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『アンナと王様』ネタバレ感想――知性と知性のぶつかり合いが、愛へと変わる

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※注意!『アンナと王様』『王様と私』『アンナとシャム王』アニメ版『王様と私』のネタバレがあります。

 

 

 

昔、「『アンナと王様』が好きです」と言ったところ、相手から「あんな映画はダメだ。『王様と私』を観なさい」と言われた。『王様と私』も観た上で、『アンナと王様』が好きなんだよ私は、と少し泣きたい気持ちになったものだった。どうしても『王様と私』と比べられちゃうよなぁ。

 

 

 

『アンナと王様』は、実在した英国人女性アンナ・レオノーウェンスのシャム(現在のタイ王国)での体験をもとにした映画だ。彼女が執筆した回顧録『The English Governess at the Siamese Court』を原作としている。

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後にアンナの回顧録をもとにした伝記小説『Anna and the King of Siam』がマーガレット・ランドンにより発表される。

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この小説をもとに生まれた作品のひとつが、傑作と名高いミュージカル映画『王様と私』だ。作品そのものを観たことがない人でも、劇中歌「Shall We dance」は知っているのではないだろうか。主人公のアンナがラーマ4世(モンクット王)と踊るシーンの歌だ。


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『王様と私』は今でもミュージカル舞台が公演されている、名作中の名作だ。だからこそ、どうしても『アンナと王様』は『王様と私』と比べられてしまうらしい。『王様と私』と違って華やかなミュージカルシーンもないし、話自体も割と地味だ。しかし、私は『アンナと王様』におけるアンナとモンクット王の知性あふれたやりとりが好きなのである。

 

 

イギリス人女性とシャム国王のラブストーリー

婉曲的な恋模様

あらすじは以下の通り。

  未亡人のアンナは、シャム国王から依頼され、王子たちに英語や西欧のことを教える家庭教師としてバンコクを訪れる。王を神のように崇めるシャムについての知識がほとんどないアンナは、初対面の王とわたり合う気の強さを見せる。しかし、なぜだか王は、そんな彼女に好感をもつ。

 

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この作品を初めて観たのは高校生のとき。一国の王と異国の女性の恋物語を期待していた私は少々肩透かしを食らった。

この二人、互いに好意を抱いているらしいが、キスもハグもしない。「友だち以上、恋人未満(古い……)」な仲かよ。まだまだ若かったあの頃、私はそんな不満を抱いていた。

だが、20代、30代となるうちに、受ける印象が変わってくる。この二人、めちゃめちゃ愛し合っているじゃないか!そもそも主題歌のタイトルが『How Can I Not Love You』なのだ。「どうしたら、あなたを愛さずに済むのだろう?」というタイトルは「あなたが愛しくて仕方がない。あなたへの愛が止められない」というメッセージを孕んでいる。

 

 

「未亡人」アンナ

主人公のアンナは未亡人だ。ひとり息子のルイとインド人の召使い夫婦とともに、シャムへと到着するところから物語は始まる。

アンナが未亡人だという事実は、この作品において大きなウェートを占めているように思う。モンクット王に好意を抱くにあたり、アンナにとって大きな障壁となるのが「未亡人」であること。夫の死後、アンナは母であり、教師であろうとしたが、女性であることは捨ててきた。

そしてもうひとつ、彼女の強さも夫を亡くしたことが影響しているように思う。モンクット王とやり合う気の強さが作中でもたびたび指摘されるが、これは彼女の性格だけでなく、夫の代わりを全うしたいという意地もあったのではないだろうか。

女性の中にはたましいの像「アニムス」があり、「アニムスはロゴスの原理を強調する」と精神分析家・河合隼雄氏は著書『無意識の構造』で述べている。

亡くなった夫の分までロゴスの執行者となったアンナは、モンクット王と激しくも論理的なぶつかり合いを繰り広げる。国王といえば父性原理の体現者であり、ロゴス的な存在そのものだろう。二人の口論は感情的な怒鳴り合いでなく、ウィットに富んだやりとりの応酬だ。

 

 

シャムの古い慣習と戦う

アンナたちイギリスから来た人間にとって、シャムは理不尽な慣習だらけだ。例えば、アンナが出会った奴隷の件。その奴隷は主人に金を払って自由を買い戻そうとしたにもかかわらず、金だけ取り上げられ、鎖に繋がれた。

 

アンナはモンクット王に対し臆することなく、シャムの伝統の理不尽さに対して抗議する。そんな彼女に、シャム人の配下たちは眉を顰める。シャムにおいて王は現人神であり、顔を見ることすら許されない存在だ。

モンクット王の前で叩頭せず、やすやすとシャムの慣習を破るアンナを、宰相のクララホムたちは苦々しく見つめる。中にはアンナを処罰せよと懇願するものさえいる。だが、モンクット王はアンナに厭味を言うことはあれども、罰したりはしない。かと言って、アンナの要望通りに西洋式の「先進的な」慣習をすぐさま取り入れるのかと言えば、それも違う。

モンクット王はアンナに対し、王の前で立ったままでいることを許す。ただし、「王より頭を低く」という条件付きだ。物わかりよさげに見せても、結局は国王としてのプライドを捨てきれないのか、と思わされるが、そうではないことが後半に明かされる。

 

 

王としての苦悩

モンクット王にとって、王であることの苦しみが徐々に明かされてくる。物語の舞台となるのは帝国主義の時代で、東南アジアには西洋列強の手が伸びているまっただ中だ。隣国のビルマはイギリスの、ベトナムはフランスの占領下に入った。シャムも西洋のいずれかの国の属国になる可能性が高かった。そんな中、西洋に屈しない国づくりがモンクット王に求められていたわけだ。

西洋の法、学問、技術を取り入れ、シャムの近代化を図らなければならない。だが、急激な改革は国民の反発を呼ぶ。だから、モンクット王はアンナに告げる。「改革には時間が必要だ」と。アンナは理解した。いや、この時点では理解したつもりだったと言うべきか。

 

後半、二人の間に決定的な衝突が起こる。政治的な理由で王に献上された側室タプティムが恋人のもとへ出奔しようとし、拘束されるというくだりだ。タプティムと個人的に仲の良かったアンナは、当然のように彼女を擁護する。裁判でタプティムが鞭打たれたとき、アンナはたまらず裁判官にやめるようにと叫ぶ。さらには「そんなこと、王も許されません」とも。

アンナはシャムにおいて王がどのような存在だったのか、本質的には分かっていなかった。王は誰かの言葉に動かされるべき存在ではない。ましてや、アンナはイギリス人だ。今まさにシャムに触手を伸ばそうとしている国の人間なのだ。

 

現人神だと言われようが、彼は人間だ。人間でありながら、神の如き威厳を保たねばならない。だから、アンナに「王より頭を低く」して立てと命じる。外患に悩まされている時代、国民に王への不信を感じさせないために、モンクット王は誰より高い位置にいることを強いられているのだった。

 

本当のところ、モンクット王はタプティムの裁判に介入しようとしていたが、アンナの法廷での一言により、それもできなくなった。タプティムは恋人とともに斬首され、この出来事がきっかけでアンナとモンクット王は決裂に至る。

 

異国文化の理解は難しい、とはよく言われるが、習慣そのものを理解する以上に、異国の人たちに根付いた感覚や思考を理解することこそが難しいのだと思わされる。西洋人のアンナと東洋人のモンクット王の間に目覚め始めていた友情や恋が、本質的な部分のズレによって崩れ去っていく。

 

 

アンナとモンクット王の愛の形

それでもなお、アンナはモンクット王を見捨てきれなかった。シャムを去ろうとしていたそのとき、彼女は王の身に危険が迫っていることを知り、そばへと舞い戻っていく。

 

今までは、ルイに「王様のことが好きなの?」と聞かれると苦笑していたアンナだが、このときの彼女ははっきりと王への愛を自覚している。だが、アンナと王の愛はあくまでも知性的に、ロゴスに則って育まれるものなのだ。手に手をとって駆け落ちをすることなどせず、アンナは「王」としてのモンクット王を支え、モンクット王は「信頼できる部下」としてのアンナを求める。

 

もしかしたら死ぬかもしれない、というときになってようやく、モンクット王はアンナの頬に触れる。このシーンの何と美しいことか。エロティックと言うには自制が効き過ぎ、それでいて情感にあふれすぎている。

このシーンや舞踏会でのダンスシーン、避暑地で夜に鉢合わせをするシーンなど、たまに二人の距離が近づくとき、自制心を効かせている中で、それでもなおお互いへの思いが溢れ出る瞬間がある。そんなシーンの数々に、恋愛映画としても切なくて悶えさせられるのだった。

 

 

最後に

夫の死後、女性として生きることを抑圧してきたアンナがようやく出会った相手は、決して寄り添うことが許されない存在だった。だから、この物語は二人が結ばれることなく終わり、エンドロールとともに『How Can I Not Love You』が流れる。

改革には時間が必要だ。シャムの奴隷問題は、モンクット王の息子チュラロンコンの即位後に解消された。アンナとモンクット王のような恋人たちが想いを遂げることができる時代も、いつかは来るのかもしれない。

 

 

 

 

余談

私、モンクット王に恋していました

なーんて感じで締めてみたのだが、現タイ国王ラーマ10世(ワチラロンコン王)のスキャンダルを見ていると、モンクット王の頃からかなり国王像も変わったのだなぁと思う。いや、ワチラロンコン王は極端な例なので、国王像が変わってしまったと言うのはタイの方々に失礼だな……。

 

しかしなぁ、名君のプミポン王を父に持ち、タイ史上に残る名君中の名君チュラロンコン大王が曾祖父、モンクット王が高祖父だというお方が、あんなにぶっ飛んだお方であらせられるのは……その、なんというか、かんというか、ちょっと泣きたい気持ちになるのである。

 

というのも私は『アンナと王様』を観てモンクット王に恋をし、東南アジアに関する学科のある大学を選び、モンクット王を卒論のテーマにした人間なのだ。とにかくチョウ・ユンファ演じる尊大で理知的なモンクット王が好きで好きで仕方がない時代があった。

大学入学後もしばらくは「モンクット王=チョウ・ユンファ」で考えていたので、授業で史実を聞いたときには顎が外れそうになった。モンクット王が即位したのは満年齢で47歳のとき、アンナ・レオノーウェンスがシャムに来たときには王は58歳だったとな。「恋なんて生まれるわけがないよねー」と、講師が無邪気に言い、私は撃沈した。

そして配られたプリントに載っていた猿みたいな顔(すみません、不敬罪ですね)の男性の写真を見て、私は冗談抜きで涙を一筋流してしまった。授業中に泣いたのなんて、後にも先にもあのときだけだ。

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タイ史におけるモンクット王の功績

だが、このモンクット王、史実でもシャムの改革にいそしんでいたことが分かり、私は俄然やる気を取り戻した。そして、最終的にはモンクット愛を取り戻し、卒論のテーマにしたわけである。

 

父王の死後、若さを理由に王位につけず、彼はしばらく出家し、僧院に入る。そこでシャムに布教にやって来ていたキリスト教宣教師たちと交流をくり返した。

モンクット王は彼ら宣教師から西洋の科学だけでなく、キリスト教についても学んだ。特にアメリカ人宣教師ブレッドレーとは、西洋の学問を教わったり、シャムの慣習を巡って討論をくり返したりと、さながら映画のアンナとモンクット王のような関係を築いていたようだ。

 

また、モンクット王は出家中にタマユット運動という仏教改革運動を起こしている。この頃シャム仏教には、本来の仏教の教義から外れた迷信的なものが取り入れられていたらしい。おかげで西洋人からは「シャム人は迷信を信じる劣った人間」だと見られていたようで、王がタマユット運動を始めたのは、そういった西洋の偏見に対抗するためだったようにも感じられる(と、大学時代の私が卒論に書いていた)。

キリスト教の教えを学びながらも、仏教を改革する。とても柔軟な考えを持った王だったようだ。宣教師たちの布教を許し、西洋学問を取り入れつつも、彼らがシャムのアイデンティティにかかわる仏教の脆弱性を批判すればタマユット運動で対抗する。

 

仏教という国民たちの精神基盤を保った上で近代化を行ったことが功を奏し、シャムは東南アジアで唯一独立を保ったままでいられたのだ(あくまでも大学時代の私が言っていることです。許してやってください)。

タイの名君と言えば、どうしてもチュラロンコン大王が語られがちだが、国難の時期にモンクット王、チュラロンコン大王という名君リレーが繰り広げられたことが、本当に大きかったのだと私は思う。

 

 

タプティム死んでないよ!

さらに余談だが、作中で処刑されたタプティムは、実際には殺されていないらしい。Donald C. Loadの『Mo Bradley and Thailand』にタプティムと姦通した僧は処刑されず、鞭打ちと草刈り、サンガの脱退を言い渡したと書かれているので、タプティムに関しても似たようなものだろうと思う。タプティムたちが処刑されるというくだりは、アンナ・レオノーウェンスの『Siamese Harem Life』の中で火刑に処されたと書かれていたからで、本編でタプティムがあんな扱いを受けたのはつまるところ、

アンナ、お前のせいだったのか!

 

『アンナとシャム王』『王様と私』『アンナと王様』と観てきたが、タプティム生存ルートはどこにもなかったので絶望していたが、史実のタプティムさんが無事なら何よりである。ちなみにアニメ版『王様と私』は珍しくタプティム生存ルートを取っている。

 

さて、各キャラクターの結末を作品ごとにまとめてみた。アンナはどの作品でも生存しているので割愛する。

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派生作品は他にもあり(『アンナと王様』というテレビドラマがあるらしい)、これについてはまだ確認できていないので、割愛させていただいた。

死亡フラグの象徴タプティムはともかくとして、モンクット王も意外に作中死亡率高くて泣けてきた。史実の王は満64歳で崩御した。日蝕の観測をしに南タイを訪れた際、帰途でマラリアに罹患したことが原因だ。普段は西洋式医療を受けていたのだが、このときは宗教上の理由でシャム伝統の医術を受けることになったらしい。王の死後、先述のブラッドレーは王宮の医師の指導に当たったとのことである。

 

そんなわけでモンクット王の処遇にも泣いたが、一番可哀想なのは、アニメ版で唐突に邪悪なラスボスにさせられた宰相クララホムである。ラスボスて。邪悪な魔術師的な存在だったよ、おっどろきぃー。

 

すごくとっちらかった終わり方になって恐縮だが、ここで『アンナと王様』語りは締めさせていただきたいと思う。

 

 

 

 

同じくアンナ・レオノーウェンスの故事をもとにした作品たち。

 

シャムの描写がアマゾンみたいで度肝を抜かれた作品。ここのタプティムは悪役令嬢っぽい。

 

名作と名高い作品。とにかく映像の美しさに圧倒される。セットがすごい。

 

アニメ版はファンタジー要素も入っている、少々ぶっ飛んだ内容だったと記憶している。

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