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『タクシー運転手 約束は海を越えて』ネタバレ感想――小ずるいおじさんが、皆の希望を背負った英雄へと変わる

※注意!『タクシー運転手 約束は海を越えて』のネタバレあり

 

 韓国映画がすごいと言われるようになって久しい。
実際、韓国映画を見ると、ドラマチックなストーリーに心だけでなく脳みそまで揺さぶられるし、演出もハイクオリティだし、俳優たちの演技にも引き込まれる。
何より、韓国映画には観たあともしばらく映画の世界から抜け出せなくなる魔力がある。あーでもない、こーでもないと考えずにいられない作品が多いのだ。

いや、本当にすごい。韓国映画に所謂クソ映画ってあるんだろうか。海外に輸出されていないだけで、目も当てられないような作品もあったりするのかしらん…

いかん、脱線した。


そんな韓国映画の中でも私が特に好きなのが『タクシー運転手 約束は海を越えて』。
史実を基にした重厚なストーリー、シリアスとコメディのバランスの良さ、愛すべきキャラクターたちと、大好きな要素が揃っている。
特に好きなのが終盤の展開の熱さである!
初めて観たとき、エンドロールが流れる中、私は「何て熱いんだ…」と呟きながら、男泣きをしたものだった…。

 

 

 

 

小狡いおじさん・マンソプ

 

あらすじは以下の通り。

 

 

ソウルのタクシー運転手マンソプは「通行禁止時間までに光州に行ったら大金を支払う」という言葉につられ、ドイツ人記者ピーターを乗せて英語も分からぬまま一路、光州を目指す。何としてもタクシー代を受け取りたいマンソプは機転を利かせて検問を切り抜け、時間ぎりぎりで光州に入る。“危険だからソウルに戻ろう”というマンソプの言葉に耳を貸さず、ピーターは大学生のジェシクとファン運転手の助けを借り、撮影を始める。しかし状況は徐々に悪化。マンソプは1人で留守番させている11歳の娘が気になり、ますます焦るのだが…。

引用元:映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』公式サイト

 

 

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実際に韓国で起こった「光州事件」を題材に、民主化のため軍事政権に抵抗する光州の人たち、彼らと出会い光州事件に巻き込まれていく主人公たちの姿が描かれている。


光州事件については以下のページを参照されたい。

ja.wikipedia.org

この作品以外にも光州事件を扱った韓国映画は多く、それだけ韓国近現代史にとって大きな出来事だったのだと感じさせられる。


主人公はソウルのタクシー運転手・マンソプ。
彼は小狡く、自分勝手で、さらに器も小さい。所有するタクシーの車体を傷つけられることを嫌い、うっかりぶつかりミラーを折った青年を罵倒する。ミラーの修理に行った先で修理費をケチり、業者に嫌な顔をさせる。滞納した家賃分の金を得るため、ほかのタクシー運転手が受けた仕事を横取りする。

長々とけなしてしまったが、マンソプ役のソン・ガンホ氏の演技の巧みさや、要所要所で見せる人情の厚さから、不思議と憎めない。愛すべきおじさんだ。


マンソプは家賃の滞納を大家の妻に責められ、早急に滞納分の10万ウォンを得る必要に迫られる。
折良く10万ウォンの仕事にありついた同業者の話を聞き、彼の目を盗み、クライアントのもとへ向かう。

報酬10万ウォンの仕事は、「ドイツ人記者ピーターを光州まで連れて行くこと」。
同業者を出し抜いて高額報酬の仕事を得られたマンソプはご機嫌だ。


だが、そう上手くことは運ばない。
光州に入る前から、不穏な兆しが見え始める。光州への道にいくつも置かれた検問所、物々しい雰囲気の軍人たち。
近郊の老人からご丁寧に「光州には入るな」との忠告も受けるが、マンソプたちは軍人を欺き、光州に乗り込む。

 

 

光州の異常な光景

光州には戒厳令が敷かれ、ゴーストタウンのような雰囲気である。序盤の舞台ソウルでは、学生デモはあるものの、人々が平穏に暮らしている様子が描かれていた。人通りのない街道にアジビラが撒き散らされている光州の様子は、ソウルのそれに対して異様だ。

ただならぬ街の様子にマンソプは帰りたそうな表情を見せ始める。さっと用事を済ませて帰りたいのだろうが、民主化運動の学生たちに出会い、彼らに同行することになったりして、どうも思惑通りに行かない。
この際にピーターや学生たちの目を盗み、マンソプが逃げ出すシーンがある。さすがマンソプ、小狡いぞ。それでも途中で老婆に助けを求められ、結局見捨てられずに彼女の力になるあたり、やはり愛すべきマンソプである。


小狡いマンソプに、ピーターや学生たち、たまたま遭遇した光州のタクシー運転手たちは憤慨する。特に光州の運転手たちにとっては、前金をもらっておきながら客を置いて逃げようとするマンソプは、運転手の風上にも置けない人間だ。
とにかく前半のマンソプは、ピーターだけでなく光州の人たちとも軋轢を生じさせている。通訳を買って出た学生ジェシク、光州の運転手たちのリーダー格テスルが比較的マンソプに優しいのが一服の清涼剤だ。


光州に入って以降、いやな思いばかりしていたマンソプだが、やがて光州の人たちの親切を受け、考えを改めていく。
光州の実情を撮影し、世界に広めようとするピーターを、人々は歓迎する。マンソプもピーターを運んできたということで、人々から好意的な視線を受ける。そんな中、女性からおにぎりをもらい、ほくほく顔である。光州のある全羅道のご飯はおいしいことで有名なのだとか。


直後、マンソプは市民と軍隊の衝突に巻き込まれる。そこで怪我をした先ほどの女性を目にする。光州の状況が他人事ではなくなり始めた瞬間が、ここだったように私は思う。

 

 

わだかまりを捨て、打ち解けるマンソプたち

その後、タクシーの故障によってピーターと共にテスルの家に泊まることになる。
テスルの妻の手料理を口にするマンソプ、ピーター、ジェシク。
険悪な仲だったマンソプとピーターも、共に食卓を囲むことで距離が近づいていく。
おにぎりの女性とのエピソード、無償でマンソプのタクシーを修理する光州の運転手たち、ソウルでひとり残された娘・ウンジョンを心配するマンソプに寄り添うテスル。光州の人たちの優しさに触れるシーンが積み重なり、マンソプの光州に対する思い入れが、この食卓のシーンで花開く。

食事のあと、ジェシクの歌で皆が盛り上がるシーンは、マンソプたちの間にあった壁が完全に取り払われたのがはっきりと分かり、観ていて本当に楽しい。


ここでジェシクが(音程を外しながら)歌っているのは、「ナオットケ(私どうしよう)」という曲。1977年にセンドゥぺブルーズが、1978年にサヌリムが歌ったらしい。競作なのかサヌリムがカバーしたのか、詳しくないのでわからず。
光州事件が起こったのが1980年。
「ナオットケ」は同じく光州事件を描いた映画『ペパーミントキャンディー』でも歌われているので、この時代を代表する歌だったのかもしれない。

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※センドゥぺブルーズ版。結構クセになるメロディーだと思う。


知ったかぶり蘊蓄終わり!詳しい人に間違いを突っ込まれたらどうしようと、今ヒヤヒヤしている。
それはさておき、ジェシクの歌のシーンはちょうど映画の半分に来たところにある。物語の半分をかけて、自己中心的だったマンソプが、ピーターや光州の人たちに対する思いやりを持ち始めた。もう光州での民主化運動は他人事ではない。

 


ひとり娘・ウンジョン

だが、マンソプにはもうひとつ大切なものがあった。ソウルで留守番をしているひとり娘ウンジョンだ。
もともと日帰りの仕事だった予定が思いがけず光州で一晩過ごすことになり、ひとりで家にいるウンジョンが心配で仕方がない。
後半でマンソプがピーターに告白するが、マンソプは妻を病気で亡くしており、以降はウンジョンと二人で生きてきた。一時は酒に溺れたこともあったが、母を亡くしたさみしさを押し殺すウンジョンを見てからは、彼女がマンソプの生きがいになった。

マンソプがタクシーの車体を傷つけないように神経質になっていたのも、父と娘二人で生きていくためには必要なものだったから。

 


究極の選択

ストーリー後半、マンソプの心はふたつに引き裂かれる。光州の映像を撮影するピーターに最後まで付き合うか、事態が悪化する前に光州を抜け出しウンジョンのもとへ帰るか。
光州かウンジョンか。
マンソプの葛藤が丁寧に描かれる。

一度はひとりで光州を抜け出したものの、途中立ち寄った町で、光州の出来事がゆがめて伝えられていることを知り、心穏やかではいられない。
一方、出店でウンジョンへの靴を買い、彼女の喜ぶ顔に思いを馳せる。
もし軍との衝突でマンソプが死ねば、ウンジョンはひとりぼっちになってしまう。だが、光州の人たちを見捨てることの罪悪感もある。
食堂でおにぎりを出されたマンソプが涙ぐみながら頬張るシーンで、私も目頭が熱くなった。
どちらも大切で、どちらも見捨てられない。究極の選択。

 

ソウルへ向かおうとした道中、マンソプは葛藤の高まりから車を止めてしまう。
「俺はどうしたらいい?」
自問自答するマンソプを、後続の車が鳴らすクラクションが追い立てる。それはまるで、「新しい自分へと生まれ変われ」と急き立てるかのよう。
緊張が最高潮に高まった次の瞬間、マンソプは車を反転させる。
彼は自分の身の危険をかえりみず、光州の人のために戦うことを選んだのだ。

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このシーンでは、マンソプが小狡く自己中心的な人間から、利他的な英雄に変わる瞬間が視覚的に表現されている。今作中でも屈指の名場面だと主張したい。

 

 

マンソプは英雄へと変わった

英雄へと変わり、光州に戻ってきたマンソプには迷いがない。
軍と市民との紛争が極限まで激化し、多くの人たちが軍人の放った銃弾に倒れていく。
マンソプはテスルたちと共にタクシーに乗って軍隊の前に立ちはだかる。車体が傷つくこともいとわず、タクシーを盾にして怪我人を救助していく。


やがてマンソプとピーターはテスルたちの後押しを受け、光州を脱出する。ピーターの撮影した映像は、何としてでもソウルに持ち帰らなければならない。しかし、軍人たちがそれを許してくれるはずもなく、白熱したカーチェイスが繰り広げられる。
この一連のシーンはジョセフ・キャンベルの神話論における「帰還」そのもので、シーンそのものも面白ければ、このシーンがある意義についても興味深い。

神話をはじめとしたストーリーでは、主人公は日常の世界から非日常の世界へ移動し、試練を乗り越えて、新たな自分としてまた日常の世界へ戻ってくる。
『タクシー運転手』において日常の世界とはソウルで、非日常の世界が光州だ。
非日常から日常の世界に戻るのは容易ではない。

 

 

 この「帰還」の直前、「向こう側」と「こちら側」の「境界」を再度越える時に、主人公は「向こう側」の世界で一度死ななくてはならないとキャンベルは考えます。

引用元:大塚英志著『ストーリーメーカー 創作のための物語論』、講談社

 

 

 

 


利己的な人間だったマンソプは一度死に、利他的な新しいマンソプに生まれ変わってソウルへ帰還する。
カーチェイスのシーンは、古いマンソプの象徴的な死を表現するシーンなのだろう。
それにしてもこのシーンは駆けつけてくれたテスルたちの奮闘、ひとりひとり命を落としていく悲壮感、それでも諦めずにマンソプたちを逃がそうとするテスルの決意の尊さに、心が熱くなると共に涙を搾り取られてしまう。


テスルたちの犠牲を越え、無事にピーターの映像は世界に発信された。
ラストでは、民主化された韓国でのマンソプの姿が描かれる。かつてと同じくタクシー運転手として生きるマンソプは、テスルやジェシクたちが望み、ピーターと共にもたらした自由の世界で客を乗せて走り続けるのだ。

 


余談

昔、WOWOWの「W座からの招待状」で、この作品が取り上げられた。

www.wowow.co.jp


「W座」では映画本編終了後に小山薫堂氏と信濃八太郎氏のトークが披露される。
『タクシー運転手』の回で彼らが語った史実のマンソプたちの情報が、以下の通りだ。

  • マンソプのモデルとなったのはキム・サボクという人物で、個人タクシーの運転手ではなく、ホテル所属のタクシー運転手だった。
  • 長らく消息が不明だったが、『タクシー運転手』が韓国でヒットしたことで、彼の息子が名乗りを上げた。
  • キム・サボクは光州での経験にショックを受け、トラウマから酒浸りになった。それが原因で肝硬変を患い、1984年に亡くなっていた。


何と!何ということだ!あのマンソプ(のモデル)が、そんな悲劇的な運命を辿っていたなんて。
本編の最後、ピーターのモデルであるユルゲン・ヒンツペーター氏が、「キム・サボクさんにもう一度会いたい。あなたのタクシーに乗って、今の韓国を見て回りたい」と言いながら、涙ぐんでいる映像が流される。
このときにはすでにキム・サボク氏はこの世にいなかったのだ。
ヒンツペーター氏は望み叶わぬまま、2016年に亡くなった。

終盤の熱い展開で涙していたのに、さらにショックで涙が止まらなくなったものだ。
どうか、どうか、天国で二人が再会していますように。
心の底から願ってやまない。

 

 

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