合隼雄著『無意識の構造』の一節を思い出すようになった。

 

これはユング心理学における「無意識」という概念について説明した本である。人の心には意識の部分と、そうではない無意識の部分がある。

 

 

無意識
フロイトによって創始された精神分析学の基本概念。無意識の概念は、人間の理性や意識がそのコントロールを超えたものによって支配されていることを示し、人間は理性的であるとした近代的人間像や意識を重視する哲学に大きな衝撃を与えた。まずフロイトは、身体に異常がないにもかかわらず歩けない等の症状が現れるヒステリー患者の治療を通じて、患者のうちに本人が認めたくない欲望があることに気づいた。心には、かなえられなかった欲望が意識に上らないよう抑圧されている。この抑圧された欲望が「無意識」とされ、ヒステリーの原因と考えられた。


引用元:無意識とは - コトバンク

 

 

ユング心理学では、無意識は個人的無意識と集合的無意識に分類される。

 

 

個人的無意識(こじんてきむいしき)とは、個々の人間に固有な無意識であり、集合的無意識の対語である。個人の人生の過程と関連した不快な記憶や情動、感情を混乱させる幼児期の外傷体験や原始的な本能を抑圧する領域であると同時に、幸福な記憶、芸術的な体験、創造活動の材料の宝庫ともなる、人間の心的活動の大部分を支配する、広大な活動領域である。


引用元:個人的無意識 - Wikipedia

 

 

 

 

 

集合的無意識(しゅうごうてきむいしき、ドイツ語:Kollektives Unbewusstes、英語:Collective unconscious)は、カール・グスタフユングが提唱した分析心理学における中心概念であり、人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域である。


引用元:集合的無意識 - Wikipedia

 

 

私事ではあるが、とある歌が苦手だ。いい歌だと思うのだが、聴いていると不安になってしまう。おそらく過去に私がブラック企業に勤めていたとき、通勤時にウォークマンで聴いていたためだろう。ブラック企業での辛い経験とその歌が私の個人的無意識のなかで紐付けられ、今でも聴くたびに私を不安にするのだ。もちろん、アーティストには何の責任もない。本当にいい歌なのだから!
これはあくまで私の個人的無意識の話だから、ほかの人がその歌を聴いて不安になることはない。

 

それとは異なるのが集合的無意識で、個人を超えて存在している。集合的無意識の概念を基にして生まれたのが「元型」という概念だ。

 

 

 われわれ人間は、その無意識の深層に、自分自身の母親の像を超えた、絶対的な優しさと安全感を与えてくれる、母なるもののイメージをもっている。それらは外界に投影され、各民族がもっている神話の女神や、崇拝の対象となったいろいろな像として、われわれに受けつがれている。ユングはそれらが人類に共通のパターンをもつことに注目し、母なるものの元型が人間の無意識の深層に存在すると考えた。


引用元:河合隼雄著『無意識の構造』 中央公論新社

 

 

上に引用した母なるものの元型は「グレートマザー」と呼ばれる。元型は他にも種類があり、主なものは以下の通りだ。

 

 

自我(エゴ)- 意識の中心であり、個人の意識的行動や認識の主体である。意識のなかの唯一の元型。
影(シャッテン)- 意識に比較的に近い層で作用し、自我を補完する作用を持つ元型。肯定的な影と否定的な影があり、否定的な場合は、自我が受け入れたくないような側面を代表することがある。
アニムスとアニマ - アニムスは、女性の心のなかにある理性的要素の元型で、選択的特徴を持ち、男性のイメージでしばしば認識される。他方、アニマは、男性の心のなかにある生命的要素の元型で、受容的特徴を持ち、女性のイメージでしばしば認識される。ラテン語では、同じ語幹から派生した名詞の男性形と女性形、つまり、animus と anima が、前者は「理性としての魂」、後者は「生命としての魂」の意味があり、この区別を巧みに利用して、ユングはこの二つの元型の名称を決めた。(アニマとアニムスは総称して、「シュツギー」とも言われる)。
太母と老賢者 - 太母は、自己元型の主要な半面で、すべてを受容し包容する大地の母としての生命的原理を表し、他方、老賢者は太母と対比的で、同様に自己元型の主要な半面で、理性的な智慧の原理を表す。
自己(ゼルプスト)- 心全体の中心であり、心の発達や変容作用の根源的な原点となる元型。宗教的には「神の刻印」とも見做される。


引用元:元型 - Wikipedia

 

 


さて、私が『かわいそうだね?』と重ねて見たのが、河合氏が女性にとっての自我、影、アニムスについて考えるための例として、『お伽草子』の中の一篇『磯崎』について取り上げた部分だ。

『磯崎』とは

 

 

下野国日光山の麓に住む磯崎殿の本妻が、後妻の「新し殿」に嫉妬し、鬼面を付けて「新し殿」を害してしまうという物語である。


引用元:國學院図書館 Digital Library

 

 

河合氏は、本妻を「夫によく仕える、典型的な主婦」「外面に向かって、ひたすら当時の規範としての三従の美徳に生きていた」「彼女の生き方はペルソナと自我が一致するような生き方であった」と評する。
まずこの点で、樹理恵が本妻と重なるのである。
樹理恵のペルソナも強固だ。隆大のために好きなもの、獲得した言語を押し殺して、理想の彼女を演じる。また、デパート店員としてのペルソナも顔にべったりと張りついている。それがことさらに現れているのが、アキヨの前で暴れるシーンだ。

 

 

「どないせいっちゅうねん!」
 ああ、そうおっしゃってたんですね、あまりに強く、まくしたてられたので、気づきませんでした、お客様もしかして関西のお生まれなんですか? 偶然、私もなんですと頭のなかで接客しているうちに、私はテーブルの湯呑みを手でなぎ倒していた。


引用元:綿矢りさ『かわいそうだね?』(文藝春秋)

 

 

アキヨを罵倒している最中でも、頭のなかにデパート店員としての樹理恵が現れてくる。樹理恵の生き方も、ペルソナと自我が一致する生き方と言えるだろう。

 

河合氏は本妻について、こう続ける。

 

 

 彼女の生き方はペルソナと自我が一致するような生き方であった。そのため、彼女が夫の浮気を契機として内面に向かうことを決意したとき、彼女は内面に向かうのに、むしろ仮面を必要としたのであった。(中略)ここに、この物語における仮面のパラドックスが存在していると思われる。


引用元:河合隼雄著『無意識の構造』 中央公論新社

 

 

本妻は鬼の面を付けて後妻のもとに向かった。では、樹理恵は何の面を付けていたのか。

 

 

 隆大は大阪弁が嫌いだった。(中略)
 が、ついに今日、解き放たれてしまった。でも意外なことに口からほとばしり出る大阪弁は、かつて私が地元にいたときに使っていた言葉ではなく、吉本新喜劇のちんぴら役の男性が使う大阪弁で、こんな言語が自分にあらかじめ搭載されていたことを、私は今までずっと知らなかった。


引用元:綿矢りさ『かわいそうだね?』(文藝春秋)

 

 

樹理恵が付けた面とは吉本新喜劇のちんぴらだった。
「アホか」と思われているかもしれないが、さらに続ける。

 

河合氏によれば、後妻は本妻の影である。

 

 

 彼女の覗き見た絶世の美人、だれからも恋されるほどの女こそは彼女の影であった。(中略)このあまりにも日常的な女性にとって、その影はこの世ならぬ美しさをもつ存在であった。


引用元:河合隼雄著『無意識の構造』 中央公論新社

 

 

また、夫には二重の役割がある。

 

 

 …彼女の日常的に接する夫は外界の代表そのものであり、彼女の影である美人が待ちこがれている男、すなわち夫は、非日常的な空間に存在する測りがたいなにものか、つまり、彼女の心の深層に存在するアニムスである。


引用元:河合隼雄著『無意識の構造』 中央公論新社

 

 

ここで後妻をアキヨ、夫を隆大に置き換えたい。また、夫の役割のうち「外界の代表そのもの」が「樹理恵の彼氏としての隆大」であり、「彼女の心の深層に存在するアニムス」が「アキヨの愛するりゅうちん」である。

 

河合氏は『磯崎』を取り上げた節の結論部分にて、こう言及している。

 

 

 人は影を通じてアニマ(アニムス)と接触できる。ここで、女房がなすべきことは、自分の影の統合によって、いかにアニムスと接触をはかるかということであった。しかし、それは彼女にとってあまりにもむずかしいことであり、彼女は影を殺して自ら鬼となるより仕方がなかったのである。


引用元:河合隼雄著『無意識の構造』 中央公論新社

 

 

これを踏まえると、樹理恵はアキヨを通じてアニムスに接触できたことになる。『磯崎』の本妻は影の統合がはかれず、後妻を殺すという結末に終わった。だが、樹理恵には希望がある。
隆大の決裂した後、彼の部屋にひとり取り残された樹理恵はたんすの中に隠されたアキヨの煙草とライターを見つける。

 

 

 …偶然、私の好きな銘柄。気が合うね、私たち。おなじ男も取り合ったしね。私に興味がないと言ったときの、アキヨのあの瞳。彼女があれほどの覚悟で人生を生きていると以前から知っていれば、なにか変わったかもしれない。


引用元:綿矢りさ『かわいそうだね?』(文藝春秋)

 

 

アキヨの煙草を吸い、喜びを感じる樹理恵の姿に、不完全かもしれないが影との和解を感じた次第である。