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『モアナと伝説の海』ネタバレ感想――死者をメンターにして、彼女は旅に出る

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※注意!『モアナと伝説の海』『シャーロットのおくりもの』のネタバレがあります。

 

 

前回の記事では「感動で泣きすぎて、むしろ命の危険を感じる作品」として『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』について取り上げた。

nhhntrdr.hatenablog.com

 

「感動で泣きすぎて、むしろ命の危険を感じる作品」としてもうひとつ名を挙げていたのが『モアナと伝説の海』である。

 

『モアナ』公開当時、「ああ、アナ雪の二番煎じでしょ?」と高をくくって映画館へ行こうとしなかった当時の私に正拳突きを食らわせたい。この映像を、歌を、映画館で体感しなかったとな!?


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そんな後悔はあるものの、『モアナと伝説の海』の素晴らしさは小さい画面で見ようが、変わりはしない。モアナの旅は、観るたびに私の心を熱くしてくれる。

 

 

 

海の外に憧れる少女

あらすじは以下の通り。

命の女神テ・フィティの<心>が盗まれた時、この世に暗黒の闇が生まれた。だが、闇がすべてを覆い尽くす前に、サンゴ礁を越えて旅する者が女神に<心>を返し、世界を救うだろう---。伝説が息づく南の楽園モトゥヌイを治める村長の娘、モアナ。闇に飲み込まれる危機に瀕した島を救うために、彼女は村の掟を破って、禁じられた海へ漕ぎ出す決意をする。身勝手で自信満々な伝説の英雄マウイを道連れに、自分の心の声を信じて進む少女モアナの冒険に思わず心が熱くなる。圧巻の歌と映像で贈る感動のファンタジーアドベンチャー。

 

引用元:Amazon.co.jp: モアナと伝説の海 (字幕版)を観る | Prime Video

 

モアナは南の島モトゥヌイで生まれ育った少女だ。村長の娘だから、いずれは後を継ぐことを期待されているが、島の外――海の向こうへの憧れが止められずにいる。だが、父である村長は、彼女が海に出ることを許さない。女神テ・フィティの心を半神半人のならず者マウイが盗んで以降、海には闇が広がり、魔物たちが跋扈するようになった。

「珊瑚礁の向こうへは行くな」と、父はモアナに何度も告げる。彼女自身も海の向こうへ行こうと試みたものの、失敗に終わり、外の世界への憧れから目をそらす。

『モアナ』のテーマ曲とも言える「How Far I'll Go」。1回目にこの歌を歌ったとき、彼女は舟に乗って海へとこぎ出すも、失敗に終わる。

 

しかし、不満を感じつつも平和だった日々は続かない。安全だったモトゥヌイにも、闇の影響が出始めたのだ。作物は枯れ、魚が捕れなくなる。このままではモトゥヌイの滅亡は免れないだろう。

モトゥヌイには伝説がある。いつか何者かが珊瑚礁を越え、マウイを連れてテ・フィティのもとへ行き、女神に心を返す日が来る――

幼い頃、モアナは海辺で鳥に襲われているウミガメを助けたことがあった。そのとき、彼女の目の前に〈テ・フィティの心〉が現れた。モアナは「海に選ばれた」少女だったのだ。

 

 

死者の導きで、モアナは海を越える

唯一、モアナの外の世界への憧れを理解してくれたのが、彼女の祖母である。祖母はモトゥヌイから出ることを躊躇うモアナに、島の真実を告げる。モトゥヌイの人々の先祖は、もとは旅人だった。海から海へと渡り歩き、新たな島を見つけては、そこに住み着く。だが、テ・フィティの心が盗まれてから1000年の間に、人々は海を恐れ、船を封印し、自らが旅人であることを忘れたのだった。

 

旅立とうと決意するモアナの前に、父が立ち塞がる。父もモアナと同じく、かつては外の世界へ憧れ、海に出たものの事故に遭うという経験を持っていた。身を以て海の恐ろしさを知る父は、モアナの説得にも耳を貸さない。

そのとき、祖母が倒れ、父も村の人々もパニックに陥る。混乱の中、祖母本人だけが冷静だった。死の床で祖母はモアナに「お行き」と告げるのだ。

祖母の意志を背負い、モアナはもう一度海へとこぎ出す。ここで2回目の「How Far I'll Go」が歌われ、今度は珊瑚礁を越えることに成功する。

 

モアナに向かって風が吹いた後、モアナの元にやって来るエイは祖母の魂だ。生前の彼女は体にエイのタトゥーを入れており、死後はエイになると言っていた。旅人だった先祖の舟、エイとなった祖母の導き。モアナが珊瑚礁を越えることができたのは、死者の支援があったからだと私は思う。

 

精神分析家・河合隼雄さんが著書で述べている。

 私たち人間はひとりで生きていると思っているけれども、「そんなことない。奥さんの力が大きいですよ」といったこともあるけれど、必ずしもそういうことではなくて、私の家にいる蛇とか蛙とか、そういうのもみな協力して、全部が協力して私の生は全うされていくのだというふうに考えられないか。

 

引用元:河合隼雄著『こころの読書教室』、新潮社

 

人が生きるときに、思わぬものに支えられていることがある。同じようなことを表現しているのが、過去に取り上げた『シャーロットのおくりもの』だった。人間の目に触れないところでブタと蜘蛛が友情を育み、彼らの友情が目に見える形で結実した結果、人間たちは身の回りに起こっていた奇跡に気づき、幸せを感じるようになるという物語だ。

nhhntrdr.hatenablog.com

 

 

祖母と祖先マタイ

「海に選ばれた」というアイデンティティを失うモアナ

モアナの旅も、モアナひとりで為されているのではない。すでにこの世からは去ってしまった人間が、実体として存在はしていない人間が、モアナに力を与える。

 

旅の中でモアナはマウイと出会い、彼と衝突をくり返しながらも、理解を深めていく。だが、最大の敵テ・カァとの戦いに敗れ、モアナはマウイと決裂する。それどころか、心くじけた彼女がテ・フィティの心を海に返そうとしたとき、海は突き返すことなく、モアナの意志を受け入れたのだ。

ここまでの旅の中、モアナの心を支えていたのが「海に選ばれたこと」だった。だが、海はモアナのアイデンティティでもあったテ・フィティの心を受け取り、そのまま沈黙する。モアナは「海に選ばれた」存在ではなくなった。

 

モアナが行き着いた結論「I Am Moana」

絶望に打ちひしがれたモアナの元に、再びエイがやって来る。祖母の魂だ。祖母の魂はモアナに「お前は何者か」と問いかける。おずおずとモアナは答える。

モアナは島を、海を愛する娘。村長の娘であり、旅人の末裔。これらのことを背負って、彼女は旅をした。旅の中で多くのことを学んできた。その上でモアナは気づく。旅に出たのは、心の声に呼ばれたからなのだと。海に選ばれなくとも、モアナの心は旅を欲していた。彼女の身の上、彼女が愛するもの、今まで歩んできた旅路、すべてが重なり合い、モアナは結論に達する。「私はモアナ!」

この一連のシーンで「How Far I'll Go」の変化系「I Am Moana」が歌われる。ここで私は涙が止まらなくなるのだ。

身近な死者である祖母からの問いかけで、モアナは自分自身を問い始める。少しずつ分かり始めたときに、祖先の霊が現れる。彼らは生前のように船に乗り、海を渡る。モアナには会釈ひとつだけ投げかけ、彼らは迷うことなく旅を続ける。

 

押しつけがましさのない見事な演出

私は百万言費やされるより、態度ひとつでメッセージを表現する演出にめっぽう弱い。ここでモアナの前に祖先マタイの霊が現れ、「挫けるな、モアナ。お前は私たちの末裔だ。お前なら旅を続け、テ・フィティに心を返してくれると信じているぞ」なんて告げるシーンがあったら、恐らく私はここまで『モアナと伝説の海』という映画を好きになってはいなかっただろう。

 

祖母はあくまでそっと問いかけるだけで、モアナから無理やり答えを引き出そうとはしない。祖先はただ、自分たちの旅人としての姿をモアナに見せる。これだけで充分なのだ。

 

道を知ったモアナに迷いはない

祖母と祖先という導き手〈メンター〉が、モアナを導いた。「道を知っていた」彼らが、モアナに彼女の道を知るヒントを与えた。

人はたとえ亡くなったとしても、このように後世の人間の道しるべになったりもできるのだと、この映画は教えてくれる。1000年後の子孫が挫折して絶望に打ちひしがれているとき、モアナが彼らの道しるべになることだってあるだろう。

海を渡り、新たな島を探し続けた先祖のように、モアナたちもまた旅に出る。かつての先祖のように力強く笑い、海を渡るモアナに、やはり私は涙が止まらなくなるのだった。

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最後に

人生は旅そのものだ。私たちは今まさに旅の最中なのだ。だが、時折、自分を見失い、何のために旅をしているのか分からなくなるときがある。そういうときに、私は「I Am Moana」と叫んだモアナのことを思い出したいと思っている。

 

 

 

余談

『モアナと伝説の海』の登場人物たちのほとんどは、自分が何者なのかが分からないという問題を抱えている。モアナやマウイ、モトゥヌイの人たち、そして心を盗まれた女神のテ・フィティは彼らを象徴するような存在だ。

逆に自分が何者なのかを分かっているモアナの祖先は、「We Know The Way」という歌で道を知っていることを表現する。

 

モアナも苦しみの末、自分が何者なのかを知った。ブレイクスルーと共に歌われたのが上述の「I Am Moana」だ。

 

ラストシーン、モアナはモトゥヌイの人たちと旅に出る。そのときに先祖の歌った「We Know The Way」が再度流れる。ここで字幕版だと歌が終了すると共に『Moana』というタイトルが現れる。これが熱いのだ!

完全に「I Am Moana」の歌詞と対になっており、モアナが先祖たちのような力強い旅人になったことを知らせてくれる名演出だ。

 

吹き替え版で残念だったのが、タイトルが変更されたため、「We Know The Way」終了直後に画面に映るのが『モアナと伝説の海』となってしまったことだ。

確かに日本では『Moana』というシンプルなタイトルだと集客効果が薄いんだろうなぁとは思うのだが、あの名演出の醍醐味が少し薄まってしまって残念に思う。

 

ただ、吹き替え版モアナ役の屋比久知奈さんの伸びやかな歌声は必聴なので、こっちもこっちで捨てがたい。というわけで、『モアナと伝説の海』は字幕版と吹き替え版の両方を観よう!

 

※『モアナ』について、また語ってみた記事。

nhhntrdr.hatenablog.com

 

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