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『明日、私は誰かのカノジョ』1~10巻 ネタバレなし感想

よくバナー広告で見かける漫画『明日、私は誰かのカノジョ』(以下『明日カノ』)。読んでみたら、物凄く面白い!一気に最新刊まで読んでしまった。

レンタル彼女、パパ活、ホス狂、配信者の炎上といった、現代ならではのモチーフが散りばめられていて、もはや時代についていけなくなりつつあるBBAは勉強になることが多かった。ちょくちょく知らない単語もあったので、都度検索したりもしましたよ。マジで勉強だなぁ…。

 

「一週間に一度、私は誰かの"彼女"になる」
今、この日本のどこかで存在する恋愛感情を売り物にこの世を生き抜く女達。
そんな彼女らのありきたりの地獄をリアルに描くビターラブストーリー。

 

引用元:STORY | 明日、私は誰かのカノジョ【明日カノ】Information Site | サイコミ | Cygames

「ビターラブストーリー」と紹介されているが、実際に読んでみると看板に偽りなしのビター具合。だが、そのビター具合が小気味良い。

 

 

 

人とのつながりがゴールではない

ところで、この作品のレーベルが「サイコミ×裏少年サンデーコミックス」というのに面食らった。少女漫画かと思い込んでいた。調べてみると、Wikipediaに以下の記述があった。

フリーライターの藤谷千明によると、本作は「厳密には『少女漫画』とはいえない」が、「女性読者からの支持の強さや共感度合い」は安野モヨコの『ハッピー・マニア』や矢沢あいの『NANA』と並ぶのではないか、という[6]。しかしそれらの作品との違いは友人らとの「強い絆」であり、本作は「誰かしらと強い関係を結ぶわけではな」いように描かれている[6]。ライターの加藤藍子は主要人物の共通点として、「自分の心を他人とシェアしよう」とはならず、誰も自分の苦しみをわからないと考え、何者にも頼らずにひとりで苦闘している姿は、ハードボイルドに捉えられる場面もあるが、「幸福そうではない」という[19]。

 

引用元:明日、私は誰かのカノジョ - Wikipedia

 

確かに、画風こそ少女漫画風だが、今まで読んできた少女漫画とは何かが違う。その違和感のひとつとして、上記の引用文にある「誰かしらと強い関係を結ぶわけではない」というところにあるように感じる。確かに『明日カノ』では彼氏ができることがゴールではないし、友人との絆によって問題が解決されるわけでもない。

 

 

現状維持という地獄

本作は章立てのストーリーになっており、章ごとに主人公は異なっている。それぞれが問題を抱え、激化していく問題に翻弄され、あがき苦しむ。で、章末で彼女たちは問題を克服するのかというと、必ずしもそうではない。むしろ、克服しないままというケースの方が多い。

 

以前、主人公が成長しない作品について私なりの所感を書いたことがある。

nhhntrdr.hatenablog.com

この記事で、主人公が成長しない作品をおやつに例えさせていただいた。逆に主人公が苦しんだ末に成長する作品は、朝昼晩の三食だと私は思っている。三食だけだと味気ないから、おやつは欲しくなる。ただ、おやつだけでは生きていけないのでは?という形で記事を締めておいた。

 

『明日カノ』は主人公が変わらなかったという結末が多い。物語の王道パターンというものは、主人公が続けてきた生き方に限界が来たことから話が始まり、現状維持か痛みを伴ってでも変化するかという選択肢を突きつけられた結果、主人公が後者を選ぶという流れだ。だが、『明日カノ』の多くは現状維持のまま終了する。なら、これはおやつなのかというと、私は三食なのだと思う。

 

彼女たちの現状維持とは、徹底的に孤独と向き合うことだ。他者には他者なりの正義や都合、打算があるから、無条件に彼女たちを受け入れてはくれない。自分が望んだ形で自分を理解してくれるとも限らない。

ゆえに、彼女たちの抱える問題が人間関係によって解消されることはないのだ。恋人ができたからといって、ハッピーエンドにはつながらないし、勇気を出して友人に本心を打ち明けたところで、逆に溝が深まることもある。結局、自分の苦しみを受け止めるべきなのは自分自身なのだと実感させられた。他者とつながることで苦しみが緩和されることはある。だが、すべての苦しみの解消をアウトソーシングなんてできやしないのだ。自分で書いてて耳が痛え。

 

取り上げているテーマは現代的だが、主人公たちが抱えている悩み、苦しみ、悲しみは、非常に普遍的だと私は感じる。できるものなら、中高生の頃の私に読ませてやりたい。シャ乱Q「いいわけ」の歌詞を脳内再生しながら、「そうだよ。私が死んでも誰も泣きゃしないだろうよ」なんて拗ねてたあの頃の私に、『明日カノ』は寄り添ってくれると同時に、「甘えんな」と横っ面を張り飛ばしてくれただろう。

 

 

作者の冷静な視線

個人的に『明日カノ』はどの主人公にも肩入れせず、かといって弾劾するわけでもないところが好きだ。Aというキャラが主人公の章で、BがAを傷つけるようなことを言ったとする。だが、Bが主人公の章になると、AもまたBに対して加害者だったのだと知らされる。結局、どの登場人物も人間関係において被害者であり、加害者なのだ。

風俗嬢、整形依存、パパ活など、どの主人公も一般的には宜しくないとされる属性を持っている。そんな彼女たちに対し、やはり作者は肯定もしなければ否定もしない。宜しくない属性だとしても、それが彼女たちにとっての生きる意味なら、それもありなんじゃない?と言っているかのようなスタンス。それがいい。上から目線の批判も、甘ったるい理解も、『明日カノ』には必要ない。

 

 

物語の主人公だからと言って、都合の良い救済は訪れない。彼女たちは孤独という地獄を選び、一人で戦い続ける。だからこそ、読んでいる私の心に栄養として染み込んでいく気がするのだ。彼女たちとは年代も違うし、置かれている状況だって違うのに、なぜか私自身の物語にも思えてくる。まだまだ物語は続いており、どんな着地点に落ち着くのか想像もつかないが、今はただ次の話を読むのが楽しみで仕方がない。

 

 

 

大好きなのは彩。綺麗事抜きの生き方が清々しかった。自分なりの哲学を確立している人って好きだ。ビターな話だとわかっていつつも、彩には幸せになって欲しい。

 

ゆあてゃも可愛くて好き。最初、「これは人名なのか?」と混乱させられたけど、慣れるとこの名前も可愛く思えてくるね。

 

一番共感したのは萌。わかるよ、わかる。自分がモブキャラであることの悲哀。