2023年1月16日現在『戦場のメリークリスマス』が上映中だ。先日は5時間にも及ぶ配信イベントがあったし、13日の上映開始以降は東京や横浜のタイアップ店舗で戦メリにちなんだフードやドリンクが楽しめるようになっている。今『戦メリ』が熱い。『戦メリ』祭りだ。
というわけで、私も劇場で観賞してきた。何しろ祭りの最中だ。乗るしかない、このビッグウェーブによぉ!
さて。久しぶりにスクリーンで『戦メリ』を観ていると、「これは理屈じゃねえ」「理屈を超えている」という言葉が自然に何度も何度も浮かんできた。改めて観ても『戦メリ』はよくわからないな、と思う。わからないから、過去に三回ほど長々と感想を書き散らかすことで、自分の考えを整理しようと図ってみた。
それでも、やっぱりわからない。わからないけれど、とても良い。心惹かれるし、大切な作品だ。まあ、それでいいのかな、と諦め半分、開き直り半分でそう思う。『戦メリ』の良さは理屈じゃないのだ。
そもそも登場人物からして、理屈から外れているのが『戦メリ』という作品だと思う。いつだったかも、どこでだったかも忘れたが、「人の感情なんて理不尽なもの」という文章を目にしたことがある。言われてみれば確かにそうなのだが、改めて言語化されてみることで、かなりショックを受けたし、同時に目から鱗が落ちる思いもした。
確か村山由佳さんの小説だったかな。主人公のモノローグで「僕は箇条書きで彼女を好きになったのではない」的な内容のものがあった。まさにこれだ。人の感情が理不尽であり、それだからこその美しさが表れていると私は思う。
ヨノイがセリアズに惹かれることにしたって、かなり理不尽だ。そもそもヨノイにとってのセリアズは、厭わしく思う要素しかない。
- 敵軍の人間
- 俘虜(生きて虜囚の辱めを受けている)
- 日本人には理解不能な行動原理に基づき行動している
- 収容所内で問題ばかり起こす
これだけ嫌いになる要素を持っているセリアズに、それでも惹かれてしまう。それぞれの要素が分厚い壁として何重にも立ちはだかっているというのに、「何故かわからないけれど惹かれる」という感情は、分厚い壁を易々と壊してしまう。
ロレンスにしたってそうだ。自分に容赦なく暴力を振るうハラを、それでも憎めない。何故だか好きになれる。ハラにしたって同じことだ。ロレンスが如何に腑抜けであるかを挙げ連ね、何かというと殴りつけるのに、心の底ではロレンスを認めている。
ここまで書いて、ふと『ジョジョ・ラビット』のことを思い出した。ナチス政権下のドイツを生きる少年ジョジョは、純粋なヒトラー信奉者で、ナチスの教えを素直に信じている。「ユダヤ人は大昔、魚と交尾した」「ユダヤ人は金の亡者」「アーリア人はユダヤ人よりも優秀」等々。ジョジョは大人たちに教えられた通り、箇条書きでユダヤ人を憎悪していた。そんな折、彼はユダヤ人の少女エルサと出会い、彼女と交流することで、今まで積み上げていた偏見が崩れていく。箇条書きでユダヤ人を憎んでいたジョジョが、それでも何故かエルサに惹かれて仕方がない。彼女を守りたいとすら思ってしまう。
この映画でもデヴィッド・ボウイに泣かされたな…
そんなこと絶対に起こってほしくはないが、万が一、私が戦争に巻き込まれるようなことがあるとしたら。そのときはやはり敵への憎悪を煽り立てるような箇条書きの情報がもたらされるのだろう。私はきっと、箇条書きの情報に呑み込まれてしまうはずだ。そんなときに私を救ってくれるのが、理屈を超えたものなのだろうと思う。
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