※注意!The Night Of The New Moon『新月の夜』『影の獄にて』『戦場のメリークリスマス』のネタバレがあります。
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The Night Of The New Moon『新月の夜』感想⑫
前回、「私」がモリと対峙したため、「私」含む捕虜たちが夜までその場で立たされることになったりもしたが(生き埋めにならなくて良かったとは思う)、相変わらず日本軍が敗戦後どのような行動に出るかわからないという危機感は続いている。
もちろん「私」たちはただ外界の状況を想像しているだけではなく、隠し持ったラジオで戦況を探ろうと試みているところだ。だが、ラジオが壊れてしまったため、そうもいかなくなってしまった。
ところで、このラジオをどのように隠していたかが面白い。『戦メリ』では水筒らしきものに仕込まれていたが、ここでは木靴(clogs)に仕込んでいたという。それほどに小型化だったわけである。そもそも収容所内で木靴を使用していたのは、ボロボロになった靴を修理する革が不足し、木やゴムで代用するようになっていたということだ。
せっかくのラジオ木靴も壊れていては意味がない。
そこで【8】で登場したDonaldsonが、日本人司令官が所蔵するラジオの部品を壊れた部品と取り替えるというとんでもない案を出す。
そういうわけでDonaldsonが司令官の部屋に忍び込むくだりがミッション・インポッシブル味があって、淡々とした流れの『新月の夜』の中において、少々異質なシークエンスになっている。個人的にこういった大胆なところが『戦メリ』のセリアズっぽくて、Donaldsonはやっぱり好きだ。*1
かくしてラジオが修理されることになったわけだが、それを待つ間が長く感じられることが「私」によって強調される。
そんな緊張した状況下でも、「私」は捕虜仲間に対して授業を行っていたという。この授業というもののひとつが日本語についてであり、これが捕虜たちの中で一番人気のクラスだったそうだ。日本軍によって捕虜とされ、不当な扱いを受けてきた彼らが、それでも日本の文化に親しもうとしている。彼らの一人一人に『戦メリ』のロレンス的精神が宿っているのだろう。ちなみに授業では源氏物語や枕草子を取り扱っていたとの話である。
捕虜たちが敵である日本の文化に親しんでいたことが描写された直後のことである。日本人将校の部屋(先だってDonaldsonの押し入ったあの部屋である)の近くを「私」が通りかかったとき、イヴォンヌ・プランタンというフランス人歌手の歌が中から聞こえてくるというシーンがある。敵性の文化が忌避されていただろう状況下で、日本人将校がイヴォンヌ・プランタンを聴いているという状況に、読みながら胸が迫る思いがした。
『新月の夜』から見えてくる『戦場のメリークリスマス』の側面⑫
今回はお休みします。
とりあえず『戦メリ』セリアズが好きな人に、『新月の夜』Donaldsonをオススメしたいです。Donaldson、良いですよ。出番少ないけど、出てくると今回みたいにミッション・インポッシブルしてくれるし、イタズラ小僧みたいに笑ったりしてくれます。
(【13】に続く)
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*1:原作のセリエというよりは、やっぱり『戦メリ』セリアズに近い感じがする。ちなみに『新月の夜』が発表されたのは1970年で、『戦メリ』の公開は1983年である