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キム・ハドソン『新しい主人公の作り方』――女性的ストーリーを生きる「ヴァージン」という主人公像

物語は大きく「男性的なストーリー」と「女性的なストーリー」の2種類に分かれるらしい。これは主人公が男性か女性かという違いではない。男性的なストーリーというのは「ヒーローの旅」であり、女性的なストーリーとは「ヴァージンの自己実現」であるとキム・ハドソン氏は述べている。

 

今回はハドソン氏の著作『新しい主人公の作り方』で取り上げられているアーキタイプ「ヴァージン」について、ごちゃごちゃ考えてみた記事である。

あくまでもこれは一般人が脚本論の書籍を読んで考えてみたものに過ぎないので、脚本論の勉強をしたい方々には何の参考にもならないことをあらかじめ断っておきたい。

 

 

 

 

 

 

ヒーローの旅

さて、「ヒーローの旅」「ヴァージンの自己実現」とは何ぞやという話になる。

 

「ヒーローの旅」とは、『ドラゴンクエスト』シリーズや『スターウォーズ』シリーズ(特にエピソード4~6)に見られるような英雄譚である。

男性的なストーリーの主人公であるヒーローは、平穏な村で暮らしている。だが、悪の存在の手により村に危機が訪れることで、ヒーローは悪を倒すために旅立つことになる。その途中で仲間を得たり、試練に遭遇しては成長を繰り返していく。最終的にヒーローは悪の本拠地へたどりつくが、そこで命の危機に遭う。すんでのところで助かったヒーローは危機の中で得た教訓をもとに黒幕に立ち向かい、遂に悪を倒し、世界に平和をもたらす。

 

ストーリーの開始時、ヒーローは居心地の良いコミュニティで安全に暮らしている。だが、いつまでもそこにいさせてはもらえない。外の世界に旅立ち、成長をしなければならないのだ。ヒーローのコミュニティと外の世界には境界線が存在し、旅を始めることはその境界線を越え、外の世界に移動することを表す。

大塚英志氏の『ストーリーメーカー』では外の世界を「「死者」の国」であると表現している。ヒーローのコミュニティは此岸であり、外の世界は彼岸なのだ。

 

「ヒーローの旅」で示されたパターンというのは、もともと神話学者ジョゼフ・キャンベルが世界中の神話に共通している構造を『千の顔を持つ英雄』でまとめたものが土台となっている。それを脚本家向けにブラッシュアップした理論がクリストファー・ボグラーの『神話の法則』である。ボグラーはこの本の中で、「ヒーローの旅」を12のビートに分けている。

  1. 日常の世界
  2. 冒険への誘い
  3. 冒険への拒絶
  4. 賢者との出会い
  5. 第一関門突破
  6. 試練、仲間、敵対者
  7. 最も危険な場所への接近
  8. 最大の試練
  9. 報酬
  10. 帰路
  11. 復活
  12. 宝を持っての帰還

 

引用元:クリストファー・ボグラー著、岡田勲監訳『神話の法則 ライターズ・ジャーニー 夢を語る技術』、ストーリーアーツ&サイエンス研究所

 

ビートの名称を見ているだけで、ドラクエ的なヒーロー譚が思い浮かんでくると思う。映画や小説など物語は星の数ほどあるが、男性的なストーリーは上記の骨格のもとに肉付けされたものなのだ。

 

 

 

 

ヴァージンの自己実現

「ヴァージン」物語の構造

一方、女性的なストーリー「ヴァージンの自己実現」の主人公であるヴァージンは、物語開幕時には抑圧された環境にいる。抑圧された環境とは、シンデレラのように奴隷として搾取されている状況もあれば、周囲から「こういう人間になれ」と一方的な期待を押しつけられているような状況もある。それゆえ、ヴァージンは本来自分が持っている才能や美点を発揮できずにいる。

 

ハドソン氏はヴァージンがいる環境のことを「依存の世界」と呼ぶ。ヴァージンは生きるため、誰かの庇護を必要としている。子供は親の手がなければ生きていけないし、シンデレラは継母と主従の関係にいる。ヴァージンは依存の世界で生活を送っていける代わり、「服従の代償」として自分の才能を発揮できない状況にいる。

 

そんなヴァージンに才能を発揮できるチャンスがやって来る。だが、依存の世界の人に知られると、邪魔をされる可能性がある。だから、ヴァージンは内緒で自分が輝ける場所へ足を踏み入れる。ここが「秘密の世界」だ。しばらくヴァージンは依存の世界と秘密の世界を行き来しながら、ひそかに成長していく。

 

だが、いつまでも依存の世界と秘密の世界の両立が上手く行くわけがない。ヴァージンの成長が依存の世界の人々にも知られてしまう。その結果、ヴァージンは依存の世界に留まるのか、秘密の世界を選ぶのか、選択肢を突きつけられる。秘密の世界を選べば、ヴァージンは依存の世界の人々に愛されなくなるかもしれない。その恐れを乗り越え、ヴァージンは自分が輝く世界を選択する。結果、ヴァージンはありのままの自分として輝けるようになり、物語は終幕を迎える。

 

13のビート

キム・ハドソン氏は「ヴァージンの自己実現」に共通する構造を、以下の13のビートに区分した。

  1. 依存の世界
  2. 服従の代償
  3. 輝くチャンス
  4. 衣裳を着る
  5. 秘密の世界
  6. 適応不能になる
  7. 輝きの発覚
  8. 枷を手放す
  9. 王国の混乱
  10. 荒野をさまよう
  11. 光の選択
  12. 秩序の再構築(レスキュー)
  13. 輝く王国

 

引用元:キム・ハドソン著、シカ・マッケンジー訳『新しい主人公の作り方 アーキタイプとシンボルで生み出す脚本術』、フィルムアート社

 

個人的に一番重要に案じられたのが「枷を手放す」だ。それまでは依存の世界に居場所を残した上で秘密の世界を楽しむという、一種の甘えが生じている状態だったヴァージンが、依存の世界への甘えを捨てるのが、このビートなのだと思う。依存の世界を捨てるということは、もう誰の庇護も求められない。辛く苦しいものだが、それこそが大人になるということが、大人になるということなのだろう(自分で書いていて耳が痛い…)。

 

『コーダ あいのうた』

ここで『コーダ あいのうた』を例に出してみたい。※ネタバレがあるのでご注意を。

 

主人公ルビーは歌の才能を持っているにもかかわらず、家業である漁業の道に進むことになっている(依存の世界)。ルビーの家族ロッシ一家は彼女以外がろうあ者であるため、外部との交渉のためには健聴者であるルビーが必要だ。そのため、ルビーには歌の道へ進むという発想が端からない(服従の代償)。そんな彼女が合唱クラブの先生に歌の才能を見いだされ(輝くチャンス)、先生の個人レッスンのもとで歌の才能を磨いていく(秘密の世界)。

 

だが、ルビーの家族は独自に漁業組合を作ることになり、ルビーは漁業と歌のレッスンの両立が難しくなる(適応不能になる)。ある日、ルビーは家族に歌の道に進みたいと宣言する(枷を手放す)。ルビーと家族に軋轢が生じたことで、ロッシ一家は漁業の継続が困難になってしまう(王国の混乱)。罪悪感に駆られたルビーは家族のため、歌の道を諦めることにする(荒野をさまよう)。

 

だが、兄の叱咤や父の理解のもと、ルビーは音楽大学の選考に参加する(光の選択)。当初、ルビーは自信のない状態で力なく歌っていたが、会場に紛れていた家族の姿を発見し、手話を織り交ぜながら彼らにも届くように歌を歌う(秩序の再構築)。ロッシ一家はルビーなしでも外部の人々とやりとりをするようになる。ルビーは選考に合格し、大学入学のために家族のもとから旅立つ(輝く王国)。

 

 

『コーダ』の場合、「衣裳を着る」というビートは選考会でのルビーの着飾らない格好がそれに当たると思う。ルビーはそれまで周囲の目を気にしていた。「しゃべり方が変なのではないか」「家族や自分が周りから馬鹿だと思われているのではないか」と考えていた彼女が、その恐怖を乗り越えてありのままの姿になったという象徴が、あの普段着なのではないだろうか。

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その他「ヴァージン」物語

ほかにも『シング・ストリート』もヴァージンの物語として挙げておきたい。歌の好きな少年コナーが、父権的な学校の中で抑圧されながらも、ロックバンドの仲間を集め、曲を作っていくという話である。

歌をはじめとする芸術は魂の象徴だ。そのため、抑圧的な世界に対するアンチテーゼとして、芸術が素材になるヴァージン物語が多いように思う。過去に記事にした『キャンプ・ロック』もヴァージンの話だ。『コーダ』のルビーと同じく、『キャンプ・ロック』の主人公ミッチーも歌の世界を目指しているが、華やかな同期メンバーの中で自信が持てずにいる。そんな彼女が挑戦や挫折を繰り返す中で自分への自信を取り戻し、舞台の上で「これが私」と歌うシーンがクライマックスとなる。

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物語の構造について

悲劇的な展開の作り方についての私見

物語とは「日常の世界」から始まり、「非日常の世界」に足を踏み入れた主人公が成長し、また「日常の世界」に戻っていくという流れを取る。ヒーローの場合、非日常の世界は死者の国であり、命の危険にさらされるリスクのあるものなのだが、逆にヴァージンにとっての非日常の世界は本来の自分の才能を発揮できる楽しい世界というのが、対照的だし興味深いと感じる。いずれにせよ、ヒーローもヴァージンも非日常の世界で(象徴的な意味で)大人に成長しなければならない。ヒーローは「甘えを捨て、誰かのためになる人間になる」こと、ヴァージンは「他人の意見に流されず、意志を持った人間になる」ことが成長の結果なのだろう。

 

 

もちろん、すべての物語がハッピーエンドに終わるわけではない。『新しい主人公の作り方』の中では、実際の作品の流れをヒーローまたはヴァージンのビートに当てはめているのだが、作品によってはビートの役割がひっくり返ってしまった「アンチステージ」となっていることが示されている。上に書いた『コーダ』のあらすじで、ルビーが歌の道を諦め、漁業を続けることを選んだ部分を「荒野をさまよう」に当てはめたが、ここは同時に「枷を手放す」のアンチステージでもあると思っている。

『コーダ』の場合は兄の叱咤や父の理解があり、ルビーはきちんと輝く王国に至ることができたが、作品によってはその後もアンチステージが続いたりもする。ハドソン氏がピックアップした作品のうちのひとつが、後半に怒濤とも言えるアンチステージの連続で、最後は悲劇的な終幕を迎えているのが印象深かった。なるほど、ヒーローもヴァージンも、バッドエンドを作りたい場合、意図的にアンチステージを取り入れると良いのかもしれない。特にヴァージンの場合、「枷を手放す」をアンチステージにすることで、悲劇的な展開への勢いがつくように思う。

 

ヒーローとヴァージンが同時に存在する物語

ハドソン氏によれば、作品によってはヒーローとヴァージンが入り乱れたりすることもあるのだという。例えば、ヒーローが主人公の物語に、相手としてヴァージンが出てくる。ひとりの主人公がヒーローとヴァージンの役割を併せ持つ等。

 

前者だと私は『アナと雪の女王』を思い出す。この物語の主人公はアレンデール王国の王女アナと女王エルサの二人。それまで平和だったアレンデール王国が雪に閉ざされたため、国や民を救うために立ち上がるアナはヒーローだろう。一方、幼い頃から不思議な力を持ち、それを他者に知られないように抑圧されてきたエルサはヴァージンと呼んでいいと思う。

 

後者は『モアナと伝説の海』だろうと思う。モアナはモトゥヌイという村で暮らしている。村長の娘である彼女は、いずれ父の後を継ぐことを周りから期待されている。だが、モアナ自身は島の外に広がる海に飛び出したくて仕方がない。皆の期待に応えようとしているのに、海への憧れが捨てられない序盤のモアナはヴァージンだと言えよう。やがてモトゥヌイの村に危機が訪れ、モアナは村を救うために魑魅魍魎が跋扈する海(外の世界)へ旅立つ。ここからのモアナはヴァージンであると同時に、ヒーローの役割も兼ねるようになっている。

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最後に

この記事を書くにあたって、自宅にあるブルーレイやDVDを調べてみたら、圧倒的にヴァージンタイプの物語が多かったので、私の好みはこっちなのだろうなと思う。

ただ、ヴァージンは「本来の自分を取り戻し、輝く」という流れのせいか、扱い方によってはげんなりするような作品に出会ったりすることもある。個人的に嫌いなのが「主人公が大したこともしていない。やることといったらうじうじ悩むだけ。そんな主人公がクライマックスで誰かに承認されることで、自分への自信を取り戻してハッピーエンド」という流れの作品。このタイプの作品を観たときは「金と時間を返せ!」とついつい憤ってしまう。まあ、このタイプはヴァージンの物語というより、窓辺系と呼んだほうがいいような気もする。

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今後、このヴァージンという概念を踏まえて語ってみたい作品がいくつかあるので、今回は長々と書いてしまった。前提の記事が完成したので、非常にスッキリ。いつになるかはわからないが、いずれポツポツとヴァージン物語の感想も書いていきたいと思う。