※注意!ほったゆみ、小畑健『ヒカルの碁』のネタバレがあります。
今年で『ヒカルの碁』20周年だそうで、うわぁ、もうそんなに経つのか、早いなぁ、私も年を取るわけだ、と思った次第である。
かつて囲碁ブームを巻き起こしたこの作品。これをきっかけに囲碁を始めた人も多く、中にはプロ棋士にまでなった人もいる。芝野虎丸九段もその一人だ。
あれ、私も『ヒカルの碁』のゲームは買ってプレイしたんだけどなぁ。悲しいぐらいに私の棋力は上がらず、恐らく作中最弱クラスであろう、あかりちゃんに勝つことすら難しいと思われる。
とはいえ、『ヒカルの碁』は囲碁のルールが分からずとも読んでいて面白い。重要なルールは都度わかりやすく説明をしてくれるので、登場人物が何に驚いているのか、読者もきちんと理解できるようになっている。
「俺TUEEEE」的な序盤
あらすじは以下の通り。
運動好きで頭を使うことが嫌いなごく普通の小学校6年生である進藤ヒカルは、祖父の家で古い碁盤を見つける。碁盤の血痕に気づいたヒカルは、その碁盤に宿っていた平安時代の天才棋士・藤原佐為(ふじわらのさい)の霊に取り憑かれる。非業の死を遂げたという佐為はかつて棋聖・本因坊秀策にも取り憑いていたという。囲碁のルールも歴史も知らないヒカルであったが、「神の一手を極める」という佐為にせがまれて碁を打ち始める。以降、佐為はヒカル以外には姿も見えず会話もできず、物を動かすことすら出来ない存在であることを前提に物語は進む。
『ヒカ碁』の序盤は所謂「俺TUEEEE」的な面白さがある。囲碁を全く知らない少年ヒカルの体に平安時代の碁打ち・藤原佐為が憑依。佐為の指示に沿って碁を打つことで、ヒカルは現代の手練れですら太刀打ちできない打ち回しを見せる。特に佐為と出会った直後のヒカルは、佐為の超絶的な強さを理解していないので、誰かに勝つたびに「なんだか知らないけど、勝ったぞ?」ぐらいのノリだ。というわけで、「またオレ何かやっちゃいました?」的な可笑しみもある。
ヒカル(佐為)の強さに驚いているのは、囲碁教室や碁会所でくだを巻くおじさんばかりではない。偶然、ヒカルは同い年の碁打ち・塔矢アキラと出会い、対局する。このアキラという少年、年齢こそは小学六年と若いが、プロに近い実力を持つ。そんなアキラにヒカルは易々と勝ったことで、ヒカルはアキラにライバル視されるようになるのだった。
ヒカルはアキラのライバルを目指す
当初はアキラの囲碁への情熱にドン引きしていたヒカルも、やがてその姿に感化されるようになる。自分も碁を打ってみたい。ヒカルは自分でも囲碁を始めてみるが、佐為の指示で打っていたときとは違い、全く話にならない。それでも進学した中学校の囲碁部で棋力を高め、彼は囲碁大会で再びアキラとの対局に挑む。ヒカルとして、どれだけアキラと戦えるかを確かめようとした一局だが、やはり歯が立たない。それどころか、アキラに「ふざけるな!」と怒鳴られてしまう。
本編を見ていると、うっかり「アキラはヒカルを追いかけている」と思いがちになるが、よく考えずとも、アキラが追いかけているのは佐為である。アキラや他の人間はそれに気づいていないが、当のヒカルは痛いほどに感じているのだ。佐為を見つめるアキラの目を自分に向けたい。アキラのライバルになりたい。
挫折を経験してなお、ヒカルは諦めない。アキラがじきにプロ棋士になると知れば、日本棋院の院生になろうと試験を受ける。辛うじて試験を突破し、院生になった後も、苦難は続く。プロ予備軍の院生たちの強さを打ち破れず、停滞してしまうのだ。
落ち込み、自分の不甲斐なさに怒り、それでもヒカルはアキラのライバルになることを目指し続ける。1~17巻までの「佐為編」は、「ヒカルがアキラのライバルになれるのか」という問題がテーマとなっている。
佐為とのすれ違い
ヒカルは棋力を高め続け、彼を侮っていた周りの人間を驚かせる成長を遂げる。だが皮肉なことに、ヒカルが成長することで、佐為との溝が生まれてしまう。
佐為は、ただ碁を打ちたかった。生前にたどり着けなかった「神の一手」を今度こそ成し遂げたかった。
「神の一手」は佐為だけでは成し遂げられない。同じくらい強い相手が必要だ。彼が対局を熱望したのが現代のトップ棋士で名人位の塔矢行洋。アキラの父親だった。
何とかして塔矢行洋と対局したいと佐為は願う。だが思いに反して、プロ棋士たちは徐々にヒカル本人に注目するようになる。佐為として碁を打てる場が、少しずつ狭まっていく。
ヒカルがプロ棋士になったのをきっかけに、二人の間に軋轢が生まれ始める。プロの世界に入って希望に燃えるヒカルと、碁を打てなくなる恐怖に怯える佐為。さらに、佐為は自分の存在自体が消えかかっていることに気づき始める。
ヒカルは親殺しを果たした
佐為の不安が頂点に達するのが14巻。佐為は念願叶って、塔矢行洋とネット碁で対局する。塔矢行洋の全力に対し、佐為自身も十二分に応えることができた。その末の勝利に、彼は喜びを覚える。そんな矢先のことだ。ヒカルが佐為に、塔矢行洋が別の打ち方をしていたら逆転していたと指摘する。佐為はそこで悟るのだ。
今 わかった
神は この一局をヒカルに見せるため
私に千年の時を長らえさせたのだ
引用元:ほったゆみ、小畑健『ヒカルの碁』14、集英社
このときのヒカルの笑顔が辛い。ヒカルはただ、一瞬だけでも佐為や塔矢行洋の上をいけて嬉しかっただけだろう。だが、これは親殺しだったのだ。ヒカルが至高の一局を見たことで、佐為のこの世での役割は終わった。
アニメ版は全体的にエンディングの入り方が神がかっているのだが、このエピソードは特に素晴らしい。先述の佐為のモノローグが語られる中、shela「Days」へとなだれ込む。この歌自体が、過ぎ去ってしまった昔を懐かしむ内容なので、余計に涙が止まらなくなってしまう。
やがて佐為は消え、そのときになってようやく、ヒカルは事の重大さを思い知り、自分への怒りと後悔を叫ぶ。
佐為に打たせてやればよかったんだ
はじめっから……
誰だってそう言う
オレなんかが打つより佐為に打たせた方がよかった!
全部!全部!全部!
引用元:ほったゆみ、小畑健『ヒカルの碁』15、集英社
無自覚に親殺しを果たしたヒカルは、強烈な自己否定に至る。彼は碁を打つのをやめた。自分が碁を打っていると、佐為が戻らない。根拠もなく彼はそう思い込み、囲碁から遠のく。
だが、奇跡は起こらない。ヒカルにとって世界は残酷だ。たとえ涙を流して天に願っても、佐為は戻ってこなかった。ヒカルはますます殻に閉じこもる。
棋士仲間が、中学の囲碁仲間が、ヒカルを心配する。アキラですら、なぜ打たないのかとヒカルを問い詰める。それでもヒカルは自分自身の囲碁に存在価値を見いだせずにいた。
ヒカルが如何にして再び碁を打つようになったのかは、16巻と17巻にかけて語られる。親殺しを果たし、後悔に暮れる少年が行き着いた結論はぜひ実際に読んで確認していただきたい。とにかく『ヒカルの碁』佐為編はヒカルの成長物語として一級品なのだ。
天才・塔矢アキラのライバルになるためにヒカルは成長し、その代償として佐為を失う。子ども時代を終え、大人になるにあたって経験する痛み、苦しみが『ヒカルの碁』には詰まっている。
北斗杯編について
さて、第二部にあたる北斗杯編(19~23巻)についてだ。北斗杯編はファンからの評価も分かれるところで、蛇足だと感じるという人も少なくないようである。かく言う私もそうだった。
特にラストの「え?ここで終わるの?」感はすさまじく、その内容はヒカルが国際試合で敗北し、号泣して終わりというものだ。さらに読者を混乱に突き落とすのが、最後のモノローグである。
………
聞こえるのですか?
私の声が―――
聞こえるのですか?
引用元:ほったゆみ、小畑健『ヒカルの碁』23、集英社
これは1巻で佐為がこの世に蘇る際、ヒカルに語りかけたモノローグと全く同じものだ。あれ?どうして佐為がしゃべっているの?蘇るの?その割には後日譚の読み切りでは、蘇ったような気配もないし。……という感じで、私は頭をひねっては納得できずにいたのだった。
ただ、何年も何年も寝かせた上で久しぶりに読んだとき、件のモノローグ直前で棋士のひとりが言った言葉にハッとした。
遠い過去と遠い未来をつなげる?
そんなの今生きてるヤツ誰だってそうだろ
棋士も囲碁も関係ナシ
国も何もかも関係ナシ
なぜ碁を打つのかも なぜ生きてるのかも一緒じゃないか
引用元:ほったゆみ、小畑健『ヒカルの碁』23、集英社
ああ、なるほど。件のモノローグは藤原佐為その人のものではない。我々にとっての「佐為的な存在」からのメッセージだったのだ。思えば佐為編の頃から、人から人へ意志をつなぐというメッセージの布石は打たれていた。
誰かから別の誰かへ、バトンは受け継がれていく。それは佐為からヒカルへのバトンだけでなく、読者である我々も、誰かから何かしらのバトンを受け取っている。それを気づかせるための最後のモノローグだったのだと思えるようになった。
そう思った上で最終話のサブタイトルを見てみよう。「あなたに呼びかけている」の「あなた」とはヒカルだけのことを指しているのではない。私たちも含まれていたのだ。私たちそれぞれが、自分にとっての佐為的な存在に呼びかけられているというタイトルだったわけである。
最後に
しかし、恐ろしい作品だ。面白い漫画を読もうと思って夢中になって読みふけっていたら、最後には自分までバトンの受け渡しに巻き込まれているのだから。
「友情・努力・勝利」のジャンプ漫画的な王道展開を楽しみつつ、それを超越したメッセージまで受け取れてしまう。『ヒカルの碁』は後世に残るべき傑作だ。
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