※注意!映画版『私をくいとめて』のネタバレがあります。
名タッグが帰ってきた!
綿矢りさと大九明子が再びタッグを組んだ!なんと喜ばしいことだろう。この二人が起こす化学反応はマジですごい。
前作『勝手にふるえてろ』は傑作だった。こじらせ女子・ヨシカの七転八倒ぶりが面白く、そして良い意味でもぞもぞした。ヨシカのこじらせ方が、あまりにも身に覚えがあるものなのだ。飲み会の雰囲気にうんざりし、外に抜け出して「ファーック!ファックファックファックファーック!」と呟くヨシカ。なんでひとりきりのときの行動がいちいち漫画臭いんだ。自分の過去を思い出しちゃうじゃないか!傷を抉らないでくれ!
ただでさえアクの強い綿矢ワールドの登場人物が、大九監督の手により、「ぶっ飛んでいるけど、どこかで見たことのある痛々しい人物」へと変化する。その姿が面白い、そして身につまされる。
『勝手にふるえてろ』は楽しみながらも、己の心が痛くなる、名作コメディだった。
そして、今回の『私をくいとめて』である。期待に違わない作品だった。
殻に閉じこもり、みつ子はおひとり様をエンジョイする
あらすじは以下の通り。
おひとりさまライフがすっかり板についた黒田みつ子、31歳。
みつ子がひとりで楽しく生きているのには訳がある。
脳内に相談役「A」がいるのだ。
人間関係や身の振り方に迷ったときはもう一人の自分「A」がいつも正しいアンサーをくれる。
「A」と一緒に平和な日常がずっと続くと思っていた、そんなある日、みつ子は年下の営業マン 多田くんに恋をしてしまう。
きっと多田君と自分は両思いだと信じて、みつ子は「A」と共に一歩前へふみだすことにする。
のっけから、主人公みつ子はひとりごとを呟く。かっぱ橋において先に存在したのはカッパだったのか、橋だったのか。普通なら一笑に付されそうなみつ子の言葉に答える優しい男性の声。これがみつ子の脳内相談役「A」である。
Aは男性のように思えるが、彼はみつ子自身だと自称する。みつ子もそれを認めており、自分自身であるAに対し、ほかの人には訊けないような質問を投げかける。
「そこにいるだけで愛されるような人間になりたい」
都合の良いみつ子の質問にも、Aはバカにせずに優しく答えてくれる。みつ子のしゃべり方について、「無機質なしゃべり方かと思えば、ネガティブなときだけ感情が出る」と指摘し、さらにはアドバイスも寄せる。
「もっとプラスの言葉を形にして、感情を乗せるのです」
そう、みつ子は感情に殻をかぶせている。本来持っている親しみやすい性格を隠し、会社では目立たないように過ごす。彼女が仲良くしているのはたったひとり、先輩のノゾミだけだ。友だちもいない、彼氏もいない。だが、みつ子は今の生活に満足している。Aとのやりとりがあるから、おひとり様の生活が楽しいのだ。Aがいるから、みつ子はどこにでも行ける。おひとり様難易度の高い焼き肉屋ですら楽しめる。
脳内相談役「A」という存在
誰かと深くつき合わなくとも満たされていたみつ子に、問題が生じる。取引先の社員・多田に恋をしてしまったのだ。みつ子は戸惑う。他人との距離の取り方がわからないから、多田とどう接していいのかわからない。多田の言葉を必要以上にネガティブに解釈し、彼との仲の進展を絶望視する。その都度、Aはみつ子を励まし、多田にアプローチするように背中を押してくれるのだった。
だが、誰かとつき合うということは、気楽なおひとり様生活の終わりでもある。みつ子は今の生活を変える覚悟を決められない。誰かといっしょにいるより、Aといるほうがラクだし楽しいと彼女は思う。
さて、このAとは何者なのだろう?
私は彼を「みつ子自身が抑圧した本音」だと思う。人との付き合い方がわからないから、みつ子は「存在感のない人間」の皮をかぶっている。誰かから失礼なことを言われても、怒ることはなく、呑気を装う。
そんな皮の下で、彼女の激情はふくらみ、噴出寸前まで渦を巻いている。時折、彼女は昔経験した出来事を思い出し、言えなかった怒りをAに対してぶちまける。行き場のない激情を何とかくいとめているのが、みつ子という人間だ。彼女は過激な下着を買いそろえており、作中でAに「誰に見せるわけでもないのに」と突っ込まれている。
それに対するみつ子の答えが面白い。「ひとに見せようと思ってないし」
過激な下着は、みつ子の激情の象徴だ。あくまでも服の下に纏い、誰にも見せない。だが、着々と彼女が言うところの「攻撃的な」デザインを買い続ける。
攻撃的な性格を見せたくないから、誰とも深くつき合わない。だが、心の奥底では納得しきれていない。みつ子のジレンマを背負って生まれたのが「A」なのではないだろうか。
みつ子は変化を恐れる
Aは、みつ子にもっと相手に心を開くように説き続ける。本心では、みつ子は誰かとふれ合いたくて仕方がない。だが高度に発達しすぎたAの存在がみつ子を結果的に甘やかし、今いる自分ひとりの空間から動けなくさせている。
変わることは辛く、苦しい。みつ子は中盤、結婚してイタリアに渡った親友・皐月のもとを訪ねる。イタリアに馴染み、新たな生活を送っている皐月に対し、みつ子はぎこちない態度を取る。かつては同じように夢かなわず、一緒にくだを巻いていたのに、ひとりだけ遠くへ行ってしまった。皐月は変わってしまった。そんな思いが、みつ子を頑なにさせる。
だが、皐月も苦しんでいた。急激に生活が変わり、それを受け入れるので精いっぱい。皐月は自身が暮らしているアパートから出られずにいた。変わることは苦しい。日本から遠く離れた結果、皮肉なことに皐月は自分の場所から動けず、外に出られなくなった。
Aとの別れ
帰国後、みつ子は多田との仲を深めていく。遂には付き合えるようになるが、彼女は戸惑う。多田が好きなのに、いっしょにいるのが苦しい。コミュニケーションをどのように取ればいいのか、どのように感情を出せばいいのかがわからない。いっそ、おひとり様の方がラクだったと、みつ子はAに向かって泣き叫ぶ。
終盤のみつ子の慟哭シーンの迫力は筆舌に尽くしがたいものがある。のんさんの演技の凄まじさも合わさり、自分自身を変革させることの難しさや恐ろしさを感じさせてくれる。Aとずっと一緒にいたい。だが、このままAとの会話という名の「ひとりごと」をくり返していたら、自分は壊れてしまう。みつ子は絶叫する。
「誰か私をくいとめて!」
このままAとの生活は続けられない。みつ子がどのようにAとの暮らしを終えたのかは、ぜひ本編で確認していただきたい。
ただひとつだけ、述べさせていただきたい。私はAはいなくなったのではなく、みつ子の中へと融合したのだと思っている。海というのは無意識の象徴だと言われている。形あるAではなく無形の存在として、みつ子の心の中に溶け込んでいったのだ。
最後に
いつでも自分の味方をしてくれる存在がいるのは心強い。ましてや、Aはみつ子自身なのだから、誰よりも理解を深めやすい。いや、理解を深める手間すら不要だ。
だが、そのままでは自分を取り巻く世界は硬直してしまう。ふれ合いたい他者とも、無味乾燥な関係が続く。
みつ子は新たな一歩を踏み出した。多田との関係において、これからも苦難はあるかもしれない。だが、自分の中に溶け込んだAとともに、みつ子は多田との対話をくり返していくのだろう。
ちなみに、みつ子の勤める会社は実在の企業・テーブルマーク株式会社である。作中でもたびたび冷凍お好み焼きのパッケージやたこ焼きのぬいぐるみが出てきて、食欲が刺激されることこの上ない。本編を見終わった後、ストックしていたテーブルマークのお好み焼きをレンジでチンして、おいしくいただいた。
豚モダン、おすすめです!
現時点では原作未読。ただ、映画を観て俄然読みたくなってきた。あのストーリーを綿矢りさの文章で味わいたい!彼女の文章センスは唯一無二だと思う。
食べるものに困っても、テーブルマークの冷凍食品があるじゃないか!