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戦メリ原作者L・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜(The Night Of The New Moon)』を読む【10】

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※注意!The Night Of The New Moon『新月の夜』『影の獄にて』『戦場のメリークリスマス』のネタバレがあります。

 

 

※前回の記事はこちら

nhhntrdr.hatenablog.com

 

 

The Night Of The New Moon『新月の夜』感想⑩

日本軍による捕虜虐殺の可能性が濃厚になってきたということで、「私」は抵抗のために動き出す。とはいえ、日本兵と戦うために必要な武器がない。薪すらないため、果てにはベッドを解体して武器を作ろうかとすら「私」は考えるが、現実的でないということで断念する。

結局、最終的な武器候補となったのが石である。ただ、収容所内には石が無かったため、外から持ち込むしかない。ちょうど雨の多い時期で中庭にいくつもの水溜まりができていたことが幸いした。水溜まりを放置すれば、蚊が繁殖したりと疫病蔓延のリスクが上がる。それを防止するため日本軍は捕虜たちに外出を許可し、石を拾って中庭のくぼみをならすように命じたわけである。おかげで石を集めることができた、という「私」の奮闘が描かれる。

 

武器が集まった後は、いずれ(唐突に)やって来る日本兵たちの襲撃に備えることが必要だ。というわけで「私」は対日本兵のための小隊を6つ収容所内に配置し、夜間は常に誰かが警備するような体制を敷く。

さらに、実際に虐殺が起こった後、外界にこのことを知らせるための伝令役も必要になる。ジャワ島ではイギリス人だと目立ってしまうため、インドネシア人に偽装できる人物が好ましい。だが、候補となるような捕虜集団の中には日本側のスパイが交じっている可能性もあり、パッとは選べない。

 

今まで読んできた部分では、割と淡々とした調子で「私」が収容所内の出来事を語るようなスタイルだったが、ここに来てぐんと物騒な気配が増してきた気がする。『戦メリ』でも俘虜の処遇や名簿を巡ってピリピリする場面はあったが、まだ1942年ということで、決定的な決裂というのはクライマックスまでなかったわけだが、日本の敗戦秒読みとなった1945年では格段に切迫感が上がってきたように感じる。「私」からすれば同胞軍の勝利なのだから喜ばしいはずだが、敵の手中にある状況だと、それがかえって命の危険に変じてしまうのは皮肉と言うべきか何と言うべきか。

 

『新月の夜』から見えてくる『戦場のメリークリスマス』の側面⑩

今回は特に言及することはないのだが、ひとつだけ。石を拾うために収容所の外に出た「私」が石拾いの最中、目の前に広がる景色に目を奪われるシーンがある。この部分の筆致の素晴らしさと言ったらない。『影の獄にて』の中でも特に「種子と蒔く者」での自然の描写が圧巻だったことを思い出す。

若い頃に二度の裏切り行為を犯したことで「無」に囚われたセリエが、その苦しみから完全に解放されたのもまた大自然の中である。また、セリエと主人公の「私」がとある夕方に二人で散歩をするシーンがあるのだが、こちらの自然の描写もまた素晴らしい。

クライマックスにおけるセリエは一人の人間であることを超え、自然と結びついているような風格すら漂わせているのだが、収容所という閉ざされた環境の中で閉塞した心が広大な自然と溶け合った瞬間の美しさというのが「種子と蒔く者」でも『新月の夜』でも十二分に表現されているような気がしてならない。

 

 

(【11】に続く)

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