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映画版『メタモルフォーゼの縁側』感想(ネタバレあり)

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※注意!映画版『メタモルフォーゼの縁側』のネタバレがあります。

 

 

 

 

あらすじ

毎晩こっそりBL漫画を楽しんでいる17歳の女子高生・うららと、夫に先立たれ孤独に暮らす75歳の老婦人・雪。ある日、うららがアルバイトする本屋に雪がやって来る。美しい表紙にひかれてBL漫画を手に取った雪は、初めてのぞく世界に驚きつつも、男の子たちが繰り広げる恋物語に魅了される。BL漫画の話題で意気投合したうららと雪は、雪の家の縁側で一緒に漫画を読んでは語り合うようになり、立場も年齢も超えて友情を育んでいく。

 

引用元:メタモルフォーゼの縁側 : 作品情報 - 映画.com

 

優しさにあふれた作品

とにかく「優しい」作品だという一言に尽きる。何かを好きだという気持ちから全ては始まり、「好きという気持ち」ゆえに繋がるはずのない二人が繋がる。「好き」ということが二人の中でこだましていくうちに、内側にこもっているだけだった「好き」という気持ちが外へ外へと広がっていく。それが本人のあずかり知らぬところで、別の誰かにポジティブな影響を与えていたりもする。

とにかく優しい。何かを好きになるということを、とてつもなく優しく描いた作品だと思う。

 

だからといって主人公のうららを甘やかしているような作品では決してない。彼女は作中で何度も自分に対し不甲斐なさを感じ、時には惨めさに号泣したりもする。そういった場面場面で感じるのは、観客の感情を過剰に煽ろうとしない演出についてである。

例えば、うららが初めて同人誌即売会にサークル参加をするとき。本当は雪と一緒に参加するはずが、彼女が腰を痛めてしまったため、急遽うらら一人での参加になる。自分の漫画の技量に自信がなく、心の支えだった雪もそばにいない。そんな状況でうららがイベント会場に向かうシーンのBGMが良い。うららにたちはだかる壁を感じさせつつも、まったく悲壮感がない。過剰にうららに寄り添うこともなく、だからといって彼女を突き放すこともない。ただただ優しい視点で淡々と彼女の挫折を描いていく。

 

また、漫画やアニメが好きな所謂オタクが主人公の作品だと、無理解な周囲から馬鹿にされたりするような描写があったりもするが、『メタモルフォーゼの縁側』の縁側にはそれがないのも良いなと思う。この手の「迫害されるオタク」描写を用いてしまうと、どうしても「主人公=善」「無理解な周囲=悪」という二項対立になってしまって、結局は周囲の人間に主人公を理解させるというような流れになりがちだ。「流行りを追っかけている人間たちは、自分の心をないがしろにしがちだ。それに対して、オタクは好自分の心を大事にしている」みたいなメッセージがちらついてきて、私はどうしようもなく萎えてしまう。

うららは、決して外部から虐げられたりはしない。うららを阻むものは自分の心にブレーキをかけている自分自身だ。「漫画が好きで、自分でも何か表現したいという気持ちはあるのに、画力がないから漫画は描かない」「留学を考えている同級生に対し、何も将来のことを考えつかないパッとしない自分がイヤ」「好きなものがあるのに、素直に好きだと表現できない」そういった鬱屈した感情を抱えたうららが、人生の先輩である雪とふれ合っているうちに変わっていく。まるで長年サナギに籠もっていた蝶がようやく孵化するかのように。

 

安易に泣かせません!

正直なところ、観ている最中ずっと「これ、雪が死んで終わるんじゃなかろうか」と心配していた。もちろん思い入れのある人物に死んでほしくないという気持ちもあるが、それ以上に「わかりやすいお涙頂戴オチにされると興ざめしそう」という不安があったのだ。

ということで、作中で何かが起こるたびに「すわ、雪の死亡フラグが立った!」とビクビクしていた。雪がうららに誘われ同人誌即売会にサークル参加することになったときには「イベントの日に雪が倒れ、入院するフラグだ!」と怯え、実際に雪がイベント当日に腰を痛めてしまったときには「腰をやったように見せておいて、実は重病が発覚する展開だ!」と震える。うららと雪が好きな漫画『君のことだけ見ていたい』の掲載誌に「次号最終回!」の文句が躍れば、「これは次号発売前に雪が病気で倒れるに違いない!」と思い込み、雪のもとに「最終回を読んだあとに会合を開きましょう」とうららからLINEが来れば、「会合の日に雪が(以下略)」と嘆く。

 

雪の死亡フラグに怯えていた最中、私は以下のような結末になると予想していた。

ある日、雪が倒れて入院する。治療の甲斐もなく、雪は死亡。雪の死に悲しんでいたうららだったが、雪が死ぬ直前まで『君のことだけ見ていたい』を読み続けていたことを知り、彼女の最後の日々が幸せなものだったことを感じ取る。傷も癒え、日常へと戻っていくうらら。そんな彼女は、常に『君のことだけ見ていたい』のコミックスを持ち歩いている。これは、雪との思い出そのものだから――

うわあ、自分で書いていて寒気がしてきた。「良かったね、雪さん。BL漫画を好きになれたおかげで、幸せな時間を過ごせたね」「だからこそ、好きなものがあるって素晴らしいことなんだよ。雪さんの生き様を見て、それを感じてね」ってか。

『メタモルフォーゼの縁側』が、私のそんな下衆な勘ぐりに沿った作品ではなかった。確かに最後はうららと雪が離ればなれにはなるものの、決して悲壮感もなければ、感傷もない。むしろ同人誌即売会の際には雪がいなくて心が折れていたうららが、雪と離れていても元気に暮らしている姿に心をあたたかくさせられた。物理的に距離が近いことだけがそばにいることではなく、遠くにいても近くにいるように感じられる二人の関係が、どうしようもなく美しく感じられる。

雪の死なんて描写を用いずして、この作品は「好きなものがあることの素晴らしさ」を存分に描いている。まだ未成熟なうららは、端から諦めきっていた自分の可能性に気付いた(それは漫画を描く才能というよりも、何かに挑戦し成し遂げるという成功体験そのものなのかもしれない)。「じぶんはおばあちゃんだから」と思っていた雪も、かつて漫画に心をときめかせていた少女時代の自分を取り戻した。

 

「所詮自分なんて」と殻にこもっていたうららと雪が、お互いに影響を及ぼし合って良い方向へと進んでいく。そして、遠く離れても変わらずに友人として繋がっていられる。泣かせるBGMも演出もないのに、ラストシーンを見ているとじんわりと涙が浮かんでくる。何に泣いているのかわからないけれど、とにかく見ているこちらの中にも優しい心は残っている。そんな映画だったように思う。

 

ちなみにエンディング曲を歌うのは、何とうららと雪。二人が漫画について語り合った縁側のバックで、好きなものへの愛を幸せそうに歌う二人の歌声が流れていく。何という完璧なエンドロールなんだろうか。陽だまりの縁側に、陽だまりのような歌声。優しく始まった作品は、終わり方もまた優しかった。

 

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