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『茜色に焼かれる』――彼女は理不尽さを超えて生きていく

※注意!『茜色に焼かれる』のネタバレがあります。

 

 

 

 

コロナ禍の時代を舞台にしていると聞いていたので、ずっと『茜色に焼かれる』には興味を持っていた。ようやく観ることができて嬉しく思っている。

主人公が歩くシーンで寸刻、主人公からの目線のカットになる。そのとき、画面の下部にちらつくマスクの縁…という部分に、2020年の頃に感じた不安感とか閉塞感とかを思い出したりもした。

 

と、コロナ禍の話で始めてみたが、ここではコロナ禍そのものよりも、主人公をとりまく理不尽さについて、ごちゃごちゃ考えたことを書き留めてみたいと思う。


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主人公を取りまく理不尽

あらすじは以下の通り。

7年前、理不尽な交通事故で夫を亡くした母と子。母の田中良子はかつて演劇に傾倒していたことがあり、芝居が得意だった。ひとりで中学生の息子・純平を育て、夫への賠償金は受け取らず、施設に入院している義父の面倒もみている。コロナ禍により経営していたカフェが破綻し、花屋のバイトと夜の仕事の掛け持ちでも家計は苦しく、そのせいで息子はいじめにあっている。そんな彼女たちが最後まで絶対に手放さないものがあった。

 

引用元:茜色に焼かれる : 作品情報 - 映画.com

 

ものすごく雑にストーリーを表現するなら、「主人公・良子のもとに次から次に不幸が舞い込む話」であり、もっと簡潔に言い表すと「理不尽な話」となる。

ストーリーはまず、良子の夫が交通事故によって死亡するところから始まる。事故の原因は、アルツハイマーを患った高齢者ドライバーがアクセルとブレーキを踏み間違えたというもの。

その後、良子は女手一つで息子を育てていたが、コロナ禍によって経営していたカフェが潰れ、パートと夜の仕事で生活費を稼がざるを得なくなる。働けども働けども、義父の施設費や、夫と愛人の間にできた娘に対する養育費が家計を圧迫する。仕事でもパワハラやカスタマーハラスメントに遭い、徐々に居場所を奪われていく。

良子の周辺の人間にも理不尽な不幸は及ぶ。息子は学校でいじめに遭い、夜の仕事仲間のケイちゃんはDV彼氏から虐げられている(しかも、幼い頃は父から強姦されていたという過去も持つ)。

 

どれくらい良子たちが酷い目に遭っているかについては、千原ジュニアさんの動画を見ていただいた方がわかりやすいと思う。良子たちを虐げる存在が列挙されているのだ。こうして整理されてみると、過酷な物語だったなぁと改めて実感してしまう。


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良子たちに襲いかかる理不尽の数々を見ていると、旧約聖書の『ヨブ記』について思い出してしまった。

ヨブ記』では古より人間社会の中に存在していた神の裁きと苦難に関する問題に焦点が当てられている。正しい人に悪い事が起きる、すなわち何も悪い事をしていないのに苦しまねばならない、という『義人の苦難』というテーマを扱った文献として知られている。

 

引用元:ヨブ記 - Wikipedia

 

ヨブ記』では信心深いヨブのもとに不幸が次々に舞い込む。原因はサタンが神に「ヨブは信心深いが、理由なしに信じているのでしょうか?」とささやいたことだ。ヨブから財産や健康を奪い、それでもなお彼が神を呪わずにいられるかを試すため、サタンはヨブに厄災をもたらす。もちろん、きっかけがきっかけだから、神による救いが訪れるわけもない。

最初は厄災にも負けず神を信じていたのだが、遂には「自分は間違いを犯していないのになぜ」と神への申し立てをするようになる。だが、神から怒りの言葉を受け、ヨブは神を疑ったことを悔いるようになる。

 

この件については、あまり詳しくない私の間違っているかもしれない説明よりも、Wikipediaを読んでもらった方が良いかと思う。

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ヨブ記』について、佐藤優『悪の正体』では以下のように言及されている。

 悪に直面したとき、なぜこの世は善なる神がつくったものなのに、悪があるのだろうか、そんな難問が立ちはだかります。けれども、悪に対する神の責任などを考えること自体、ヨブが犯した過ちだということです。悪は厳然として存在します。

 しかし、その悪は神の力によって必ず滅ぼされるものである、だから、一人ひとりの人間は、自分がやるべきと思うことをただひたすらに貫いていくしかない――聖書はこう説いているわけです。

 

引用元:佐藤優『悪の正体』、朝日新聞出版

 

作中で、良子とケイちゃんが勤める風俗店の店長が、過去に勤務していた女性について語る。彼女もケイちゃんのように実父に強姦されて育ち、風俗に勤めている頃はリストカットを繰り返していたという。

店長は言う。

だけどさぁ、そうまでして何で生きるのって、俺思っちゃうんだよねぇ。

だって意味ないじゃん、苦しんで生きるのは。

「苦しい人生をなぜ生きるのか」は、『茜色に焼かれる』におけるテーマだと私は思う。理不尽な不幸に苦しむ令和のヨブたちに、「なぜ死んでしまわないのか。苦しんで生きることに意味はあるのか」という問いは何度も投げかけられる。

 

パート先から理不尽な理由で解雇され、信じていた人間から裏切られる。良子たちは世間のルールを守っているのに、ルールは良子たちを守ってくれず、むしろ排除にかかる。中盤にはかすかな希望が――生きるためのモチベーションが生まれてくるのだが、それですらひとつひとつ丁寧に踏みにじられていく。

 

にもかかわらずなぜ生き続けるのか。その答えはラストシーンの良子の言葉として表れる。聞く人によっては、「そんなしょうもない理由で?」と思われてしまうような理由。だが、良子たちはそんなしょうもない理由だけで理不尽な世界を生きようとする。そんなしょうもない理由が、強さを与えてくれる。

ヨブがたどりついた結論と同じように、良子たちの結論にも理屈の欠片もないように思える。だが、理屈を超えた言葉にならないものの強さも感じずにはいられない。

 

コロナ禍に限らず、理不尽な出来事は人生について回るもので、私もしょっちゅう「どうして私がこんな目に?」と考えたりもするのだが、それについての救いになるもののひとつが、理屈を超えた何かなのではないかなぁと感じた。

 

 

夫という理不尽

ここからは余談として読んでいただきたい。

 

観賞しているうちに、ふと、良子の苦難の大半をもたらしたのは夫なんじゃないかと思った。生前から夫の稼ぎはたいしたものではなかったとのことなので、おそらく夫の死によって稼ぎ頭を失い、経済的にダメージを受けたというのはそこまでなかったのではないかと思う。

義父の施設費と愛人の娘への養育費についての言及が多かったので、恐らく良子の家計を圧迫しているのはこの二つがメインだろう。そして、二つともが夫由来の支出である。

良子自身も作中で以下のように言っている。

お前は新興宗教に溺れ、女癖も悪く、よそに子どもまでつくってしまった。

本当にどうしようもない男である。正直、良子にとってはコロナ以上の厄災だったのではなかろうかと思ってしまう。

それでも夫が残した義父や愛人の娘を捨てなかったのはなぜなのかを考えてみれば、やはりラストシーンの良子の言葉に集約されるのだろう。理屈にならないしょうもない理由で厄災を背負い、同時に理屈にならないしょうもない理由によって生きる力を与えられる。

そんな良子の姿に、なにか尊いものすら私は感じたのだった。