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『魔法にかけられて』ネタバレ感想――おとぎばなしの王子様と現代のバツイチ弁護士。ディズニープリンセスが選んだのは?

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※注意!『魔法にかけられて』のネタバレがあります。

 

『魔法にかけられて』の続編『Disenchanted』が2022年に配信決定とのことで、今からワクワクしている。日本公開は2008年だったので、14年ぶりかと感慨深い気分だ。

 

 

 

 

 

予告編に腹筋を持って行かれた

2008年3月に日本で公開されたディズニー作品『魔法にかけられて』。

その前年、私はクリント・イーストウッドの『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』を観に、せっせと映画館へ通っていた。そこでノーマークだった『魔法にかけられて』の予告を目にしたのだった。

 

『魔法にかけられて』は雑に説明すると、「ディズニーアニメの住人たちがアニメと実写の壁を越えて、現代のニューヨークにやって来た!」な映画である。夢の世界に生きる、少々頭がお花畑なディズニーアニメの住人と、現実主義なニューヨークの人々とのちぐはぐなやりとりが面白いのだ。

私は予告編で主人公のジゼルが公園のまっただ中で歌い出し、弁護士のロバートに「歌はいいから歩こう」と窘められるシーンで笑いをこらえるのに必死だった。さらにダメ押しのように、伸びやかに歌う王子が背後から自転車に激突されるシーンが来て、ノックアウトされた。おかげで劇場まで観に行くことになったのだった。

 

予告で笑い殺されそうになったのは、このほかには『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル』ぐらいだ。余談になるが、この予告編もすごかった。『アンナと王様』を観に行ったときのことで、私が入った回の客層は中高年が多く、かなり落ち着いた雰囲気の人たちで占められていた。

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そんな中で流れる『クレヨンしんちゃん』!

予告の終盤、しんのすけはジャングルの中をターザンのように蔦から蔦へと飛び回る。最後に彼はシュタッと地面に飛び降りるのだが、その先にあったのは尖った岩。岩の先端がしんのすけのお尻に突き刺さり、ジャングルにしんのすけの絶叫が響き渡る――

不意打ちで食らったこのシーンに、私だけでなくお上品なおじさま、おばさま方まで忍び笑いを漏らしていた。

 

 

話が横にそれてしまった。

今回は私が予告編で殺されかけた『魔法にかけられて』について語りたいと思う。

 

 

ディズニー作品の住人が現実世界にやって来た!

あらすじは以下の通り。

アニメーションの中の美しい王国アンダレーシアで暮らす心優しいジゼル。夢にまで見たエドワード王子との結婚式の日、ジゼルは魔女に騙され、恐ろしい世界へと追放される。たどり着いたのは、ロマンティックな“おとぎの国”とは正反対の“現代のニューヨーク”だった!大都会の冷たい人たちに戸惑うジゼルを助けたのは、現実主義でバツイチの弁護士ロバート。動物と話し、ところ構わず歌いだすジゼルに驚き、時にうとましく思うロバートは、彼女と過ごすうちにその素直で心優しい姿に惹かれていく―。しかし彼女を追って現代にやってきたエドワード王子やその家来、更にジゼルを罠に陥れたナリッサ女王の登場で、ニューヨークの街は大パニックに・・・

 

引用元:魔法にかけられて|ブルーレイ・DVD・デジタル配信|ディズニー公式

 

先ほども述べたとおり、『魔法にかけられて』の面白さは「ディズニーアニメの住人たちの常識と現代のニューヨーカーの常識のギャップ」にある。ディズニーアニメの住人たちって、何かあると歌うよな。あれ、実際にやっている奴がいたら変だよな。我々が普段から思っていたことを、当のディズニーが自虐ネタとして惜しげもなく笑いに昇華していく。

 

そもそもディズニープリンセスのドレス姿からして現代ニューヨークにはミスマッチなのだ。もうジゼルがニューヨークに着いた瞬間から面白い。きらびやかなウェディングドレス姿のジゼルはさっそく奇異の目にさらされる。もともと魔女に騙される形で来たものだから、彼女は元の場所に帰ろうと必死だ。「お城はどこ?誰か知らない?」と声を上げるが、誰一人ジゼルの相手をせず、彼女は人並みに呑み込まれ、地下鉄の駅へと押し流されてしまう。

 

 

ジゼルの行動は理解不能!?

何とかジゼルは通りかかった弁護士ロバートと娘のモーガンに助けられる。だが、ロバートは超絶的な現実主義で、ジゼルを頭のおかしい娘だと勘違いしてしまう。まあ、無理もないよなあ、とは思う。身元について訊こうとしても、あのディズニープリンセス的ノリで「王子様と結婚するとこだったの。お城に戻りたいの」なんてことを言われたら、だいたいの人ができるだけかかわりたくないと思うはずである。

 

しかもロバートに泊めてもらった翌朝、ジゼルは家の中が散らかっているのを見て、掃除を始めてしまうのだ。ディズニープリンセスの掃除といえば、そう!動物たちと協力しながらの「お掃除」だ!

ジゼルの呼びかけにニューヨークの街中から、ハトやらネズミやら、果てにはゴキ○リまで集まり、皆で楽しくお掃除タイム!家中があっという間にピッカピカ!しかし、何も知らないロバートとモーガンが目にしたのは、家の中に現れたネズミたちの大群である。これは現代人にとっての悪夢だ。

 

これに限らず、ロバートから見てジゼルの行動は意味不明なものばかりだ。離婚協議中の夫婦の前で「なんて悲しいことなの」と泣き出したり、家のカーテンを切り取りドレスを自作したり。さらに理解しがたいのが、ジゼルが婚約者エドワードとの結婚を決めたのは、出会ったその日だということだ。

ロバートは離婚経験者だ。愛について冷めた考えを持っている。交際中のナンシーとは結婚も考えているが、だからといって彼女に愛を伝えることは滅多にない。「言わなくても彼女はわかっている」とロバートは信じていた。

 

 

ジゼルが現代人に魔法をかけていく

そんな彼に、ジゼルは「ちゃんと言葉に出して伝えなきゃ」と言う。ロバートが真剣に取り合わずにいると、彼女は公園のまっただ中で「どうすれば、彼女はあなたの愛をわかるの?」といきなり歌い出す。ロバートは恥ずかしがるが、意外なことに公園の人たちがジゼルの歌に魅了されていく。この「That's How You Know」をジゼルが歌うシーンは、ディズニーの世界と現実の世界が混ざり合うシーンだ。ひとり、またひとりとジゼルの歌に加わり、やがてディズニーランドのパレードのように夢にあふれたパフォーマンスへと昇華されていく。

頑なだったロバートも、この出来事をきっかけにジゼルに心を開き始める。現代の人々が魔法にかけられていく。

 

 

ディズニープリンセス・ジゼルから現代人ジゼルへ

また、影響を受けるのはロバートたちばかりではない。ジゼルもニューヨークで暮らす中で、変わり始めていく。

当初、彼女はロバートの言い分に憤慨する。ジゼルとエドワードが出会った初日に結婚を決めたことをあり得ないとされ、普通はデートをくり返し、お互いをよく知るものだと言われたのだ。

 

たしかに王子エドワードとは一目惚れで恋が始まった。だが、ジゼルはニューヨークで思いがけず、ロバートとエドワードの二人と対話を重ねることになる。その上で、彼女の思いは徐々に変化していくのだ。

 

現代ニューヨーカーがジゼルに感化されるのは理解できる。あまりにも現実主義的に生きる現代の我々にとって、ジゼルは忘れていた夢や希望を思い出させてくれる存在だ。

 

一方、夢と魔法の世界で暮らしていたプリンセス・ジゼルはあまりにも一面的な存在だった。悪意を知らず、与えられる運命を素直に受け入れる。そんな彼女がニューヨークで怒りを知り、切なさを経験する。運命の相手だと信じていた男性と時間をかけて語らったとき、彼女は違和感を覚える。ジゼルは「おとぎ話の住人」として定められていた運命を受け入れがたくなってしまう。

 

 

最後に

極端に現実主義だと心が枯れてしまうが、夢を見すぎても何かが物足りない。ジゼルとロバートがコミュニケーションを交わす中で起こる変化を見ていると、現実も夢も、どちらも必要なんだなぁと改めて感じたのだった。

 

さて、続編では15年後の世界が舞台になるという。

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15年が経過し、あのジゼルがどのような姿になったのか、今から楽しみだ。少々ぽけーっとした愛すべきところは変わらずにいてくれると嬉しい。

 

 

 

サントラも必聴。ジゼルが公園で歌う曲「That's How You Know」の多幸感は素晴らしい。「Happy Working Song」を聴きながら掃除をすれば、私たちもディズニープリンセス気分だ!

 

 

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