映画っていいねえ。本っていいねえ。

映画や本の感想など。ネタバレ全開なので、ご注意ください。

戦メリ原作者L・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜(The Night Of The New Moon)』を読む【最終回】

※当ブログは広告を掲載しています。

※注意!The Night Of The New Moon『新月の夜』『影の獄にて』『戦場のメリークリスマス』のネタバレがあります。

 

 

※前回の記事はこちら

nhhntrdr.hatenablog.com

 

 

 

 

The Night Of The New Moon『新月の夜』感想:最終回

『新月の夜』本編は、前回の記事で紹介した部分で終了している。今回取り上げるのは、終章に当たる部分と追記である。

もともと序章では現代が舞台(この作品が1970年に発表されているので、その付近であると思われる)で、著者ヴァン・デル・ポスト卿がテレビ番組に出演した際、広島で原爆に被爆した人がゲストとしてやって来たという話が繰り広げられていた。終章では、またこの場面に戻ってくる。

原爆が日本に落とされたことで結果的に助かった「私」――著者と、原爆によって家族を失った日本人男性が対話をし、相互に理解をするという形で物語は締められている。

 

 

追記では、『新月の夜』が描かれた背景について言及されている。

 

ちなみに『戦場のメリークリスマス』原作の「影さす牢格子」(後述の「種子と蒔く者」と共に『影の獄にて』収録)の発表は1954年、同じく戦メリ原作の「種子と蒔く者」は1963年発表である。ノンフィクション『新月の夜』の前にフィクションである『影の獄にて』が世に出ていたというわけだ。

 

自分にとって大きな体験、受け入れがたい出来事を、自分の中で消化していかないといけないときに、架空の人物に仮託して自身の経験を語り直すというのは、ごくごく自然なことだと思う。『影の獄にて』を読んでいる際に「私」やロレンス、セリエは著者の分身に見えてくるのは、そういうことなのだろう。

著者は日本軍の軍人モリとカサヤマから、『戦メリ』の俘虜のごとく暴行を受け、時には対決もしたりした。モリに関しては、個と個の対峙にまで持ち込むこともあった。だが、決定的な和解には至らなかった。和解しないままモリとカサヤマは戦後、戦犯として刑死してしまった。そこが小骨のように喉に引っかかっていたような感覚があったのかもしれない。だからこそのロレンスとハラ、セリエとヨノイのああいったドラマが生まれたのだろう。

 

私個人の感想でしかないのだが、『影の獄にて』にしても、『戦メリ』にしても、日本軍または英国軍を弾劾することは目的として語られていないと思う。かつて『戦メリ』の感想記事で書いたが、ロレンスの「正しい者などどこにもいない」というセリフがすべてを表していると私は認識している。「自分こそが正しく、相手が間違っている」と信じている限り、不毛な戦いは続く。それこそを、『影の獄にて』や『戦メリ』は危惧しているのだろうというのが、私が受け取った両作のメッセージのひとつである。

 

追記にて、著者は極東での戦争犯罪法廷(the various war crimes tribunals that were set up in the Far East:恐らく東京裁判のこと)への出廷を拒んでいたとある。私なりの要約になるが「自分の中の悪に目をやることなく無反省なままに、自分たちに降りかかってきた不幸を他者のせいにするのが人間の傾向である。我々がやるべきことは他者を裁くことでなく、自分自身の中の悪を取り除くことだ」というのが、著者の見解だ。無論、これは東京裁判で裁く側だった連合国側だけでなく、敗戦国側である日本の人々も持つ必要のある考えとして提示されている。

戦うべきは他者ではなく、自分自身なのだと、著者はジャワの収容所で暮らす中で学んだ。そのことを戦後、「影さす牢格子」にまとめ、後に「種子と蒔く者」でも同じテーマで執筆したのだという。

 

私も著者の考えに賛成である。だからこそ『影さす牢格子』や『戦場のメリークリスマス』に触れるときぐらいは、自分自身を省みるようにしたいと思う。独善的な考えにとらわれたとき、ロレンスの「正しい者などどこにもいない」というセリフに冷や水を浴びせてもらうつもりである。

 

 

「意味のある死」についての私感

さて、終章に話を戻させていただく。ここで著者は被爆した男性に対し、彼の家族をはじめとする原爆で亡くなった方々が、結果的に何十万人もの命を救ったのだと理解してほしいと請う。ここで日本軍が降伏をしなかったら、東南アジアへの侵略に着手し、大多数の捕虜たちを虐殺するという予定があったからだ。

同時に、著者は「救われた者」である全生存者は、「人間の偏りと魂の喪失(one-sidedness and loss of soul)を癒す手段として戦争が用いられないように生きるべき」だとする。「偏り」とは先に述べたような「自己を省みることなく、他者を悪だと断じること」であろう。つまるところ、原爆で亡くなった人々は「人間の偏りと魂の喪失」による犠牲者である。ここで『戦メリ』のロレンスのセリフを思い出す。

あなたは犠牲者なのだ。かつてのあなたやヨノイ太尉のように、自分は正しいと信じていた人々の。

原爆によって亡くなった人々も、「自分は正しいと信じていた人々」による犠牲者となった。彼らの犠牲によって生き残った者たちは、彼らの死に意味を与えることを使命として与えられた。その末に生まれた作品が『新月の夜』や『影さす牢格子』なのだろう。さらには『影さす牢格子』をもとに生み出された『戦場のメリークリスマス』もまた、そこに含まれているはずだ。

 

 

以下は私自身の話になる。いわゆる自分語りである。

『新月の夜』のこのくだりを読んだとき、妙に印象に残ったのは、かつて父に言われた言葉が今でも頭の隅に残っているからなのだと思う。

私の父はぎりぎり戦中生まれである。広島と長崎に原爆が投下された1945年、父はまだ物心つかないぐらいの子どもだった。そして、その頃の父は北九州市の小倉に住んでいたという。8月9日に投下された原爆の当初の目標地点である。だが、結果的に小倉に原爆が落とされることはなかった。

8月9日の第1目標は小倉市でした。しかし、原爆を搭載した米軍爆撃機「B29」が小倉上空に到達すると視界が悪く、投下できなかったのです。視界不良だった理由は前日の空襲による煙のためと言われていますが、小倉に近い製鉄所で当時働いていた人の「煙幕を張った」という証言もあり、原因は諸説あります。B29はその後、長崎に向かい、午前11時2分、高度9600メートルから原爆を投下しました。

 

引用元:1945年の原爆投下 なぜ長崎は米軍に狙われたのか | 毎日新聞

まだ私が幼いときに父からこのことを聞かされた。そして、父は私に「もし原爆が小倉に落とされていたら、お前は生まれていなかったかもしれない」と言ったのだった。

 

今回、改めて調べたら先の引用にあるように、前日の空襲による煙のために視界が悪かったという事実を知ったのだが、私が幼い頃は「その日、小倉には薄い雲が漂っていたから視界が悪く、原爆が投下されなかった」という話を聞いた記憶がある。そのため、私はずっと「薄い雲のおかげで父は助かった」と思い込んでいた。

事実としては「前日の空襲による煙」による視界不良なのだが、少なくとも私の中ではずっと、父を助けたのは「薄い雲」だった。薄い雲が父を助け、私をこの世に生み出してくれた。だが、冷静になって考えてみると、薄い雲一枚で生まれることができなかった命が長崎には多数あったのだ。その薄い雲一枚の差が、重く私にのしかかってきた。今現在は、空襲の煙という形に変わり、相変わらず私にのしかかってきているわけである。

 

そのためか、『新月の夜』のこのくだりは重く胸に突き刺さってきた。著者の使命は他人事ではないのである。

『戦場のメリークリスマス』が好きになったことで、原作の『影の獄にて』にも触れてきた。その流れで『新月の夜』にも出会うことができた。これも何かの縁なのだと思う。

「薄い雲一枚」で生まれることができた身として、私は著者の意志を多少なりとも受け継ぎたいと思う。その一端として、この記事を投下させていただく次第である。

 

 

※関連記事

nhhntrdr.hatenablog.com

 

 

 

 

 

※この記事は、全文無料公開です。ここから先には文章はありません。「投げ銭をしてもいいよ」という方は、「記事を購入」のボタンから投げ銭お願いします。今後の記事作成の励みになります。

この続きはcodocで購入