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戦メリ原作者L・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜(The Night Of The New Moon)』を読む【6】

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※注意!The Night Of The New Moon『新月の夜』『影の獄にて』『戦場のメリークリスマス』のネタバレがあります。

 

※前回の記事はこちら

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The Night Of The New Moon『新月の夜』感想⑥

日本軍の情報部で働く朝鮮人からのコンタクトを受けた「私」は、これが日本軍の罠であることを恐れ、実際に彼と接触するかどうかを悩む。今回取り上げる箇所では「私」が思い悩んでいる間、彼がもたらしてくれた情報について描かれている。

 

そのひとつが「私」のいる収容所に、新たに捕虜が送りこまれるという話だ。彼ら捕虜はもともとHaruko島にて飛行場建設のために働かされていた。少し話が逸れるが、作中での説明によれば、この島はアンボン島(ジャワ島の東に位置する)の近くにある小さな島ということだが、Google Mapで調べたところハルク島(Pulau Haruku)という場所があるので、ここのことなのかもしれない。

maps.app.goo.gl

インドネシアの地図を見るとわかると思うが、ジャワ島-アンボン島間の距離は非常に長い。ジャワ島中心地のジャカルタ(旧バタヴィア)からアンボン島までの距離を雑に測定したところ、2,400km弱と出た。彼ら捕虜はこの区間を船に乗せられて移動してくるという話である。

後に「私」のもとに辿り着いた捕虜Blackwoodが、船内の劣悪な状態を語っているのだが、捕虜たちは常に監視され、ろくな水や食料もないという始末。それでなくともHaruko島での飛行場建設で、捕虜たちの多くが死に、運良く生き残った者も恐らく相当に疲弊しているであろうという状況だ。そんな中、過酷な船旅を強いられた捕虜たちがバタバタと倒れていくのも無理はない。死者が出るたびに船から遺体を投げ捨てていたそうだが、投げ捨てた遺体の数が1日に17~27人の割合だったという。

 

何とか船旅を乗り切って収容所に着いた彼ら捕虜の姿を見た「私」は、解放直後のベルゼン収容所における囚人のようだと表現する。ベルゼン収容所はナチスによる強制収容所のひとつで、あのアンネ・フランクが収容されていた場所だ。そのように表現されるほど、Blackwoodたち捕虜は骨と皮ばかりの姿になっていたのだろう。

 

また、悪いことにBlackwoodたちとともに日本軍の人間もやって来た。恐らくHaruko島でBlackwoodたちの看守をしていた者たちが、そのまま「私」たちの収容所の任務にあたるようになったのだろう。

特に最悪だとされているのが准尉のモリ・グンゾウと彼の部下だ。その部下は朝鮮人であり、カサヤマという日本名を名乗っていた。サディスティックな性格と予想不可能な寛大さという矛盾した面を抱えた性格だったらしい(どこか『戦メリ』のハラを彷彿とさせる感じがする)。ちなみに「私」の話によれば、モリたちは戦後、戦犯として刑死したとのこと。そして「私」は、その死について未だに思い悩んでいるという。

Their end has never ceased to haunt me, because in the thick fog of unknowing that enshrouded the spirit of our captors these two, Mori and Kasayama, among all the many extremes of character I met, seemed to me to know the least what they were doing.

 

引用元: Laurens Van Der Post, The Night Of The New Moon (Vintage Classics) (English Edition)

きちんと読解できているか自信がないが、ざっくりと言えばモリとカサヤマは他の日本兵たちのように自分ならざる力によって動かされていたにもかかわらず、「自分たちが何をやっているか」についてわかっていたように「私」には見えていたらしい。だからこそ「私」は彼らの死を忘れることができないというわけだ。

 

 

『新月の夜』から見えてくる『戦場のメリークリスマス』の側面⑥

さて、ふと気がついたので調べてみた。『戦メリ』のクライマックス直前、ヨノイの執務室でのシーンで俘虜たちを退出させた後、ヨノイはハラに語りかける。

ヨノイ「ハラ。三日後に俘虜の半数をハルク島の飛行場建設のために出発させる。その責任者として、行くか」

 

引用元:大島渚『シナリオ 戦場のメリークリスマス』、思索社

先程『新月の夜』本文中のHaruko島はハルク島ではないかと述べたが、飛行場建設の話といい、やはりそうなのかもしれない。

『戦メリ』でセリアズが生き埋めになった後、ハルク島へ向かう俘虜たちが行進しながらセリアズに敬礼をしてみせるシーンがある。あのシーンを見るたびに「俘虜たち=生者」「セリアズ=死者」としての対比を感じていたりもしたのだが、『新月の夜』でのハルク島の話を読んだ後だと、そうも言っていられないような気がしていた。死に行くセリアズに敬意を示していた俘虜たちの多くも、後にハルク島の建設現場やジャワ島への帰路にて亡くなってしまうわけだ。そう思うと、行進する彼らの後ろ姿に何とも言えない気持ちになってくる。

 

とっちらかってしまうが、ハルク島の位置を説明するためにアンボン島の名前が出たついでに触れておきたい。『影の獄にて』収録の「種子と蒔く者」にて、セリエ(セリアズ)はジャワにてゲリラ活動を行った際にアンボン島出身の兵と出くわし、共闘したというくだりがある。とある日の夕方、彼らアンボン島の兵士が大自然の中で讃美歌を歌い出したことで、セリエはそれまで彼自身を苦しめてきた「無(nothingness)」から解放される。そのことを考えると、セリエにとってもアンボン島というのは縁のある地なのかもしれない。

ちなみに原作セリエも『戦メリ』セリアズも、バンタムの奥地にパラシュートで降下し、ゲリラ活動を始めている。

maps.app.goo.gl

 

そして、プラブハンラトゥの港*1からスカブミの中継所を移動する日本の輸送隊を襲撃する。この際に日本兵を殺傷したことで『戦メリ』セリアズは軍律会議にかけられるわけである。

※プラブハンラトゥとスカブミの位置

maps.app.goo.gl

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セリアズ、セリエともにジャジャ・センプールという山にいるときに投降を決め、山を降って日本軍の拘束下に入った模様。「種子と蒔く者」本文によればジャジャ・センプールは、ヨノイたちのいるレバクセンバダも近くにあるようだ。

 ある日の夕方、彼らは美しい谷をのぞむ山の頂に野営をはっていた。スンダの中心地からそこに達するには、道なき道を何マイルも踏破しなければならない。その山はジャジャ・センプール(「矢の先」)、谷はレバクセンバダ(「よく作られたもの」)と呼ばれていた。

 

引用元:L・ヴァン・デル・ポスト著、由良君美・富山太佳夫訳『影の獄にて』、新思索社

ジャジャ・センプールという山自体は調べても出てこなかったのだが、スカブミへ向かう輸送隊を襲ったこと、セリアズがスカブミで投獄されたことから、スカブミ近辺にあるのだろう。

 

またしても雑にバンタムとスカブミの距離を測定してみた。直線距離にして約116km。ただでさえこれだけの距離は嫌になるというのに、この場合は原作にある通り「道なき道」だし、山の中だしで、相当に過酷な道程であっただろうことは想像に難くない。

 

なお『大島渚全映画秘蔵資料集成』(大島渚プロダクション監修、樋口尚文編著)によれば、『戦メリ』脚本の第一稿ではセリエの投稿シーンから始まっていたとのことである。ジャジャ・センプールに見立てた山をバックに大自然の中から現れるセリアズの姿も、それはそれで見てみたかったと個人的に思ってしまうのだった。

 

(【7】に続く)

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*1:個人的にプラブハンラトゥに着いた兵站というのはどこから来たのかも気になる。『戦メリ』にてセリアズが輸送隊を襲撃したのが昭和17年10月16日。この時期に日本の勢力下に入っていた場所なのだろうが、軍事には詳しくないので今回は保留しておくことにする。

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