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極上の英雄譚に痺れた!『ゴジラ-1.0』感想

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※注意!『ゴジラ-1.0』のネタバレがあります。

 

 

 

現在公開中の『ゴジラ-1.0』を観賞してきた。観賞済みの方々の評価が高かったことから、「観なければ!」という使命が急激に湧いてきたのだ。重い腰を上げて行ってきたわけだが、それだけの価値はあったと思う。

 

詳しい作品情報については公式サイトをチェックしていただきたい。

godzilla-movie2023.toho.co.jp

 

 

ところで過去に当ブログで映画監督・三宅隆太さんが提唱した「窓辺系」という概念についての記事を書いたことがある。窓辺系というのはアマチュア脚本家が書きがちなストーリーのパターンの一つで、三宅さんは著書で以下のように表現している。

主人公が極端に内向的で、思っていることを口にしたり、問題を解決するための具体的な行動をとったりすることがなく、かわりに独りで「窓辺」に立ち、物思いに耽ったり、思い悩んだりする場面がくり返し出てくる

 

引用元:三宅隆太『スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』、新書館

nhhntrdr.hatenablog.com

 

窓辺系の何がいけないのかについては、以下の通りだ。

 ところが、『窓辺系』の脚本志望者の多くは、「主人公に共感しすぎるあまり」に、主人公を甘やかしてしまったり、追い込みが足りなくなってしまう傾向があります。

 これでは脚本は前に進んでいきません。

 あるいは、無理にカタチだけで追い込んだ場合には、逆に不自然にテンポ良く前に進み、ウソっぽくなったり説得力がなくなったりします。

 

引用元:三宅隆太『スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』、新書館

 

これを私なりにひと言で言わせていただくと、「ヌルいねん、窓辺系のストーリーは!」といったところか。過去の記事では、

「この通り、主人公は成長しましたよ!」といった感じの描写をしている窓辺系作品をちょくちょく見かけるときに、私が何だかモヤモヤしてしまうのは、象徴的な死というしんどい体験をせずに「成長しましたよ!」と言ってのけるのは狡いんじゃない?と思ってしまうからなのかと思う。

と書いたりもした。

nhhntrdr.hatenablog.com

現実の世界でのいじめは断固反対するが、フィクションの世界における主人公が作者からいじめられる展開は好きだ。多分、三宅さんの書いた以下の文章に影響を受けてしまったのだと思う。

 書き手は少しいじわるな気持ちで、主人公の弱点を積極的に突いていく必要があります。

(中略)

 そうすることで、主人公は「目に見える形」で「何らかの選択」をし、回避行動もしくは対決姿勢を見せるはずです。回避行動をとるようなら、さらに好きなものを踏みにじるか、嫌いなものをこすりつけるようにしていけば良いのです。そうすればいずれ彼や彼女は崖っぷちに追い込まれます。

 追い込まれたら、その人物ならではのプリミティブ(原始的)な欲求が発動し、反転攻勢に出るはずです。

 つまり、「殻」を破るようになる、ということです。

 

引用元:三宅隆太『スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』、新書館

 

 

で、『ゴジラ-1.0』についての話にようやく入るのだが、これが見事に主人公の敷島浩一をいじめていじめていじめまくってくれていたので、私は敷島に申し訳ないと思いつつも、劇場内でアドレナリンを大量分泌させていた。この作品はまさに「非窓辺系」と言えよう。

 

敷島を語る上で外せないのが「サバイバーズ・ギルト」だ。

彼は一回目のゴジラ襲撃の際に怖じ気づいてしまったおかげで、その場にいた人たちを死なせてしまった。戦争が終わり地元に戻ってなお、彼は戦時中の記憶に苦しめられる。典子という女性と出会い、彼女との絆が深まっても、死なせてしまった人々への罪悪感から結婚に至ることができない。罪の意識のあまり、生きること、幸せになることから背を向けてきたのが敷島という男だ。「特攻隊の生き残り」という肩書きも、彼のサバイバーズ・ギルトを強化しているところがよくできていると思う。

 

そんな敷島も、戦後復興の中で新たな職を得てやり甲斐を見出したり、典子からの激励を得たりして、生きようとする意欲が湧いてくる。そんな矢先、因縁の相手のゴジラが現れ、彼のもとに芽吹いた幸せを踏みつぶしていくのだ。

敷島にとってのゴジラは、罪悪感の象徴と言ってもいいだろう。三宅さん風に言えば、「未精算の過去」である。

 過去というものは大きく2種類に分けられます。

「清算済みの過去」と「未精算の過去」です。

「清算済みの過去」は現在にプラスの影響しか与えませんが、「未精算の過去」は違います。

 意識的であれ、無意識的であれ、人間の心を必ず蝕みます。その結果、「未精算の過去」はある心理状況を作り上げていきます。

「心のブレーキ」をかけさせて、簡単には破れない『殻』を構築し、そのひとの心を覆ってしまうのです。

 

引用元:三宅隆太『スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』、新書館

戦うべきときに戦わなかった。その結果、多くの人を死に至らしめた。これが敷島の「未精算の過去」であり、これによって彼は生きること、幸せになることから目を背けるという「心のブレーキ」をかけるようになってしまった。典子たちとの交流により、彼は幸せへ手を伸ばそうとしたが、「未精算の過去=ゴジラ」はそれを許してくれない。きっちり清算せよと言わんばかりに日本へと上陸し、典子のいる銀座を襲う。

 

敷島とゴジラの段階を踏んだ接触も、また素晴らしい。一回目は大戸島の守備隊基地での遭遇。ここで敷島は重い罪悪感を背負うことになる。二回目は戦後、機雷除去の仕事を始めた後のこと。誰かの役に立つ喜びを覚え始めた直後にゴジラは敷島の目の前に現れ、またしても彼の目の前で多くの人々の命を奪う。またしても誰かを死なせてしまうという、敷島にとっての痛い挫折だ。

それでも典子に励まされたことで、彼は暗い過去を振り切ろうとする。結婚こそしていないものの、典子は敷島にとっての新しい家族で、大切な存在になっていた。そんな典子が、ゴジラに殺されてしまう。

罪悪感に苦しんだ末に希望が見えてきたと思ったら、ゴジラによって叩き潰される。二度も繰り返される悲劇。敷島は追い詰められ、臆病だった彼のままではいられなくなる。典子の仇のため、残された人々を守るため、かつて逃げ出したゴジラとの戦いに挑んでいく。

 

物語開始時にはゴジラへの恐怖で嘔吐していた敷島が、クライマックスでは自分が守るべき人々のため、危険もかえりみず戦闘機に乗ってゴジラと戦う。もはや敷島は臆病者ではなく、英雄となった。この過程を丁寧に、説得力を持って描いてくれている。とにかく物語の構成に無駄がない。すべてのシーンが、臆病者・敷島が勇敢な英雄になる過程の構築物として機能している。

いやあ、いい!苦しみの末に変革を遂げる主人公の話は、やっぱりいい!

 

その他にも船を追っかけてくるゴジラが迫力ありすぎで怖すぎて良かったとか、「ゴジラの熱線浴びたらおしまい」感がしっかり描かれていたおかげで終盤の緊迫感が半端なかったとか、「ゴジラのテーマ」が流れるタイミングが神だとか、色々言いたいことはあるけれど、とりあえず観賞直後の感想として取り急ぎ書いてみた。

 

映画館で観るべきとのレビューに背中を押されて映画館に行ってきたわけだが、確かにこれは大画面で観ておくべきだと納得した。とにかく視界を覆ってくるゴジラの姿が恐ろしいのだ。恐ろしくて素晴らしい。ただ、より大きな画面でもっともっと圧倒されたい気持ちもある。これはIMAXで観ろという天からのお達しなのかもしれない。

 

 

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