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映画版『ひらいて』についての雑記。原作ファンも楽しめる作品でした!

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※注意!『ひらいて』原作、映画版のネタバレがあります。

 

 

 

今回は映画版『ひらいて』についての備忘録にしようと思う。観賞日からかなり経ったので、少々うろ覚えなところもあるが、だからこそ書きつけて記憶しておきたい。

 

 

 

西村たとえの存在感

『ひらいて』原作を読んだとき、主人公・木村愛の恋する西村たとえに強烈に惹きつけられた。なにしろ、たとえが恋しくて愛しくて仕方ないと思っている愛の一人称で本文が綴られているので、読んでいるうちに自分までたとえに恋をしているように錯覚してくる。

 

たとえの魅力は複雑だ。彼は整った顔だちではあるらしいが、わかりやすいイケメンではない。性格も控えめでクラスでは目立たない存在。話しかけても答えてくれはするが、どこかそっけない。かっこいい見せ場もあまりないし、むしろ惨めな姿を見せる場面すらある。

それなのに、惹きつけられてしまう。硬い殻をかぶり、自分を極限まで消しているからこそ、逆にこちらは意識させられる。派手な存在ではないのに、あまりにもミステリアスでむしろ魅惑的。だから、身の破滅に瀕するほどに恋焦がれてしまう。

西村たとえは、そんな不思議な存在だ。

 

正直、たとえのキャストが発表されたときはがっかりした。あー、ジャニーズかぁ、と思った記憶がある。

今は作間龍斗くんに謝罪したい気持ちでいっぱいだ。

何ということだ、私は岡田准一担だというのに。ジャニーズだからと色眼鏡で見られて苦労したであろう人を推しているくせに、彼の後輩を色眼鏡で見たことを恥じている。

 

いざ劇場で観たとき、たとえがいる!と思った。地味なくせに、惹きつけられてしまう、謎の存在感。人当たりはやわらかいのに、他人を拒絶する空気感。

終盤のたとえの自宅でのシーンは個人的に見どころだった。たとえの父親が愛と美雪に一方的にしゃべりかけている中、黙ってその様子を見ている姿。力の抜けた肩、何を考えているのかわからない表情。どこか惨めで、それでいて内部に激情を抱えているような危うさもある。私が期待していた以上のたとえを見せてもらえたと思う。

 

なかなか難しい演技を要求される役だったと思う。だが、作間くんは見事にたとえをやりきってくれた。

今後の俳優としての活動も楽しみだ。

 

 

山田杏奈が表現する木村愛

山田杏奈さんの演技も素晴らしかった。原作は愛の一人称で書かれているから、基本的に彼女が何を考えているかは逐一わかるようになっている。

例えば、愛が塾の友達から夜の学校に忍び込もうと誘われるシーン。その前のシーンで愛は人目を忍んで誰かからの手紙を読むたとえを目撃している。だから彼女は彼らの誘いに乗り、たとえの手紙を読もうと決意するのだ。

だが、映画では当たり前だが愛がずっとナレーションで喋り続けるわけにはいかない。

件のシーン、友達からの誘いを受けた愛は身じろぎもせず、ただ目線だけを泳がせる。ここで手紙を読むたとえの回想を入れるなんて野暮なことはしない。ただ、愛の目線の動きだけで彼女の考えの変化を表現する。

ここは監督の手腕と山田さんの演技力が見事に噛み合ったシーンだ。

 

このように、『ひらいて』では余計な説明は入らない。それでも愛がそのとき咄嗟に何を考えて行動を移しているのかがわかるようになっている。

しゃべらずとも立ち居振る舞いで語る木村愛を山田さんは見事に表現してくれた。

 

 

頼りなさと力強さが共存する美雪

たとえの恋人・新藤美雪もまた複雑なキャラクターだ(というか、『ひらいて』には複雑なキャラしかいない)。

芋生悠さんの佇まいは、美雪が生まれてから今まで積み上げてきたものを綺麗に表現していた。

いわゆる陽キャカースト一軍の愛に対し、美雪は恐らく低カーストの生徒だと思われる。同じ低カーストでも、自分を硬い殻で覆っているたとえと違い、美雪は他者に対してバリアーを張っていない。包み込みような優しさがある。その一方で、恐らくクラスの人間関係に馴染むことができなかった人間特有の一歩引いたスタイルも持ち合わせているのが美雪だ。

原作で美雪が、自分やたとえは皆んなに馴染むのを諦めていると言っていたが、確かにそういった諦観を感じさせる雰囲気を映画の美雪も持っていた。

ほわほわしているけれど、どこか寂しそう。それでいて、生きていく中で得た他者への愛は譲れぬ一線として持っている。弱々しくもあり、それでいて時折逞しさも見せる。そんな複雑な面を持った美雪を映画でも堪能できた。

 

ほわほわと言えば、愛と美雪がたとえの家を訪れた(たとえの項目で言及している)シーン。そこで二人はたとえの父親から蒲鉾を振る舞われる。たとえの父親は雑に言えばこの物語における悪の親玉・黒幕で、二人に対して愛想よく接してくるが、どこか胡散臭さがある人物だ。見ているだけでも身構えてしまう危険な雰囲気を醸し出している。

そんなたとえ父に蒲鉾を差し出され、愛は警戒してか手を出さないが、美雪はおずおずと口にする。

「おい!食べるんかい!」と思わず心の中で突っ込んでしまったが、ここも非常に美雪らしいシーンで、思い返すと結構お気に入りだったりする。

 

 

もともと原作が大好きで何度も読んでいたが、映画版も十二分に楽しめる内容だった。

また家でも観られるようになったら、再度観賞したいと思っている。