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『PERFECT DAYS』に関する感想

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『PERFECT DAYS』について感想を書こうとして、ふと戸惑う。普段、私は何かの作品の感想を書く際にネタバレ注意喚起をするのだが、この作品について書くことがネタバレになるのかどうか。ネタバレのことを英語では「Spoiler」と呼ぶらしい。「spoil(台無しにする、損なう)」の名詞形である。

で、なにゆえ私はネタバレについてグダグダ考えているのかというと、『PERFECT DAYS』の話の流れを書いたところで「spoil」にならないんじゃないかという気持ちがあるからだ。もし『PERFECT DAYS』の本編を見ていない人がネタバレサイトで事細かに本編中の出来事を読んだとしても、『PERFECT DAYS』に1ミリでも触れたことになるのか、甚だ疑問である。あの映像を見て、映像の中に収められたカセットの音楽や環境音を聞き、役所広司をはじめとした役者陣の佇まいや表情を目にして初めて、『PERFECT DAYS』を見た・知ったということになるのだと思う。

 

なんて屁理屈を捏ねたものの、話の内容に触れる以上、やっぱり注意喚起はしておこうと思う。ネタバレするので、未見の方はご注意を。

 

 

トイレ清掃員の男・平山の何でもない日々を描いたのが、この『PERFECT DAYS』である。平山は真面目な男だ。その生活は非常に規則正しい。決まった時間に外の道に現れる老女のほうきの音で目を覚まし、すぐに布団をたたみ、階下のキッチンで髭を整える。霧吹きを手に取って二階に戻ると、自室で栽培している小さな鉢植え(出先で平山が見つけた芽を持ち帰り、湯飲み茶碗に移し替えている)たちに霧吹きの水をかける。仕事の制服を着て家を出ると、車に乗る前に自販機で缶コーヒーを買う。車に乗り込むと、コーヒーを飲み、積み込んでいるカセットテープの中から、その日にかける一本を選び出す。そして仕事場に向かうのだが、なぜか発射直後ではなく東京スカイツリーが見え始めてからカセットテープを再生する。

仕事場は東京に点在する公衆トイレ。これらを車で巡回し、手順通りに手早く、しかしながらこの上に丁寧にトイレを清掃していく。

仕事が終われば家に戻り、制服を脱ぐ。制服の下に身につけていたTシャツとズボン姿で自転車に乗り、銭湯へ。開店直後の銭湯に入り、ひと息つく。時には常連のおじいさんと会釈を交わしたりもする。風呂の後は地下街の飲み屋に移動する。店主とはすっかり顔なじみで、いらっしゃいませではなく「おかえり」と声をかけられる。店内のテレビに映る野球の試合を見つつ、酒を楽しむ。

家に戻った後は、布団を敷いて寝転がる。枕元のスタンドライトのもとで読書を始める。読んでいるうちに、うとうとし始めたりもする。目をつぶった平山の脳裏に浮かぶのは、今日一日に見たもの・聞いたもの。それらを思い出しながら、平山は眠りにつく――

 

これが最もプレーンな平山の一日だ。この後、平山のもとに思いがけない人物が表れたり、ちょっとしたトラブルが起きたりと、プレーンな一日とは何かが違う一日になる。平山自身が取る行動はプレーンな一日のものと何も変わりはしないのだが、誰と会うか、何が起きるかで、その一日は無二のものへと変化していく。

作品のラストで木漏れ日について説明する文章が出現する。木漏れ日はこの作品において、何かあると平山が見上げるものであり、毎日写真に撮るものであり、物語を象徴するものと言っても良い。なぜここまで木漏れ日なのかという疑問に答えを与えてくれるのが、件の文章だ。木漏れ日は葉と葉の重なりから生まれて、その形は一瞬一瞬で異なっている。同じ木漏れ日は二度と生まれはしない。木も枝も葉も、相変わらず同じ場所にあるのに、毎秒毎秒違った木漏れ日が生み出される。

平山の毎日は、木漏れ日であり、木漏れ日を形づくる葉の一枚だ。平山は同じ場所で同じことを続けているが、別の人がそこに重なることで、無二の木漏れ日が生まれ、また消えていく。

 

平山は寡黙な男だ。本編が始まった後も、彼はなかなか喋らない。家の中にひとりでいるときは勿論、仕事仲間とトイレ清掃をしているときも黙っている。だから、平山が何を考えているのか、どんな人生を歩んできたのか、彼は何も語ってくれない。それでも何かが滲み出てくるような気がする。少しずつ何かが違う毎日の中で、平山を築き上げてきたものが、断片となって浮かび上がってくる。

 

パンフレットによれば、監督のヴィム・ヴェンダースは撮影の途中で「WHO is HIRAYAMA」というメモを作成したという。その中には「平山がなぜ今の生活に至ったか、その精神のプロセス」が書かれており、このメモは平山役の役所広司に渡されたという話である。

あまりにも当たり前すぎることではあるが、平山という人間は『PERFECT DAYS』の世界にずっと存在していた。本編の開始に設定されている日に急に湧き上がってきたわけではない。生まれてから過ごした家があり、家族関係があり、その上で何らかの理由で今の一人暮らしの生活に至っているわけである。

ただ、登場人物ひとりひとりを生まれてから作品内の時間に至るまでの歴史を持つ存在に仕立て上げるのは、そう簡単な話ではない。お恥ずかしい話だが、過去に私は小説を書き、新人賞に投稿していた時期がある。勿論、低次予選でバッサリと落とされ続けたわけだが、そのうちの賞のひとつで講評をいただいた*1。そこに書かれていたことで今でも覚えているのが、「登場人物の行動原理がわかりにくい」といった旨の内容だ。当時は混乱した。はて、どうすべきかと思い悩み、無理やり「この人物は○○したがっている」と設定したりもした。

今になって思うのだが、この時の私は登場人物を血の通った人間に作り上げるまでに至っていなかった。彼らが存在しているのは、作品で取り上げている場面のみ。書かれていない部分では、彼らがどのように過ごしているのかは、あまり考えておらず。もちろん、どのように生まれ育ち、どんな価値観を持っていたかなんて、きちんと練ってはいなかった。考えたストーリーに登場人物を当てはめ、私自身の思惑のみで動いてもらっていたのだ。ゆえに、行動に一貫性はなかっただろうし、何を好み、何を憎んでいるのかといった彼らの内面をきちんと見つめてあげられなかった。だから軽い。血が通っていない。そんなペラッペラの存在として彼らを生み出してしまったことを、今となっては申し訳なく思う。

 

一方、平山は歴史を持った人間として生み出された。創造主のヴィム・ヴェンダースによって作り上げられた人物像を、役所広司という熟練の俳優が形にする。どのような人生だったかはほとんど作中で語られはしないが、寡黙な平山がたまに見せるイレギュラーな表情に、彼自身が清算しきれていないわだかまりを感じ取ってしまう。彼の過去に何が起こったのかは、よくわからない。ただ、どうしようもない重みだけは伝わってくる。

 

主人公が平山だから、平山のことばかり言及したが、作中のほかの人物にも彼ら独自の歴史や精神性がつくり出されているのだろう。仕事仲間のタカシや姪のニコは勿論、名前もわからない、平山と言葉を交わしてもいない人物にも何らかの背景や歴史の重みが見えてくる。

個人的に印象に残っているのが、神社で平山が見かけるOLだ。平山は昼の休憩時にいつも同じ神社で昼食を取るのだが、そのOLも同じように神社内で弁当を食べている。決して、二人は言葉を交わしたりはしない。ただ、たまに視線が交わったりすることがあるくらいか。名前もわからない彼女はいつも一人でベンチに座り、黙々とサンドイッチを口にする。制服をきちんと着用してはいるが、化粧はベースメイクだけで、アイシャドウや口紅といったポイントメイクは省かれている。入社直後はきちんとメイクをしていたけれど、徐々に仕事に疲れ、会社の人間関係に疲れるうちに、メイクも必要最低限になったのだろうか。それとも、もともと浮いてしまいやすいタイプで、化粧にも疎い人なのかもしれない。どちらにせよ、会社の中では目立たず、あまり誰かと会話することもなく、所謂ぼっちポジションなのだろう。疲れた表情から鑑みるに、そのポジションに付け込まれるように、面倒くさい仕事を押しつけられがちだったりするのかもしれない。

なんてことを延々と考えてしまうほどに、名の無い人物でさえも重みのある背景を匂わせている。ヴィム・ヴェンダース監督が彼女を主人公に作品を作ったら、絶対観に行ってしまいそうだ。

 

そういった重さのある歴史を背負った人と人が交わり、離れ、また交わっては離れていく。人生はさながら木漏れ日なのだと思わせてくれる作品だった。

 

www.perfectdays-movie.jp

 

 

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*1:賞によっては低次予選落ちにも講評をくれるところがある。

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