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『エセルとアーネスト ふたりの物語』ネタバレ感想

※注意!『エセルとアーネスト ふたりの物語』のネタバレがあります。

 

 

子供の頃、『さむがりやのサンタ』の絵本が好きで、何度も何度も読んでいた。その作者レイモンド・ブリッグズ原作の映画ということで、興味を惹かれて『エセルとアーネスト ふたりの物語』を観賞した。


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絵本のタッチを再現した映像が見事だった。主人公夫婦の家の素朴であたたかみのある描写も良かったが、1928年の夜のロンドンの光景も良かった。ネオンがきらめく街の中を二階建てバスやタクシーが走っている様子のおしゃれなことったら!絵本的なタッチとCG技術の融合にうっとりさせられた。

 

 

あらすじ

あらすじは以下の通り。

1928年、ロンドン。貴婦人のメイドとして働く少し昔気質で生真面目なエセルはある日、陽気で楽天的な牛乳配達のアーネストと出会い、2年後に結婚。ロンドン郊外のウィンブルドン・パークに小さな家を25年ローンで購入する。大理石の柱に、鉄の門、風呂に水洗トイレまでついて、希望に満ちた新婚生活が始まる。
3年後、待望の息子レイモンドが誕生。その成長を見守る一家の幸せを、戦争の影が脅かす。しかしつらい日々の中にも、レイモンドが疎開先から送ってくる手紙や、つかの間の再会が、ふたりに喜びをもたらしてくれる。

 

1945年、終戦。レイモンドは、グラマースクールに合格し新しい制服も新調して、エセルは大喜びだ。しかし青年へと成長したレイモンドは美術の勉強をしたいと言いだし、両親をがっかりさせてしまう。50年代から60年代へと社会の変化は加速し、ブリッグズ家にも電話、冷蔵庫、TVなど多くの電化製品が登場する。1961年、レイモンドが独立し、ふたりだけの時間が訪れる。しかし、紅茶を飲みながら交わされる夫婦の会話は、日々の細事から政治、経済にまで及んで、楽しいおしゃべりには終わりがない。1969年、人類が月に偉大な一歩を記す頃、ふたりに老いが忍び寄っていた…。

 

引用元:映画『エセルとアーネスト ふたりの物語』オフィシャルサイト

 

 

平和な日常に忍び寄る戦争という非日常

「普通の夫婦の物語」と言われている通り、どこにでもいる人の、誰にでも起こりうるような出来事の積み重ねによるストーリーとなっている。

1928年にエセルとアーネストは出会い、結婚。序盤は新婚の二人の生活が描かれる。新居に少しずつ家具を入れたり、日曜大工で家具を造ったりして、徐々に自分たちの家へとつくりかえているシーンは見ていて本当に楽しかった。やがて息子のレイモンドも生まれ、質素ながらも幸せな生活は続いていく。

 

だが、そんな生活の中に不穏な兆しが見え始める。新聞の記事やラジオのニュースが報じるヒトラーの動向。最初は他国の戦争の話だったのに、やがてイギリスも戦争状態に突入し、やがてロンドンにも空襲に見舞われるようになる。

この日常から戦争という非日常へ、いつのまにか切り替わっていく感じが、リアルだった。新聞が報じる「ナチス政権の誕生」から始まり、徐々にアーネストたちの身の回りにも変化が生じていく。イギリスが戦争状態に突入し、愛息子のレイモンドは疎開することになり、泣く泣く別れることになる。さらに二人が自分たちの好みに整えた家には防空壕ができ、お気に入りだった玄関の鉄柵は回収され、果てには空襲の被害も受けるようになる。

そんな中でも特に夫のアーネストは陽気に振る舞っているのが、見ている身からすると救いだった。もちろん、アーネストが元気でいられるのも、エセルの支えあってこそだろう。しばしば喧嘩をしながらも、夫婦は戦争中でも冗談を言い合い、寄り添い合う。

だからこそ、戦争が激化によって陽気だったアーネストが疲弊し、泣き出すシーンは印象的だった。当たり前だが、あくまでも普通の人の物語だから、戦争が起こったと言っても、敵と闘ったりするわけではない。ひたすら翻弄されるだけだ。理不尽な戦争に巻き込まれ、それでも絶望しないように弱音を吐くことなく生きていく。そんな彼らの心が折られた瞬間、というのがアーネストが泣き出したシーンに凝縮されていたように思う。

 

 

徐々に老いていく二人

というように戦争中のシークエンスについての感想を述べてきたが、個人的にはそれ以上に後半のエセルとアーネストが徐々に老いていく過程が見ていて辛かった。

疎開先から戻ってきたレイモンドが徐々に成長し、思春期を経て青年へとなっていく。わかりやすく姿が変わっていくレイモンドと並行して、少しずつ少しずつエセルとアーネストの見た目にも変化が生じる。アーネストの頭髪が薄くなり、エセルの茶色の髪も気がつくと褪せた色に。家の中の光景も、電話が引かれたり、テレビが置かれたりと、時代の移り変わりに合わせて変わっていく。

 

確かにエセルもアーネストも若いころに比べて老いつつある。でも、まだ二人は元気だ、大丈夫だ、と思って観賞を続ける。気がつくと、自分の親を観ているような気分でエセルとアーネストを見ていた。

婚約者の前でレイモンドに髪を梳かすよう小言を言うエセルに、導入したばかりの電話がいつ鳴るかワクワクして待っているアーネストに、私自身の父や母が重なっていく。

まだ大丈夫。二人とも年は取ってきているけれど、まだ元気だ。大丈夫。そんなことを考えながら本編を観ている間にも、徐々に徐々に、二人に人生の終わりが近づいてくる。前半部分で気がつくと日常から戦争という非日常に切り替わっていたように、後半では気がつくとエセルとアーネストに人生の終末期がやって来る。

 

あれだけ若かったエセルが車椅子を使うようになり、やがて認知能力も衰え、命を終える。残されたアーネストのもとにも、ある日突然、死が迎えにやって来る。エセルの少しずつ弱ってから死に至る過程も、アーネストの前触れもなく発作に襲われて死ぬ様子も、どちらも見ていて辛かった。エセルとアーネストに親を重ねて見ていたと同時に、私自身を重ねずにもいられなかったのだ。いずれ、私と夫もエセルとアーネストのように年を取り、体の衰えに悩まされながら、死んでいく。まだまだ先の話ではあるが、幼い頃から今に至るまでが意外にあっという間だったことを考えると、私も気がつくと老いており、遠からず来る死を待つようになっているのかもしれない。

そんなことを考えずにいられないほど、エセルとアーネストの物語は誰にでもあるような普遍的な話だった。そこには自分や自分の親や、私が今まで出会った人、出会ったことのない人、すべての物語が詰め込まれていた。

 

個人的には、一番最後のシーンでレイモンドが口にした言葉がキツかった。このセリフを聞いた瞬間、ぐわっと心を抉られ、「ああ、そうだ。親っていうのは、こういうものだ」というのを思い知らされた。

正直、親との間に軋轢が生じたことは何度もあったし、今でもわだかまりに感じている出来事も沢山あるが、同時に感謝してもしきれないことも数え切れないぐらいにあって、時には私の思いつかないような形で私のことを思ってくれることを知ることもあって。何というか、何と言えばいいのかわからないが、そういうポジティブな感情もネガティブな感情も、レイモンドのセリフで一気に甦ってきたのだった。親が小うるさくて、わずらわしくてたまらないと私が思っているそのときにも、私は私の親の娘だったんだな、と思ってしまったのかもしれない。

 

 

最後に

なんだか最後は自分語りになってしまったが(おかげで自分でも何を言っているのかわからなくなってしまったが)、それほどに自分の姿をエセルとアーネストやレイモンドに投影せずにはいられない作品だった。現在、両親が高齢者となってしまった身にはキツい描写が沢山あったが、それだけに何度も心を揺さぶられた。何の変哲もない二人の人生だからこそ、私にとって忘れられない映画になったと思う。