※注意!『鬼滅の刃』についてのネタバレあり。
とても面白い記事だった!
「うわ〜、こういう考え方が好きだわ〜」と思いながら、楽しんで読ませていただきました、感謝感謝。
この中で特に興味深かったのは、
この『鬼滅の刃』は、「血鬼術を使える鬼」と「呼吸法を使える鬼」との戦いを描いた物語だと言っても過言ではないのである
引用元:『鬼滅の刃』煉󠄁獄さんに痣は発現していたのか? 物語上の役割から考察|Real Sound|リアルサウンド ブック
という部分。
こういう「主人公側と敵側は実は紙一重で違っただけの存在」という描写がとても好みだったりする。
ユング派分析家・河合隼雄氏の著作が好きなのだが、そこにはしばしば「ひとりの人間の中にある“主人公的な面”と“敵対者的な面”」といった観点から古今東西の物語についての分析がなされている。
そういうわけで私も『鬼滅の刃』を読みながら、「ひとりの人間の中にある“炭治郎的な面”と“無惨的な面”」について色々と考えてみたりすることがある。
まだまだ『鬼滅の刃』については考えがまとまっていないので、ここでは考察はナシの方向で。
ただ、今の時点で書き留めておきたいことがあるので、以下にまとめてみる。
『鬼滅の刃』の結末についても言及しているので、本当の本当の本当にネタバレ注意でお願いします!
興味深かったのが、第204話の炭治郎の描写である。
彼は無惨との戦いの中で右目と左腕を失う。その後、無惨に身体を乗っ取られるも、無事に生還する。
無惨による身体の乗っ取りによって、炭治郎の失った右目と左腕が再生した。それは生還したあとも変わらず。
ただ、再生した目と腕に機能性はない。腕は上げ下げくらいしかできず、肘から下の感覚はない。目も形としてあるだけで、視力は全くない。
この機能していない炭治郎の新しい右目と左腕は、「炭治郎の中に融合した無惨的なもの」なのではないかと思う。
河合氏の著作では、何度も「人には自分が抑圧している面があり、それを影と呼ぶ。自己実現を果たすためには影との対峙・対話を繰り返し、和解することが望ましい」といったようなメッセージが出てくる。
『鬼滅の刃』で炭治郎たち鬼殺隊によって、無惨は完全に討伐される。彼に対しては救いも和解もないように見える。
ただ、炭治郎に残された目と腕が、和解の象徴なのではないかと思う。
さらに右目と左腕には機能がないという点も面白い。無惨的なものが機能すれば、また災いとなる。機能性をなくし、存在だけを残すことで無惨と和解した、と思えるのである。