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映画や本の感想など。ネタバレ全開なので、ご注意ください。

『コーダ あいのうた』に関する雑感

※注意!『コーダ あいのうた』のネタバレがあります。

 

『コーダ あいのうた』について、過去にちょろっと語ったのだが、もう少しだけ語りたくなってきた。

観賞したのがかなり前なので、内容について勘違いしている可能性があるかもしれない。これについては、あらかじめお詫びしておきたいと思う。

nhhntrdr.hatenablog.com

 

 

 

罪悪感

過去に何度か罪悪感についての記事を書いたのだが、本作を見ているときも罪悪感について考えていた。

nhhntrdr.hatenablog.com

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過去記事にて私は「罪悪感を抱くのは苦しいが、罪悪感は人が人であるために必要なものなのではないか」と書いてきたのだが、『コーダ』の主人公ルビーの罪悪感はこれに該当しないなと思ったのだ。

つまるところ、ルビーは「感じる必要のない罪悪感を背負わされている」少女なのである。

 

ロッシ家唯一の健聴者として、ルビーは家族の耳となり、口となり続けた。学校に行くまえに家族と共に漁に出て、漁業組合の集まりでは父や兄の言いたいことを代弁する。自分の夢や心のあり方を後回しにして、ルビーは家族に寄り添ってきた。

年頃の少女が自分の夢に突き進みたいと思うのは自然なことだ。だが、ルビーなしでロッシ家は漁業を続けることができない。夢か家族のために生きるかという選択肢を突きつけられ、ルビーは苦しみ、ついには夢を手放そうとする。

 

この辺りで、やりきれない気持ちになった。「自分がいなければ、父や兄は廃業せざるを得ない」というルビーの罪悪感は、本来なら感じる必要のない罪悪感だ。

ライムスター宇多丸さんの『コーダ』評の中で、リスナーからのはがきが紹介されている。

www.tbsradio.jp

冷静になれば、セリフで説明がある通り、『家族以外の人を雇えばいい』話なのです。賃金の負担が必要なら、それを仕組みとして社会が支えればいいのであって、家族の、しかも子どもに無償労働を強いる社会システムのほうを是正するべきだと、この映画を通して少しでも伝われば、と思います

そのとおり、と読みながら何度も頷いた。健聴者がいないことで父や兄が廃業すること、それによって一家の生計が危うくなることについて、社会がフォローすべきであって、ルビーが自分の人生を捧げるべきではない。なのに、ルビーは家族の廃業の危機に心を痛めるのだ。

 

不必要な罪悪感に押し潰されそうになるルビーを兄が見かねるという展開が良かったと思う。ルビーという耳と口を持ったことで、ロッシ家は完全体でいられた。そんな(ルビーを犠牲にした上での)完全体という状況に疑問を持ち、風穴を開けようとしたのが、耳の聞こえない兄だったというのが良い。

「おまえが生まれる前、俺たち家族は平和だった」といった感じのセリフを兄がルビーに言うシーンがある。最近、ちょくちょく目にするようになった「あなたがいなくても会社は回る(だから無理を押して出勤する必要はない。病気のときは休んでも良い)」という言葉を思い出す。

ルビーの背負った責任と罪悪感は、本来なら背負う必要のないものだ。だが、生まれてから今までの間に体得してきた常識や先入観に気づくのは難しい。責任や罪悪感を手放すという発想すら浮かばないまま、ルビーは自分で自分を縛り続ける。そんな彼女に対する兄の言葉に、私は救われた気分になった。また、古くなった秩序を破ろうとする彼の姿勢を心強く感じたのだった。

 

 

ままならぬ関係だからこそ

ルビーとルビーの家族との利害関係は対立しているわけで、作中では激しいやりとりが出てくる。正直なところ、最初の方ではルビーの気持ちもお構いなしといった彼女の両親にイラッと来たりしたのだが、やがて認識を改めるようになった。

確かに両親もルビーに自分の都合を押しつけていたりはするのだが、彼らにもどうしようもならない事情があるわけで。だから、ルビーは両親の言うことに従わなければならないと言いたいのではない。人間関係の醍醐味って、そこにあるよなぁと改めて感じさせられたのだ。

時々、主人公にとことん甘いつくりの作品を目にしたりするが、その手の作品はどうも苦手だ。例えば三角関係の恋愛もので、フラれるポジションのキャラクターが異常に物わかりがいいような話。勝手に自分の劣勢を感じ取り、勝手に身を引き、時には主人公カップルの仲立ちまでしたりする。「すげーな。あんた、聖人だな」と言いたくなるような当て馬さん、さすがです!

と、茶化して書いてみたが、早い話が「血の通っていないキャラクター」が私はどうも苦手なのだ。「君にも君の利害があるでしょうに、どうしてそんなに主人公の都合のいいように動くの?」と聞きたくなる。そのキャラは主人公のために生きる無私の存在であり、まさに聖人だ。

だが、この世の中、聖人ばかりではない。誰かのために動くことだってもちろんあるが、自分の利害を度外視して生きるなんてできるだろうか。私はできないぞ。

 

なーんてぐちゃぐちゃ書いてしまったが、『コーダ』の登場人物は血が通っていたと言いたかっただけなのだった。

それぞれに譲れないものがあるからこそ、激しい諍いが生じる。衝突を繰り返しながらも、ふと、相手の気持ちを思いやることがある。その一瞬が、とてつもなく美しい。

ルビーの家族はルビーにとって都合の良い存在ではない。彼らには彼らの行動原理がある。それでもなお、小さな理解を積み重ね、お互いを尊重し合えるようになる。その過程が美しい映画だったと思う。