映画っていいねえ。本っていいねえ。

映画や本の感想など。ネタバレ全開なので、ご注意ください。

最近観た映画の感想を手短に書いてみる(ネタバレあり)

またまた更新が滞りまして、申し訳ありません。二週間近くサボっていると、すっかり文章を書く感覚も鈍ってしまいまして(言い訳)。

今回の記事は、リハビリも兼ねた短文感想を連発するようなスタイルで行ってみたいと思います。ここ最近観た中で、記憶に残った作品をピックアップしてみました。

ネタバレありの感想なので、ご注意を。

 

 

ファンタスティック・プラネット

フランスとチェコ合作によるアニメ作品。セルとかCGアニメに慣れた身には、面食らうような表現の数々に圧倒された。本当に絵本が動いているような感じ。とはいえ、ファンタジーとかメルヘンという雰囲気ではなく、ただただ不気味なSF物である。

魚人のような見た目のドラーグ族が支配している、とある惑星が舞台。人間らしき生物もいるにはいるのだが(オム族)、完全にドラーグ族にとってのペットや害虫のような扱いだ。主人公はオム族の少年テールで、最初はドラーグ族の一家にペットとして飼われているが、やがて知識を身につけた彼は脱走し、ドラーグ族と敵対するようになる。

 

テールの知識が増えるごとに、テールたちを縛りつけている世界の外が見えてくる。外へ外へと広がっていく世界観が面白かった。

なかなか不気味なテイストに面食らうが、一見の価値はあると思う。


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『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』

クレヨンしんちゃん』映画シリーズの中でも白眉と評される作品。

クレしんだからこその表現が詰まっていたように思う。例えば序盤、春日部の大人たちが敵に洗脳され、しんちゃんたち子供を放り出してしまうシーンがあるのだが、この辺りの描写を観ながらクレしんで良かったと何度も感じた。大人たちの言ってしまえばネグレクトのような行為、大人たちのいなくなった町で権力を振るう子供が出てくる等、これだけでも一本の鬱映画ができてしまいそうな展開。それでも、しんちゃんだから何とかしてくれそうな一種の安心感があったから、必要以上に鬱にならずに済んだのは有り難かった。

逆に、クライマックスでしんちゃんが敵の野望を止めるため、全身ボロボロになるシーンもある。どんなときでも飄々としているしんちゃんが、弱り切って、傷だらけで、それでもなお敵に立ち向かう姿は、クレしん映画だからこそ、余計にグッと来てしまった。

 

泣ける映画と絶賛されている通り、涙腺に来る展開が多い。ただ、それでもクレしんならではのギャグが差し込まれ、必要以上に湿っぽくならないようにしてくれているところも良かった。

 

 

ジーザス・クライスト・スーパースター ライブ・イン・コンサート』

2018年のジョン・レジェンド主演版。

ジーザス・クライスト・スーパースター』を観るのは、これが初めて。以前の記事で語ったように、個人的には宗教とアイドル推しは切っても切り離せないと考えているので、こういうアプローチはとっても好み。

nhhntrdr.hatenablog.com

 

ジーザスを尊敬しているのに、不信感を抱いてしまうユダの姿が良かった。この作品で一番好きなのはユダかも。

ヘロデ王役はアリス・クーパー。メタ的に見ると、スーパースターであるアリス・クーパーが、ジーザスのスーパースターとしての資質を見極めようとしているように見える演出が良かった。しかも、ジーザスを煽るだけ煽った後は、観客(エルサレムの民に見立てられている)にアピールしたりして、まさにスーパースター。

後で検索してみると、他のバージョンのヘロデ王は途中でムキになってジーザスを罵倒するような展開になっているのね~。やっぱり、色々バージョンがある作品って、比較するのが面白い。

 

カーテンコールがジーザス復活のように見える流れにも痺れた。

 

 

『沈黙-サイレンス-』

遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督作品。

すごくズガンと来た、としか現段階では言えない。まだ言語化できる段階にない。何回も観る必要がありそうな作品。

 

 

『最後の誘惑』

もう一本、マーティン・スコセッシ監督のキリスト教物。

こちらもまだ、あれこれ感想を言える段階ではない。『沈黙』と同じく、もっと咀嚼する必要があるので、感想は保留で。

 

今言えることは、

デヴィッド・ボウイのピラト様、超かっこいい!

やばい!トーガをさらりと着こなすボウイ。あー、ローマ人なボウイが新鮮だわ~!『ジーザス・クライスト・スーパースター』のピラト総督が迷い人なら、こっちのピラトは揺るぎのない人。わかっていて汚れ役を務めている感じが良い!良いです!

 

人間としてのイエスを描いているためか、母マリアですら神聖性のない描写だったのにも驚かされた。こういう言い方は何だが、本当にただのおばさんみたいな描き方というか何というか。

ジーザス・クライスト・スーパースター』もそうだが、一人の不完全な人間が神的なものに祭り上げられるのって大変だなぁ、と(私にはカリスマ性とかないので、完全に他人事のような言い方になってしまって申し訳ない)。