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映画や本の感想など。ネタバレ全開なので、ご注意ください。

映画版『ディア・エヴァン・ハンセン』感想6回目。リンゴが何を象徴していたのか。前回の記事を訂正しつつ、妄想してみる。

※注意!映画版『ディア・エヴァン・ハンセン』のネタバレがあります。

 

 

ようやく『ディア・エヴァン・ハンセン』3回目の観賞ができた。相変わらず「Waving Through a Window」のイントロが聞こえた時点で泣き、「You Will Be Found」でズビズビ鼻を啜り、「Words Fail」「So Big / So Small」でしみじみと涙を流したのだった。我ながらチョロい。

 

さて、今回は改めて観賞して考えが改まった部分が出てきたので、そこについて書いてみたいと思う。

 

 

 

前回、リンゴについての記事を書いた。

nhhntrdr.hatenablog.com

キリスト教における「禁断の果実」としてのリンゴという観点から色々と考えたのだが、3回目観て思った。

すいません!あれ、考えすぎだった!

 

今回感じたのは、リンゴは「匿名の人を脱すること」の象徴だったのでは、ということだ。映画の最後は、コナー追悼のためのクラウドファンディングにより出来上がったリンゴ農園が画面いっぱいに広がる。一度は閉鎖されたこの農園を、コナー追悼のために復興させようと頑張っていたのがアラナだ。

 

アラナは作中、自分や周りが「匿名の人」であることを憂い、何とか自分だけでなく、他の人たちが「匿名の人」から抜け出せることを願っていた。アラナはコナーが好きだったとエヴァンに語る。あそこまで孤高を貫ける人はいない、という理由だ。自分の悩みを押し隠し、無理に笑顔を浮かべる「匿名の人」の対極の姿を、コナーに重ねたのだろう。だが、「匿名の人」でなかったコナーは自殺してしまった。

 

アラナは「コナーが間違いだったと示したい」と言う。コナーは孤独のまま、死ぬべきでなかった。自分の苦しみを誰かに開示し、助けを求めるべきだった。彼はそのやり方がわからず、他者に怒りを表現し続け、この世から去った。

 

 

かつて、エヴァンも苦しみをひとりで抱えた末、自殺を試みたことがあった。コナーの追悼集会でエヴァンはコナーの思い出を語るという形で「You Will Be Found」を歌う。


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ふと、この歌を歌っているときのエヴァンは、己の自殺体験を清算しているのではないかと感じた。あのとき「自分はひとりじゃない(You Will Be Found)」と考えて、自殺を踏みとどまるべきだった。そんな願望が滲んでいるように思えたのだ。

 

今回観賞して、思った以上に自殺を試みたという経験がエヴァンに重くのしかかっているのに気づいた。「Waving Through a Window」で「最悪な自分」という歌詞が出てくるが、これは「自殺してしまうような壊れた自分」のことだ。うつ病で、自殺未遂までした自分が好かれるわけがない。だから、エヴァンはブレーキをかける。

だが、心の奥底ではブレーキを解除したいと思っている。その思いが学食のトレーに載るリンゴとして表れているように思う。

 

ほかにリンゴを持っていたのはコナーとゾーイ。エヴァンがつくり出した妄想上のコナーがリンゴを手にして歌う「Sincerely, Me」は、変化への願望が込められた歌だ。コナーがエヴァンに対するメールの内容が歌詞になっており、「家族と上手く付き合えないし、クスリもやめられない。でも、自分を変えたい」というメッセージが繰り広げられている。もちろん、これはエヴァンが「コナーの親友」であるために偽装したメールなので、つまりはエヴァンの願望が込められている。

 

一方、ゾーイは学校で「兄を亡くして哀しむ妹」としての役割を押しつけられ、うんざりして帰宅した後に、冷蔵庫からリンゴを取り出す。誰も彼女の本当の気持ちを知ろうとしない。コナーが死んでも、コナーへのわだかまりが消えることはない。そんな思いを誰かに知ってほしいという願望の象徴として、ゾーイのリンゴはある。

 

ゾーイはエヴァンへ告白をするときに「あなたを好きなったのは、コナーの親友だからじゃない」と告げる。「コナーの妹」としてしか周りに見てもらえないゾーイにとって、自分のありのままの姿を見てくれるエヴァンに恋をするのは自然なことだ。ゾーイはエヴァンが気にする「うつ病で自殺未遂をする自分」を超えたところにある彼に惹かれていた。

エヴァンの嘘で始まった関係ではあったが、このときの二人は間違いなくお互いのありのままの姿を見て、恋をしていたに違いない。お互いがお互いを「匿名の人」ではない存在にしてくれた。

結局、二人は別れてしまうが、この経験は大きかったと思う。最後に会うのがリンゴ農園というのも、二人がもはや匿名の人ではなくなったことを表している。

 

 

リンゴは『ディア・エヴァン・ハンセン』という作品において、ありのままの自分の象徴だったのではないか、ということを現時点での結論としておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

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