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戦メリ原作者L・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜(The Night Of The New Moon)』を読む【11】

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※注意!The Night Of The New Moon『新月の夜』『影の獄にて』『戦場のメリークリスマス』のネタバレがあります。

 

 

※前回の記事はこちら

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The Night Of The New Moon『新月の夜』感想⑪

外界への使者を選ぼうにも、候補者となる集団にはスパイが交ざっている可能性があるということで、「私」たちは日本軍シンパの捕虜を炙り出す。ちなみにそのうち2人は特に日本側に傾いていたそうで、日本敗戦後、捕虜たちが解放された後に裁判なしで射殺されたというエピソードが語られていたりする。

それはそうと、信頼の置ける人物を選びたいということで、「私」はJongejansというオランダ人中尉に相談する。彼は日本語が得意で、日本軍司令部と捕虜たちを仲介するような役割にあった。Jongejansの協力のもと、来る虐殺の日に使者になってくれる者の選定も完了する。

 

そんな矢先、「私」をはじめとする上級将校の捕虜たちが中庭に呼び出され、行進をさせられるという事件が起きる。呼び出したのは【6】で登場したモリ准尉である。

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モリが「私」たちを呼び出したのは、「私」たちが日本軍の命令に背き、現地の軍需産業に協力できる技術者の名簿の提供を拒んだゆえだという。

ではモリたち日本人が何に怒っているのか。それを「私」が分析している一説が興味深い。モリは「私」たちの行いに怒っているのではなく、日本軍に反抗したというその精神を許しがたしと思っているというのである。過去に「私」は「間違った考え」という罪で投獄されたり、「私」たち自身の司令官が日本に降伏するよう命令したにもかかわらず抵抗を続けたという「ワガママの精神」を非難されたこともあるという。また、収容所で野菜を栽培した際に上手く育たなかったときは、「私」たちの精神がたるんでいるからと決めつけられたこともあったという。この「精神がたるんでいるから、○○できない」系の言いがかりは、平成でも聞いたなあ、と思ってしまうのが悲しい。

 

さて、モリの尋問が始まる。最初に餌食になったのは英国空軍中佐の‘Micky’MacGuireで、彼はモリの怒りを静めることができず、あえなく暴力を振るわれることとなる。その暴力というのが、カサヤマがモリのために持ってきた椅子で殴りかかるというものだ。椅子が粉々になる勢いで殴っても満足せず、モリはさらにMacGuireに殴る蹴るの暴行を加える。その後、次々と他の捕虜を呼びつけ、鉄拳制裁を加えていく。

 

ここで動くのが「私」である。まだ鉄拳制裁の餌食になっていなかった「私」はモリの前へと歩み寄り、彼と対峙する。当然のように彼の蹴りを食らうことになるが、私の脳裏にもう一人の自分が放つ言葉が浮かぶ。

Turn about! Go back and present yourself to Mori for another beating.

 

引用元: Laurens Van Der Post, The Night Of The New Moon (Vintage Classics) (English Edition)

もう一人の自分からの「引き返して、もう一度モリに殴られに行け」という命令に従い、「私」はモリのもとへ向かう。

 

『新月の夜』から見えてくる『戦場のメリークリスマス』の側面⑪

この部分を読んだとき、震える思いがした。『戦メリ』や「種子と蒔く者」におけるクライマックスシーンがオーバーラップしたためである。ここにおける「私」はセリアズ(セリエ)で、モリはヨノイ、MacGuireたち将校はヒックスリに当たるだろうか。

 

「種子と蒔く者」にてロレンスがセリエの行動について、以下のように述べている。

彼自身の言葉を借りれば、彼はとうとう自分の意識に従って集団的状況を個人のものとしつつあったわけだ。それにヨノイを忘れてはいけない。セリエ対他の者というよりも、セリエ対ヨノイじゃないだろうか。

 

引用元:L・ヴァン・デル・ポスト著、由良君美・富山太佳夫訳『影の獄にて The Seed and the Sower』、復刊ドットコム

この箇所と『新月の夜』の以下の箇所が非常に似ているように感じる。

Slight as the irregularity was, it began drawing him out of the preconditioned processes of collective and instinctive reaction in which he had been involved and made him, I believe, suddenly aware of himself as an individual facing not an abstract and symbolic entity but another individual being. 

 

引用元: Laurens Van Der Post, The Night Of The New Moon (Vintage Classics) (English Edition)

モリもまたヨノイのように、それまでは大いなる「日本的な何か」の一部であり、その前提のもとに捕虜たちと対峙してきたわけである。しかし、「私」によってモリは「日本的な何か」の一部ではなく、モリという人間に引き戻されてしまった。このときのモリの狼狽ぶりについての描写は、ヒックスリを処刑しようとしてセリエに止められた瞬間のヨノイを彷彿とさせるものがある。

 

前回の記事で『新月の夜』は「私」が収容所内の出来事を淡々と語っていると述べたが、今回取り上げた部分は臨場感に溢れており、著者が特に力を入れて書いたのではないかと私は推測する。細かな出来事は『戦メリ』や「種子と蒔く者」と異なってはいるが、敵対していた者同士が個人対個人として向き合うことになるという点においては、今回取り上げた箇所はセリアズとヨノイのキスシーンの源流となるものなのだろうと思う。

 

(【12】に続く)

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