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親しい人にとって重要度の低い存在になることの悲劇について。ドラクエ11Sをプレイしながら考えてみた。

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※注意!『ドラゴンクエスト11』『ドラゴンクエスト11S』のネタバレがあります。

 

 

相も変わらずドラクエ11のプレイは続いている。一時期の「自由時間はすべてドラクエに費やさねば!」「寝る暇があればドラクエをせねば!」といった中毒患者のような状況は脱したが、それでも定期的にゲームを起動しては、ガツガツとモンスターを倒し、しゃこしゃことストーリーを進めるのであった。

今は四周目。裏ボス(ニ◯◯ル◯◯)を倒すと、また最初から始めたくなる。何度やっても面白いものは面白い。制作陣の皆様、神ゲーをありがとう。できるものなら、すべての記憶を消した状態で一から始めたいものだ。ドラクエ8のときも同じことを言っていたな…。

nhhntrdr.hatenablog.com

 

 

 

それはさておき。過去記事に書いた通り私はグレイグが好きなので、彼に関するメインイベントになると特に力が入ってしまう。最後の砦~デルカダール城突入イベントと、11Sで追加になった「グレイグとホメロス」イベントのことだ。この辺に差し掛かるといったん冒険を中断し、邪魔の入らない深夜を待つ。そして、酒をちびちび飲みつつ夜更けにイベントを楽しむのである。

 

さて、今回はその「グレイグとホメロス」イベントについて、少しばかりくっちゃべりたくなったので、まとまりのない文章を書き連ねていきたいと思う。

 

 

 

イベント「グレイグとホメロス」についての雑感

ドラクエ11を知らない方のため、軽く当該イベントについて前提を含めてざっくりと説明させていただく。

 

グレイグとホメロスはデルカダールという国を代表する将軍だ。二人は幼馴染で、兄弟のように仲が良かった。少年時代から共に研鑽を積み、いずれ二人でデルカダールを支えようと誓い合っていた。

しかし、グレイグがホメロスに先んじて出世するなどの出来事が重なり、ホメロスの心に嫉妬が生じる。そこを魔族につけこまれ、ホメロスは魂を売る。その後、ホメロスは改心する機会のないまま、紆余曲折の末に命を落としてしまう。

イベント「グレイグとホメロス」では、非業の死を遂げたホメロスの影がデルカダール城内に出現したところから始まる。グレイグは主人公である勇者と共に影を追う中でホメロスの真意を知り、この世に未練を残したかつての友と対峙することになる。

 

 

当初、私はホメロスが闇堕ちしたのはグレイグへの嫉妬ありきだと解釈していた。特典のボイスドラマで二人の少年時代を描いたエピソードがあるのだが、兵士としての格はホメロスが上だったと描写されている。

かつて自分より劣っていたグレイグが、いつの間にか自分を追い越して栄光を掴む。その妬ましさはいかほどのものだったか。更には友人の出世を喜べないという後ろめたさもあったかもしれない。それらの感情が混ざり合った結果、ホメロスの心にグレイグへの憎しみが生じたのだと私は思ったのだった。

 

ただ、何度か繰り返しプレイしているうちに、ホメロスの中にこういう感情が生まれていたたのではないかという気がしてきた。それは、グレイグの世界から疎外されるのでは、という恐怖や焦りだ。

 

 

ここで別の作品を取り上げてみたい。テレビアニメ版『バトルアスリーテス大運動会』という作品だ。

こちらもざっくりとした説明をさせていただく。

 

『バトルアスリーテス大運動会』は、人類の宇宙進出後の未来を舞台に、「大運動会」というスポーツ大会を目指して訓練する少女たちの物語だ。少女たちはそれぞれの惑星にある訓練校に所属しており、その中から選ばれた数名が大学衛星入学、その後、更なる選抜を経て大運動会への出場資格を得ることができる。

よういどん

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主人公の神崎あかりは落ちこぼれで、常に同期の少女たちに置いていかれるような存在だ。皆に呆れられ馬鹿にされてもあかりは発奮するどころか、いじける始末。

そんな彼女を叱咤激励するのが親友の柳田一乃である。訓練校の中でもトップクラスの一乃は、大学衛星進学の有力候補とされていた。ビリに甘んじるあかりに対し、一乃は「一緒に大学衛星に行こう」と訴え続ける。

そんな中、あかりにとってショックな出来事が起こり、彼女は自分の故郷へと逃げ出してしまう。一乃は慌ててあかりを追い、訓練校に戻るように説得する。一悶着あったものの、一乃の思いは届き、あかりは自信をつけ訓練校へと帰還する。

その後、あかりは今までの醜態が嘘のように才能を開花させる。皆の注目を集め、大学衛星進学の可能性も生じてきた。しかし、あかりが台頭したことで、一乃の大学衛星進学が危ぶまれるようになる。あかりへの嫉妬が抑えられない一乃。葛藤の末、どちらが上かをはっきりさせるため、一乃はあかりに勝負を申し込む。徒競走で雌雄を決するつもりだった一乃だが、競技の途中で足を骨折し、大学衛星への選考会出場が絶望的になる。それでもなお一乃はトラックを這いずりながら「あかりと一緒に大学衛星に行く」と叫び続けるのだった。

 

 

長々とあらすじを書き出してみたのは、ホメロスと一乃が重なったためである。

一乃の場合も、私は嫉妬ありきだと解釈していた。だから、一乃が負傷した足を引きずって「あかりと一緒に大学衛星に行く」と叫ぶシーンを、どこか不可解に感じていた。あかりに負けた悔しさが先に立つべきではないのか、と思ったのだ。

ただ、先日改めて見直したときに、一乃も「あかりの世界から疎外される恐怖」を感じていたのではないだろうかと感じるようになった。

 

「あなたの人生の主人公はあなた」といった感じの言葉をよく聞く。Aさんの人生における主人公はAさんだし、Bさんの人生における主人公はBさんだ。同時にBさんはAさんの人生における脇役であり、逆も然りである。脇役と言っても様々あるわけで、親密な友人からちょっとした知り合い、果てにはすれ違っただけの相手も含まれる。

例えばAさんはBさんのことを親友だと思っていたとする。となると、BさんはAさんの物語における重要人物だ。だが、BさんはAさんのことをそれほど親しい仲だと思っていなかったとしたらどうだろう。AさんはBさんの物語においては、モブキャラに近い位置づけの存在というわけだ。いや、下手をするとAさんはBさんの眼中に入っていない可能性だってある。その場合、AさんはBさんの物語において、モブどころか存在しない人間にも等しい。AさんはBさんの世界から疎外されたのだ。

 

先ほどから使用している「◯◯の世界から疎外される(された)」という表現、これは三浦しをんさんの『シュミじゃないんだ』の一節に影響を受けたものだ。

この中で三浦さんは、失恋について以下のように書いている。

自分をフッた相手の世界から、「私」は永遠に閉めだしを食らう。それが失恋の苦しみの所以だ。

 

引用元:三浦しをん『シュミじゃないんだ』、新書館

 

この表現に出会ったとき、ものすごく腑に落ちる思いがした。同時に、恋愛だけでなく友人関係でも似たようなケースってあるのではないかと思ったのだった。

 

幼馴染として一緒に過ごしてきて、同じ世界を共有していたと思っていた友人が、進学や就職、結婚を機に世界が広がり、自分を置いて新たな世界へと行ってしまう。追いかけようと(もしくは引き留めようと)しても、友人はすでに違うステージに立ってしまい、そこで新たにできた仲間と自分の知らない世界を作り上げてしまった。

そんなときに感じる疎外感。友達と思っているのは自分だけで、相手にとっての自分は「疎遠になった元友人」というモブキャラに近い存在でしかない。

ホメロスも一乃も、こういった感情を抱えていたのではないだろうか。そこに相手への嫉妬も絡んでくるわけで、精神的にがんじがらめでどうしようもない状態になってしまうのも無理ないなと思ってしまう。

 

こういった感情があったからこそ、最後になされたホメロスからグレイグへの問いかけは、「今でも自分を友と呼んでくれるか」といったものだったのだろう。そして、グレイグが肯定したことで、ホメロスはようやく成仏することができたのではなかろうか。

 

作中、複数回にわたって「なぜお前は先を行く」というホメロスの言葉が提示される。これは自分を追い越したグレイグへの嫉妬だけでなく、グレイグに置き去りにされる恐怖も含まれていたように思う今日この頃なのだった。

 

 

余談

その一:感情を拡大させる存在

余談だが、ちょっとしたネガティブな感情を拡大させるのがドラクエ11世界における悪なのではないかと思う。誰にでも悪の種はあるが、だからといって皆が悪の種を発芽させるわけではない。むしろ、大多数の人が発芽させずに人生を送るはずだ。

ただ、普段は体内で大人しくしている病原体が、体が弱り免疫力が低下すると猛威を振るうように、精神的に追い詰められることで些細なはずだったネガティブな感情が悪魔的な心にまで発展してしまうのだろう。

ホメロスの事例を見ていると、私は布を思い浮かべてしまう。その布には1ミリ程度の穴が空いてしまった。まだ小さい穴だから、今のうちなら修繕も可能だ。だが、そこにかぎ針を突っ込んで穴を広げてしまったら。気がつくと穴は指先ほどの大きさになる。その穴をさらに指でぐりぐりと広げてしまえば、もう修繕も難しいだろう。

ドラクエ11における魔王の存在は、そんなかぎ針や指先のような存在に思えてしまうのだった。

だとしたら、勇者はその対極となるような存在ということになるのだろう。吹けば飛びそうなほどの微かな希望を燃え上がらせてくれるのが、11の勇者なのかもしれないと思ってみたりした。

 

その二:対話というモチーフ

余談その二。ドラクエ11では頻繁に対話の大切さが表現される。友達と喧嘩をして落ち込む子供時代の勇者に対し、母が「相手ときちんと話をするように」と諭すシーンがある。その後も、お互いに言葉足らずだった親子が改めて語り合うシーン、物理的に対話が叶わずすれ違いに終わった悲劇等々、胸襟を開いて語り合うことの重要さが繰り返し語られる。グレイグとホメロスの関係も然り。

最終的な敵は、無垢で純粋な「悪そのもの」として描かれる。病原体には病原体なりの生存戦略があって我々人間を宿主としているように、作中の敵も生きるために悪を広げようとする。

「悪そのもの」に屈するのは、上で述べたような免疫力が低下して発病してしまう状態に近いのかもしれない。

ドラクエ11において、悪に屈しないための処方箋として提示されたのが、相手との対話と対話を通じた理解なのかもしれない。作中屈指の名言として挙げられる、勇者の祖父テオによる「人を恨んじゃいけないよ」という言葉は、そこに繋がっているのではなかろうか。

 

その三:ホメロスは何故ゾルデを援護しなかったのか?

余談その三。世界の異変後に荒廃したデルカダール城で勇者たちとホメロスが対峙するシーン。魔族としての姿を披露したにも関わらず、ホメロスは勇者とグレイグに襲いかかることなく、その場を去ってしまう。おいおい、君がいればゾルデは負けずに済んだのに、と思ったりもしたが、上でつらつら書いたことを踏まえて考えてみる。

グレイグの世界から疎外される恐怖に苦しめられていたホメロスは、自ら魔族になることで自分の世界からグレイグを閉め出した。これによって、表面上の満足を得られたのではなかろうか。身も蓋もない言い方をすれば、別れが近い恋人同士における「相手からフラれる前に、自分からフってしまえ」的な心境に似たものというか。

自分の世界から疎外した以上、グレイグにはこだわるほどの価値はない。だからホメロスは二人の前から去ったのだった。

 

…という純度100%の妄想でした。適当に聞き流してください。メタ的に考えれば、主人公とNPCグレイグのパーティでは、ゾルデとゾルデの影と戦うだけでいっぱいいっぱいだからですよね。この状態でホメロスまで参戦してきたら、勇者たち全滅不可避だよなぁ…。

それはそうと、デルカダール城を去ったホメロスは、勇者とグレイグをゾルデに任せて、自分は最後の砦を襲いに行ったのだろうか?

 

 

 

ホメロスと同じ苦しみを描いていると個人的に思うのが、早見和真『イノセント・デイズ』。

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※『ドラクエ』に関する記事まとめ

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