※注意!『えんとつ町のプペル』、『君の名前で僕を呼んで』のネタバレがあります。
すみません、更新をサボっていました。基本的に気まぐれな人間なので、更新の頻度にムラが出てしまうのがいけないなぁと反省しております。今後も気まぐれ更新で続けていくことになりそうですが、どうぞよろしくお願いします。
さて、今回は軽めの感想を書いてみました。
『えんとつ町のプペル』
正直なところ、原作者・西野亮廣さんのあれやこれやを聞いていたので、かなり偏見を持った状態で観賞した。ライムスター宇多丸さん風に言えば、「当たり屋」である。「畜生!クソ作品見せやがって!酷い目に遭ったじゃないか!」と観賞後にぶつくさ言うつもりだった(イヤな観客だな…)。
色々と粗は見えたが、決して悪い映画ではなかった。あくまでも私の好みに沿って述べていくので、普遍的な評価基準に沿ったものではないことを念頭に置いて読んでもらえると幸いだ。
まず、粗について。かなり要素がとっちらかっているように感じた。下の動画で言及されている通り、作中のイベントが多い。序盤からして、主人公ルビッチがゴミ人間のプペルと出会ってすぐに、ピンチに次ぐピンチに襲われたりする(『天空の城ラピュタ』の序盤と『スターウォーズ エピソード2』のドロイド工場がミックスされたような感じで、かなり慌ただしい)。
その後もえんとつ町の成り立ち、ルビッチの父親の夢、異端審問官の存在、ルビッチの高所恐怖症、えんとつ町で働き出すプペル、父の夢を追うルビッチを馬鹿にする友人たち、彼らがきっかけで起こるルビッチとプペルの訣別、等々、覚えている要素だけ挙げてもこんなにある。そして、個人的にこれらの要素がそこまで有機的に絡み合っているように思えなかった。
別に、要素がごちゃごちゃしていて何が言いたいのかわからない映画は他にもあるわけで、『プペル』が飛び抜けてひどいわけではない。ただ『プペル』に関しては諸々の要素をすっきりさせてくれたら、クライマックスでめちゃくちゃ泣かされた気がするので、惜しくて仕方がない。
以下、『プペル』のクライマックスと核心に関わる事項に触れているので、注意していただきたい。
クライマックスで、ルビッチはえんとつ町の人たちに星を見せようと、プペルと共に空飛ぶ船に乗り込む。上空で爆薬を使い煙を消そうとするのだが、火をつけたところで爆薬が船から伸びた鎖の先端に引っかかってしまう。
高所恐怖症のルビッチだったが、危機を切り抜けるため、父の夢を叶えるため、鎖にしがみつき、のぼり始める。それを見守るプペル。実は彼には父親の魂が宿っており、恐怖を乗り越え鎖をのぼっていくルビッチを見て、涙を流す。
苦闘の末、ルビッチは爆薬を鎖から外すことに成功し、遂にえんとつ町を覆う煙が消え去る。星に見惚れるルビッチは、ふと父の声を聞く。そこにはプペルが立っていた。プペルは父としてルビッチをねぎらう。その直後、プペルの体は崩れていき、父の魂が宿っていた核が空へと飛んでいく。ルビッチは涙を拭いて、それを見送る。
個人的にクライマックスの一連の流れが好きだった。だが、ストーリーの流れが「父の夢を追うルビッチ」という要素に集約されていたら、もっとグッと来たんだろうなとも思う。正直、仕立屋でプペルが働く下りや異端審問官からプペルが追われる下りを削って、「皆に馬鹿にされ、苦しい思いをしてなお、父の夢を追うべきなのか」をもっとルビッチに悩んで欲しかった。
さらに、ルビッチの高所恐怖症設定も、いまいち上手く機能していなかったように思えるのも惜しい。確かにルビッチは高いところに行くと足が震えていたが、とはいえ、途方もない高さの煙突に登って掃除はできていたのだ。実際に登れているから充分じゃん、とか思ってしまった。むしろ、ルビッチはまったく高いところに登ることができなくて、そのために前半で大きな失敗を犯してしまったとかのイベントがあれば、クライマックスで鎖を登るときに感動したのだろうなぁと思う。
ぐちゃぐちゃ言ったが、それだけクライマックスシーンにポテンシャルを感じたからということでお許しいただきたい。もっと色んな伏線を重ねて、クライマックスで一気に爆殺させてくれたら、多分、私は滝のような涙を流していた。
個人的に「死者のかつての行いや思いが、生きている者の心を支える」というシチュエーションが好きなので、ルビッチ父の口上が流れる中(父役が落語家の立川志の輔さんであることが、ものすごく上手く生きていると思う)、星空が広がっていくシーンは本当に良かった。
私の結論としては「粗は色々見えるけど、良いところもきちんとある映画」だとさせていただきたい。
『君の名前で僕を呼んで』
まずはじめにごめんなさい。いまいち、この映画にノリきることができませんでした。
多分、主人公エリオの姿が私には脂っこかったのだと思う(映画そのものは繊細でしっとりしているのだが)。思春期だから色々持て余しているわけで、オリヴァーの短パンをかぶっているシーンやアプリコットを使って自慰にふけるシーン(フルーツ・チャンの『三人の夫』を思い出した)、ガールフレンドといちゃいちゃするシーンから溢れ出る性欲とか生命力とか、その他諸々に胸焼けさせられてしまった。
私にはネガティブな方向に働いてしまったが、登場人物の精神性だけでなく、肉体も感じさせる描写というのはこの映画の長所でもあるように思う。何というか、いやらしさではなく過剰な生命力に私はやられたのだ。
などと書いてはみたのだが、それを補って余りあるほど、音楽との融合が素晴らしい作品だったことは強調しておきたい。
エリオがピアノが得意という設定であるため、ピアノの曲がふんだんに使われている。BGMもピアノ曲が多く、シーンによっては不意を突くようなタイミングで流れたりもするのだが、それが意外なぐらいに画面にマッチしている。
エリオは家にやって来た大学院生オリヴァーに反発しながらも惹かれていく。オリヴァーに対してつっけんどんに振る舞った直後、エリオがメモ帳に「キツい言い方をした」などと書いているシーンに「目覚めよと呼ぶ声あり」のピアノ版が流れた時は、エリオの心情と音楽の融合の余りの美しさにクラクラした。
あと、オリヴァーがノリノリになる曲「Love My Way」も良かったっす!
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