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『熱血最強ゴウザウラー』を見て、小学生の頃に感じた巨大ロボットへの憧れを思い出した

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※注意!『熱血最強ゴウザウラー』のネタバレがあります。

 

ふと、エルドランシリーズの作品を観たくなって、アマプラの中の有料チャンネルに加入した。そして『熱血最強ゴウザウラー』を観て、タイトル通り血が熱く滾った。

この作品を初めて観たのはリアルタイム放映時で、私はまだ小学生だった。あの頃『ゴウザウラー』を観て感じたワクワク感、巨大ロボットのパイロットになりたいと夢見ていた気持ちを思いだして、非常に心の熱くなる時間を過ごさせてもらった。やっぱり、エルドランシリーズの作品はいい!

 

 

知らない方のために軽く説明しておいた方がいいかもしれない。

エルドランシリーズとはロボットアニメ作品群のひとつで、『絶対無敵ライジンオー』『元気爆発ガンバルガー』『熱血最強ゴウザウラー』の三作で構成されている。*1

三作は世界観を同じくしているが、直接的なつながりはない。ただ、共通しているのが以下の点である。

  • 古の時代から地球を守っていた光の戦士エルドランが、ある日突然現れて、
  • 小学生に巨大ロボを託して(押しつけるとも言う)消えていく。
  • 残された小学生はエルドランに代わり、巨大ロボを操縦して、悪の存在と戦う。

このうち『ライジンオー』と『ゴウザウラー』は、ひとクラスの生徒全員がエルドランから使命を託され、非常時には学校を変形させてロボットを発進させるという点が共通している。ロボットを操縦するパイロット役は数人に限られているものの、残りの生徒たちにも通信役や情報分析役など、後方支援としての役目があり、クラス全員で戦っているという感覚が当時、非常に新鮮だった。

 

 

 

さて、第一作目『絶対無敵ライジンオー』にどハマりしたことについては、過去の記事で書いておいた。

nhhntrdr.hatenablog.com

とにかく『ライジンオー』の衝撃は私にとって凄まじかった。当時、小学生の私にとって、自分と同じ小学生が巨大ロボに乗って戦うというシチュエーションがたまらなかった。いつか自分にもこんなことが起こるかもしれないと夢見て、いつでも戦えるように心構えをしていたものだ。

 

そういうわけで、私は『ライジンオー』に対する思い入れが強い。エルドランシリーズの中では『ライジンオー』が一番好きだ。だが、『ライジンオー』を正統進化させたような『ゴウザウラー』も捨てがたい。今回、超々々々久しぶりに『ゴウザウラー』を観て、あの頃のワクワク感を思い出したし、逆に大人になったからこそ感じたこともあったしで、非常に楽しかった。とにかく私は今、血が滾っている。この感動を書き留めたい。

ということで、今回は「『ゴウザウラー』のここが良い!」というところを列挙させていただいた。

とにかく『ゴウザウラー』は良い!楽しく、そして熱い!YouTubeで第1話が無料で視聴できるので、未見の方は是非一度観て欲しい。30分という時間を割く価値は十分にあるので!

【第1話】熱血最強ゴウザウラー〔サンチャン〕 - YouTube

 

 

 

 

『熱血最強ゴウザウラー』あらすじ

全宇宙を支配しようと目論む悪の帝国『機械化帝国』。機械神の統べるこの帝国が、ついに地球侵略を開始した。帝国の配下、歯車王とその部下ギーグは壊れた機械から『機械化獣』を作り出し、春風町で大暴れする。そのとき、太古から地球を守護する光の戦士『エルドラン』が再び現れた!

 恐竜時代の地球を守るために機械化帝国と戦うエルドランは、現代の平和を春風小学校6年2組の子どもたちに任せ、3体の恐竜メカ、『マッハプテラ』『ランドステゴ』『サンダーブラキオ』を託す。3体は熱血合体して、巨大ロボ『ゴウザウラー』になるのだ。峯崎拳一、立花浩美、朝岡しのぶの三人を中心にした6年2組のクラス全員18名は、地球の平和を守って戦う『ザウラーズ』となって機械化帝国に立ち向かう!

 

引用元:ワールド|熱血最強ゴウザウラー|エルドラン公式サイト

 

『熱血最強ゴウザウラー』のここが良い!

①普通の小学生がヒーローになる

これは『ゴウザウラー』だけでなく、エルドランシリーズ全体の推しポイントでもある。

エルドランに出会うまで、エルドランシリーズの面々はごく普通の小学生だった。ここに夢がある。自分たちと変わらない小学生が、地球を守るヒーローになるなんて!いつもは勉強する場所でしかない校舎が、緊急時には変形するなんて!私の生きる世界と地続きになっている夢とロマンの世界がそこにあったのだ。

当時小学生の私は、高学年になれば自分も巨大ロボに乗れるものだと夢見ていた。当時の5、6年生のお兄さんお姉さんたちは巨大ロボに乗って出動してなんかいなかったのだが、そんなことは関係ない。「エルドランは私が高学年になるのを待っているのだ」とバカみたいに信じ、早く進級したいと思っていたっけなぁ。

とにかく巨大ロボに乗っていたのが大人ではなく、自分たちと同じ小学生という設定は強烈だった。「いつか自分にも起こるかもしれない非日常」を見せてくれたからこそ、私はエルドランシリーズの作品が好きだった。

 

しかも『ゴウザウラー』では遂に、女子の朝岡しのぶがメインパイロットの一人に加わった。自分と同じ小学生が戦っているということで好きだったエルドランシリーズに、更に自分と同じ女子小学生パイロットが加わる。これは当時の私にとって、強烈なまでに嬉しかった。あの頃、巨大ロボのパイロットになりたかった私にとって、しのぶは希望の星だったのだ。おかげで今『ゴウザウラー』を見ても、一番思い入れを感じるキャラクターはしのぶである。

 

②バンクがカッコいい

ja.wikipedia.org

エルドランシリーズ第三作目の『ゴウザウラー』。『ライジンオー』『ガンバルガー』の二作を経た結果、『ゴウザウラー』の出動や合体シーンのバンクはシリーズの集大成ともいうべき洗練されたものになっている。『ライジンオー』に引き続き、司令役の生徒のかけ声で変形し始める校舎。『ゴウザウラー』ではは更に、パイロット担当の生徒たちが「ザウラーマシン」という乗り物(バイクやF1マシンなど、種類は様々)に乗って、教室から待機場所までの距離を駆け抜けていく。校舎の中をバイクで駆け抜けていくなんて、普通なら許されない行為ができるのも、非常事態中のヒーローだからこそ。

 

ザウラーズの教室を含むエリアは「ザウラージェット」というジェット機に変形し、クラス全員を乗せて戦地へと向かっていく。前線が近づけばザウラージェットが三体のロボ(マッハプテラ、ランドステゴ、サンダーブラキオ)に分離する。

この分離バンクも熱い。空中で分離するロボ、そして射出されるザウラーマシンに乗ったパイロットたち。パイロットたちは高速でロボットの背中を駆け抜け、コクピットへと向かっていく。何という危険極まりない変形。これをやれと言われたら私は泣いてしまうのだが、ザウラーズのパイロットたちは決して恐れるようなことはない。きりっとした顔で駆け抜けていく、その姿がまたカッコいい。

 

マッハプテラ、ランドステゴ、サンダーブラキオの三体は最終的に合体し、巨大ロボ・ゴウザウラーになるわけだが、このバンクも素晴らしい。恐竜をモチーフにしているだけあって、雄叫びを上げるプテラノドン、ステゴサウルス、ブラキオサウルスが登場し、マグマが噴出する。熱いイメージを背負って、三体が合体していくのだ。

 

最後に敵に必殺技を放つ際にも、恐竜は登場する。ステゴサウルスとブラキオサウルスがゴウザウラーに武器をわたし、プテラノドンが気合いを吐くことで敵までの道が炎に覆われる。出来上がった炎のトンネルの中をゴウザウラーは飛翔し、敵のもとへと向かっていく。直後放たれる必殺技「ザウラーマグマフィニッシュ」。拳一役の高乃麗さんによる叫びがこれまた絶品だ。普段はお調子者の拳一が、ここではドスの効いた叫びを聞かせてくれる。このドスが非常にいい!とにかくカッコいい!

名乗りを上げるタイミングが勝利後というのがエルドランシリーズ恒例なのだが、『ゴウザウラー』も例外に洩れず。手強い敵に苦戦した後、すべてが終わった後に響き渡る「熱血最強ゴウザウラー!」の叫びは、小学生の時の私だけでなく、大人になった私をも多幸感に浸らせてくれる。

 

また、BGMが素晴らしい。特に出動シーンのBGMが私は好きだ。メインのフレーズに到達するまでの期待を高めるような焦らしの旋律。焦らしている間も旋律自体は上り坂を駆け上がるように、ただひたすらに盛り上がっていく。焦らして焦らしてようやくメインフレーズに突入したときの爽快感ときたら、もう最高としか言いようがない。

以下に貼っているSpotifyのリンクではメインフレーズのみの視聴になるけど、とにかく一度聴いてみてほしい。この曲に合わせて校舎が変形して、生徒たちが普通の小学生からヒーローの顔へと変わっていくんですよ。もう最高じゃないですか?

open.spotify.com

 

③ロボットの追加

ザウラーズの面々はそれぞれゴウザウラーや三体のロボのパイロット、指揮官、動力担当、作戦担当などに分かれるのだが、やはり花形はパイロットというのは作中の子供たちも感じているらしい。3話で早速、後方勤務の生徒たちが「自分こそがパイロットになるべきだ」と言い出したりしている。わかる。私も小学生の頃、「うちの小学校にもエルドランが来てくれなかなー」なんて思ってた頃、当然のようにパイロットになるつもりでいた。大人になった今だと、「前線に立つのは怖いから、他クラスの生徒ポジションでいいや」って気分なのだが(ただし『ゴウザウラー』だとザウラーズ全員戦地に赴くから、後方勤務も危険なんだよなぁ)。

 

それはともかく、やはりパイロット役は花形である。勿論、後方勤務の生徒たちだって必要だ。彼らがいるからこそ、ゴウザウラーは戦える。だが、それでもパイロットの華やかさは魅力的だ。

『ゴウザウラー』では中盤に追加戦力として、二体のロボット――マグナザウラーとグランザウラーが現れる。これに従い、今まで後方勤務だった生徒二人がパイロット役へと躍り出てくる。これが熱い。今まで出動バンクの中でもそこまで出番のなかった白金太郞(通称"金太")と火山洋二に、専用バンクが与えられる。恐竜型のマグナザウラー、グランザウラーを人型に変形させるときの「熱血進化(熱血変形)」バンクが、これまたカッコいい。彼らには専用の必殺技もあるため、敵へとどめを刺し、最後に勝利の名乗りを上げるシーンもしっかり存在する。今まで戦闘では目立たなかった金太と洋二が主戦力キャラとしてのし上がってくる。この展開が熱い。熱すぎる。

後にゴウザウラーはマグナザウラー、グランザウラーと合体し、更に強力なキングゴウザウラーとなる。初期からのパイロットの拳一、浩美、しのぶだけでなく、金太、洋二も加わったコクピットの光景は圧巻である。

 

マグナザウラー、グランザウラーの変形と必殺技のBGMも最高なんです、マジで。ゴウザウラーのそれとはまた違って、少し陰のある感じが渋いんですよ。

open.spotify.com

 

④小学生だからこその人間ドラマ

地球を守るヒーローとはいえ、ザウラーズの面々は小学生だ。精神的に未熟なわけで、それが戦闘に影響してくる様が彼らには申し訳ないが面白い。例えば、拳一と彼の悪ガキ仲間ボンとチョビが校長先生の宝物である額縁をうっかり壊してしまうエピソードがある。当然、拳一たちは額縁を修復し、バレないうちに元の場所に戻そうとするのだが、なかなか良いタイミングが訪れない。仕方がないから教室の掃除用具入れの中に隠している最中に、機械化獣が現れる。

ザウラーズの教室は変形して戦地に赴くわけだから、敵の攻撃を浴びれば物凄く揺れてしまう。おかげでボンとチョビは持ち場を離れて額縁を守ろうとするし、果てには拳一までコクピットを飛び出して額縁のもとへと駆けつける始末。当然、戦況は不利になるため、他のクラスメイトは彼らに対して怒り心頭だ。

 

こんな感じで、小学生だからこそのドラマが敵との戦闘に絡んでくる。友だち同士での喧嘩、ほのかな初恋、親との衝突。大人になってしまった今となっては大したことがないように感じる出来事でも、小学生にとっては大ごとだ。それらの日常的な問題が敵との戦いという問題と有機的に絡み合うことで、戦闘の最中に生徒たちは成長し、困難を切り抜けていく。このドラマが面白いのだ。

 

⑤戦うことができない大人にもドラマが用意されている

この作品において、大人は戦うことのできない存在である。防衛隊(いわゆる自衛隊のような存在)も機械化獣と闘ったりもするが、足止め程度にしかならない。あくまでも機械化獣を倒すことができるのはザウラーズだけなのだ。

 

ザウラーズを取りまく大人たちも様々だ。6年2組(ザウラーズ)担任の中島先生は時に厳しく叱りながらも、常に生徒たちを優しく見守る。3組担任の弥生先生も、ザウラーズに温かい視線を投げかけてくれる一人だ。一方、1組の担任・高木先生は問題児ぞろいのザウラーズを嘲笑し、防衛隊の武田長官はことあるごとにザウラーズからゴウザウラーを取り上げようとするなど、純粋なザウラーズの味方とは言えない大人もいる。とはいえ、本当に危機に追いつめられたときに高木先生や武田長官が見せるのは、ザウラーズの皆を心配し、大切に想っているという心だ。

 

小学生の頃の私はザウラーズの戦いを邪魔しようとしている高木先生や武田長官をうざったく感じていたのだが、大人になってから作品を見ると、「無理もないよな」と思えてくる。

個人的な話になるが、私の家の近くには小学校がある。休み時間に校庭ではしゃぎ回る子供たちの姿をよく見かけるのだが、この子たちが巨大ロボに乗って巨悪と戦わなければならないと思うと、どうしようもなく胸が締めつけられる。だったら私が行く!そりゃ前線で戦うのは怖いけど、子供たちが危険な目に遭うよりはマシだ。

大人になった今、子供たちを見守るだけしかできない中島先生や武田長官たちの気持ちがわかるような気がする。子供たちを傷つけたくないから、死なせたくないから、彼らから戦いに必要なアイテムのザウラーブレスを取り上げようとする。ゴウザウラーに対抗して、防衛隊独自のロボットであるボウエイガーを製作する。大人げなく見えるこれらの行為に、どれだけの優しさが詰まっていたのか、今考えると胸がつかまれる思いがする。

 

また、ザウラーズを支援するだけではなく、敵に影響を与えるという役割を担った大人がいたことも印象深い。中島先生のことである。彼は敵の幹部・エンジン王に人質として攫われた際、彼らをただ責めるのではなく、真摯に対峙する。このことが後述するエンジン王のドラマに大きく関わってくる。中島先生がいたからこそ、敵に変化が訪れた。

戦うことのできない大人にも重厚な物語が用意されている。それが『ゴウザウラー』の優れたポイントだと思う。

 

⑥「熱い心VS鋼鉄の秩序」という戦い

ザウラーズの敵である機械化帝国。その頭領である機械神は心というものを否定する。また、敵の幹部のひとり・エンジン王も当初は心を単なる「巨大な力を生み出すもの」としか考えていなかった。機械化帝国の幹部たちの決め台詞は「全宇宙に鋼鉄の秩序を」。彼らが目指すものは血の通わない、不確定性のない「鋼鉄の秩序」だ。彼らにとって心のある人間は間違いを犯す不完全な存在でしかない。

だからこそ、機械化帝国に立ち向かうのに必要なのは「熱血最強」のゴウザウラーしかないわけだ。純粋な力や完全無欠の「鋼鉄の秩序」を超えるものこそ、熱い血の通った心なのだと、戦いの中で拳一たちは示していく。その姿が熱い。

 

⑦心を理解した敵幹部

※※ここから先は『ゴウザウラー』終盤のネタバレを含むので、閲覧には注意してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな心を持たない機械化帝国の面々。しかし、物語中で幹部の一人エンジン王が心を理解するというくだりがある。この部分は『ゴウザウラー』の中でも屈指の名エピソードとして語られているものだ。

 

エンジン王は幹部の一人でありながら、機械神に取って代わろうとする野望も持っていた。そんな彼にとって興味深いのは苦境に陥っても、決して負けないザウラーズの「心の力」である。心の力を吸収し、それを利用すれば、自分は全宇宙の支配者になり得ると彼は信じている。

一方、エンジン王がつくり出した巨大ロボ・ギルターボは不可解さを心から感じ取る。それが何か理解しようとギルターボは中島先生に心のことを尋ねるのだが、ギルターボが「ファーザー」と慕うエンジン王は、そこまで分析する必要がないと切って捨てる。

 

だが、いざザウラーズから心の力を吸収しても、エンジン王が思っていた通りには事が運ばない。訝しむエンジン王に中島先生は叫ぶ。

エンジン王、それが心さ。

あるときは熱く、あるときは優しく穏やかに。だが、なぜ燃える?なぜ穏やかになる?機械のお前にそれがわかるのか?心の力を吸収することなどできないんだ!

それでも心を単なるエネルギー以上のものとして捉えられないエンジン王だったが、そんなところに機械神からの攻撃が降りそそぐ。死を覚悟するエンジン王。しかし、あわやというところでギルターボが身を挺してエンジン王をかばい、命を落とすのだった。

ギルターボの死によって一時的にエンジン王は自暴自棄になるが、中島先生の説得により、ギルターボが何を思って死んでいったのかを悟る。

 

一方、機械神は機械化城という宇宙に浮かぶ巨大な要塞を爆発させることで、地球を滅亡させようとする。それを防ぐためには爆発による衝撃波が地球に及ばない地点まで機械化城を押し戻した上で、破壊するしかない。だが、キングゴウザウラーだけではそれも不可能。そのときに手を貸したのがエンジン王だ。彼は安全地点まで機械化城を押し戻した。その上で、彼は自分の体ごと機械化城を貫けとザウラーズに呼びかける。キングゴウザウラーの力だけでは無理だが、エンジン王のエンジンごと貫けば機械化城を破壊できる。葛藤の末、拳一たちザウラーズはエンジン王ごと機械化城に向かって必殺技を放った。

間もなく来る死の瞬間を待ちながら、エンジン王は呟く。

心とは……我ら機械人にない素晴らしい力。

人間しか持てぬ素晴らしい力。

わかったよ、ギルターボ……。

この言葉を呟いているエンジン王こそが「誰かを想う心」を持っているという、美しくも哀しい誤解。温もりのある身体が持っているとか、血液が流れているかどうかなんて関係ないということを、エンジン王とギルターボは私たちに教えてくれる。心や熱い血というのは、物質そのものではないのだ。たとえ機械であっても、誰かを想っているとき、誰かのために動いているとき、そこには熱い血の通った心が存在する。*2

 

 

後に拳一が敵の攻撃により体が機械化を始めてしまう。当然、拳一は自分が自分でなくなるのではないかという恐怖に襲われ、思わずしのぶに不安を吐露する。

「なあ、体の90%が機械になってても、それでもやっぱり俺は俺なのかな」

「あったりまえじゃない。90%だろうが99.999%だろうが、拳一は拳一だよ。みんなそう思ってるし、私だってそうだよ」

「ホントか?」

「もし、もしもだよ?姿が人間に見えないぐらいに変わったって、それでも拳一らしさが残っていれば、拳一は拳一だって思うよ」

しのぶの言葉にグッと来るのは、この言葉自体が素晴らしいのもあるが、エンジン王とギルターボのエピソードをその前に見たからというのもあるのかもしれない。血液の流れる体を持たないエンジン王たちにも、熱い血の通った心が存在した。だからこそ、機械化の進んだ拳一だって、本質さえ無くさない限りは拳一なのだと信じられる。

その後、拳一が取った「自分らしい行動」を見て、私は胸が熱くなる。表面的な機械化に負けないものを拳一がつかみ取った瞬間なのだと思う。

 

 

最後に

小学生の頃に大好きだったエルドランシリーズ、と語ってきた上で白状するのが怖いが、実は私は三作品とも全話通して見たことがない。この当時、水曜日の18時は習い事で出かけていたため、観賞が難しかったのだ。『ライジンオー』に出会うことができたのは、ちょうどその日の習い事が先生の都合でお休みになったおかげだった。

もちろんビデオに録画したりはしていたけれど、同じテープに重ねて録ると画質が劣化するし、ならテープを数揃えるかというと小学生のお小遣い的にはそれも難しいしで、録画したりしなかったりという状態だった。

 

そういうわけで、『ライジンオー』『ゴウザウラー』は歯抜け状態の観賞、『ガンバルガー』はごく一部だけ観賞という状況だったのだが、今回ようやく『ゴウザウラー』を全話観賞できて、非常に私は満足している。

記事中で言及したエンジン王のエピソードは、当時見逃していたもののひとつだ。視聴前に「エンジン王の最期は泣ける」という意見をネットで見ていたのだが、私という奴は「泣けるって前評判のやつって、結局期待していたほどには泣けないからなぁ」と高をくくっていた。しかし実際に観た結果、予想以上に泣かされ、鼻をかんだティッシュでゴミ箱を満杯にしてしまった。うわあ、こんな熱いエピソードを見逃していたのか!リアルタイムでこれを見たかった!とはいえ大人になった今見ても、これには心を熱くさせられた。

 

『ゴウザウラー』一気見の副作用として、小学校の近くを通りかかると拳一たちのことを思い出して、目頭が熱くなるようになってしまった。何というか、この時期ならではの眩しさって何なんでしょうね。未来が広がっている感じ。

拳一たちは私と似たような年だから、もうおじさんおばさんになっているわけだが、元気で過ごしているといいなと思う。

 

この勢いで私の巨大ロボに乗りたい欲の原点『ライジンオー』も観賞したい。あの頃は碌に見ることができなかった『ガンバルガー』も、この機会にきちんと観たい。そういうわけで、もうしばらくエルドランシリーズから離れることができなさそうだ。いいの。それって幸せなことだから。

 

 

 

 

 

 

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*1:『完全勝利ダイテイオー』という四作目もあったりするが、テレビシリーズ化していないので、ここでは省略させていただく。

*2:キングゴウザウラーの必殺技で貫かれた瞬間にエンジン王が苦悶の叫びを上げていることも、彼が痛みを感じる肉体を持っていることを実感させられて、また泣けてくるという点も主張しておきたい。

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