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『ラストエンペラー』(オリジナル全長版)ネタバレ感想

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※注意!『ラストエンペラー』のネタバレがあります。

 

 

先日、劇場で鑑賞して感動した『ラストエンペラー』。いやあ、本当に劇場での鑑賞は良かった!というわけで、『ラストエンペラー』が如何に劇場で見るべきな映画なのかは以下の記事で書いておいた。

nhhntrdr.hatenablog.com

 

今回は内容に関する感想を書いてみたいと思う。『ラストエンペラー』には163分の劇場版と219分のオリジナル全長版の2バージョンがある。この機会にオリジナル全長版も観賞したので、こちらの内容も併せての感想にする予定だ。

『ラストエンペラー』では史実に対して、大胆な脚色を施されている部分が多々あるのだが、今回の感想で言及するのは史実の溥儀たちではなく、あくまでもフィクション作品『ラストエンペラー』の溥儀たちについてだということは予めお伝えしておきたい。

 

 

 

 

あらすじ

1950年、ハルピン。ソ連での抑留を解かれ母国へ送還された大勢の中国人戦犯の中に、清朝最後の皇帝・溥儀の姿があった。手首を切って自殺を図った彼は、薄れゆく意識の中、波乱に満ちた自身の半生を思い起こしていく。

 

引用元:ラストエンペラー : 作品情報 - 映画.com

戦犯となった溥儀が、戦犯管理所での尋問などの中で過去の出来事を思い出していくというのが大きな流れとなっている。

回想は大きく「溥儀即位から清朝滅亡により廃帝になるまで」「英国人教師ジョンストンの教育を経て、紫禁城内の改革に乗り出すも軍閥により城を追われるまで」「日本とのつながりを持った溥儀が満州国の皇帝になるまで」「甘粕の傀儡となった溥儀が、敗戦によりすべてを失うまで」の4つのパートに分かれているように思う。

 

オリジナル全長版で増えているシーンとか

オリジナル全長版は劇場版より1時間程度長くなっているだけあって、それぞれのシーンが長くなっていたり、新たなシーンが増えていたりする。増えているというより、劇場版でカットされたと言うべきなのかもしれないが、まあいいや。この記事では、「全長版で追加」と表記させていただきたい。

個人的には、以下の部分が劇場版との大きな違いになっているかと思う。

  • アーモが溥儀の乳母になるまでの経緯。
  • 全体的に戦犯管理所内での溥儀と大李ビッグ・リー(召使い)とのシーンが増えている。例えば、自殺騒動を起こした際に壊れた眼鏡を、当たり前のように大李に修理させるなど。劇場版よりも、大李が溥儀に怒っている理由が分かりやすい。溥儀が抱える問題点が、大李との関わりから炙り出されている印象。
  • 戦犯管理所内での溥儀が、自己保身に走っている描写が増えている。
  • 溥儀の結婚の際、満州に住む親族から祝いの品が贈られる。溥儀が満州の地に思い入れがあることが、より伝わりやすい。
  • 尋問官が溥儀に対して異常なまでに厳しい理由が明らかになっている。
  • 溥儀が婉容に対して満州国への野望を語るシーンの前後に、陳宝琛(教育係)の退職の描写が追加。陳宝琛が溥儀に失望したために彼のもとから去ったことが伝わってくる。
  • 満州国総理大臣が鄭孝胥から張景恵に替わった真相が明かされている。

 

溥儀の野望

皇帝であることにこだわり続けたのが、溥儀という人だったように思う。即位したものの長じる前に廃帝となり、その後は自由が制限されているだけの名ばかりの皇帝でしかない。宦官や官僚といった周りの者の思惑に左右され続けた鬱屈ゆえだろうか。それとも体内に流れる皇族の血ゆえだろうか。

いずれにせよ、思春期の頃から溥儀は統治者であることを望み、遂には日本と手を結び、満州国の皇帝へと即位する。だが、実体は関東軍および甘粕正彦の傀儡でしかなかった。溥儀自身は満州国を独立国と見なし、自分が国を先導しようとする意志があったにもかかわらず、結局は甘粕の策略に敗れ、傀儡皇帝へと堕ちていく。

 

「満州国の傀儡皇帝」「清朝皇帝に即位するも、あっという間に廃位になった人」といったイメージがあるせいか、昔『ラストエンペラー』を観たときは、溥儀は周りの思惑に左右され続けた哀れな人という感想を抱いたのだが、改めて観賞したところ、意外に溥儀が自分の意志に沿って動いていることに驚かされた。とにかく作中で溥儀は統治者であることへの望み(欲望と言っても良いのかもしれない)を口にする。満州国の皇帝に即位したのも、日本側からの強制により仕方なくといった形ではなく、自分から望んでの形である。

満州由来の血が、皇族としての血が、溥儀を満州国の統治者へと駆り立てる。もしかすると、幼い頃の紫禁城での不自由も、支配欲を強める原因になっていたのかもしれない。

紫禁城にいた頃にしろ、満州国皇帝に即位した直後にしろ、溥儀にはそれなりに理想的な国家や統治者としての姿があったように見受けられる。それが宦官たちに、軍閥に、関東軍によって叩き潰されていく。その姿が見ていて痛々しい。

 

 

そんな溥儀が皇帝と人間の間を行き来していた物語が『ラストエンペラー』であったように感じる。

廃位や紫禁城追放などを以て強制的に人間にさせられたこともあれば、「家に帰りたい」と泣くなど、ごく自然な感情に駆られる形で人間になることもある。

あくまでも私の解釈に過ぎないが、人間としての溥儀を求め続けていたのが正妻の婉容だったように思う。二人が初めてやりとりを交わすシーンは皇帝と皇后というよりも、ラブコメのカップルのようにすら見える。恐らく、婉容は心から溥儀を愛していたし、溥儀とともにありきたりの幸せを求めたいと考えていたのだろう。

それゆえ、溥儀との仲が悲劇に終わることは、確定事項であったのかもしれない。飽くまでも溥儀は、皇帝だった。時に人間に戻ることはあれども、皇帝であることから逃げられなかった。満州国皇帝になると決意したのは甘粕やイースタン・ジュエル(川島芳子)の策略によるものではあるが、それでも最後に決断を下したのは溥儀自身だ。婉容と陳宝琛の諫めを無視し、彼は一族由来の地で統治者になることを選んだ。

 

もっとも、統治権のない傀儡皇帝に終わってしまったわけで。陳宝琛に見限られ、婉容を廃人にしてまで手に入れた帝位がお飾りのものというのは皮肉というしかない。その上、溥儀を手のひらで転がした甘粕(文繍に離婚をたきつけたのも彼なんだろうなぁ)ですら、時勢には勝てず、自決に終わってしまう。終盤、意気揚々と革命を叫ぶ紅衛兵たちも、翌年1968年から始まる上山下郷運動にて悲惨な目に遭うことになる。

『ラストエンペラー』を観ていると無常感を感じるのも、無理のない話だなあと思う。

 

 

溥儀にとっての皇帝像

結局、皇帝とは何だったのだろうな、と思う。幼少の溥儀にとっては、万人を従わせる神聖不可侵な存在だった。青年期以降の溥儀にとっては、統治者としての意味合いが強かったのではなかろうか。では、戦犯管理所での経験を経た溥儀にとっての皇帝とは、何だったのだろうか。

幼少期、溥傑から「(皇帝であることを)証明して」と言われた溥儀は、宦官に墨汁を飲ませることによって、皇帝であると証明した。最晩年の溥儀は、故宮博物院の守衛の子どもに同じことを問われ、陳宝琛からゆずり受けたコオロギの筒を見せている。この違いが、溥儀の中での皇帝像の変遷だったのではないかと感じる。

 

劇場版以上に、オリジナル全長版では溥儀が自分の身の回りについて無知だったことが強調されている。アヘンを憎んでいながら、満州国内でアヘンの生産が盛んに行われ、人民が中毒になっていることから目を逸らす。初代総理大臣・鄭孝胥以外の閣僚について、顔すら碌に認識していない。長い付き合いだった大李のことすら満足に知らない。

それが象徴的に現れていたのが、自分ひとりでは服も満足に着られず、靴紐も結べないという場面だったのだろうと思う(大李が一度溥儀に反抗するものの、結局見捨てられずにボタンを掛け直し、靴紐を結んでやるという全長版の追加場面が個人的に好きだったりする)。

 

満州国で行われたことへの告発書にすべてサインした件で、所長に叱られていた溥儀だったが、個人的にはそれが溥儀が行き着いた皇帝像だったように感じる。国内で行われていた犯罪行為に対し、知らなかったと言って罪を免れようとするのではなく、すべての罪を負う。万人を従わせる強権的な存在ではなく、(遅まきながらも)国家そのものであろうとしたのが晩年の溥儀の姿だったように見えた。

 

 

最後に

今回、劇場版とオリジナル全長版を見比べてみたわけだが、どちらも見る価値のある映画だったというのが私の結論だ。劇場版だけでも充分に名作なのだが、全長版を見ることで、溥儀の抱えていた問題がより鮮明に見えてきたような気がする。

あと、全長版のほうが陳宝琛のキャラクターが際立っているのも、個人的にポイントが高かった。何というか、食えないタイプのオヤジ感が良い。ジョンストンが初めて溥儀のもとを訪れたとき、お互いにしゃちほこばった挨拶をするのだが、それを陳宝琛にダメ出しされるのが面白いったら。その後、劇場版でも使用されている溥儀とジョンストンのやたらと長い握手へと繋がっていくわけである。どうりで二人とも陳宝琛のほうを気にしているように見えたわけだ。ジョンストンと陳宝琛という二人の教師がいる間は、比較的ドラマも軽やかで、観ていて楽しくなる場面が多かった。

 

これから初めて『ラストエンペラー』を観る人には劇場版をオススメするが(オリジナル全長版はクソ長いので…)、やっぱり最終的には全長版も観ると良いよ!とも主張しておく。

個人的には今後『ラストエンペラー』を観る際には全長版を選ぶと思う。ただ、「紫禁城追放を宣告された溥儀がテニスラケットを投げて走り出す→門が開かれ、溥儀が紫禁城の外へ出る」の流れは劇場版のほうが好きだなぁ(全長版は間に別のカットが挟まっている)。あと、ラストシーンでテーマ曲が流れるタイミングも劇場版のほうが好み。ということで、オリジナル全長版派ではあるけど、劇場版も捨てがたいよという個人的な好みの話で締めたいと思う。締まらない終わり方でごめんなさい。

 

 

吹き替え版。甘粕大尉は吹き替えでも坂本龍一さんが演じているって話を聞いて、どうしても一度観てみたかったんだよなぁ。吹き替え版甘粕さん、聞けて満足です。ちなみに吹き替え版の尺は、劇場版をさらに短くしたものになっている。

 

 

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