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『あんのこと』感想(ネタバレあり)

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※注意!『あんのこと』のネタバレがあります。

 

 

映画『あんのこと』公式サイト|2024年6月7日(金)全国公開

 

精神的にキツい作品だった。間違いなく素晴らしい一作だし、観て良かったと断言できるのだが、もう一度観るのには戸惑いがある、みたいな。帰宅後も『あんのこと』を考えると心が暗くなったし、衝動的にYouTubeで『不適切にもほどがある!』の純子ちゃん*1のショート動画を見まくったりもした。

 

あくまでも私がこの作品をどう受け取ったかということを述べさせていただくと、「超ウルトラハイパーメガトン級親ガチャ外れ映画」である。それぐらいに、主人公・杏(あん)とその母親との関係性に胸を抉られた。この日本で生きていく上で、杏はマイナスの地点からスタートさせられた。責任感もなく、目先の快楽ばかり求める母親によって、暴力を振るわれ、幼い頃には万引きを、12歳以降は売春を強要されてきたという、壮絶な人生を送ってきたのが杏である。

個人的に、母親が杏のことを「ママ」と呼んでいるところにギョッとさせられた。最初は「杏」と聞き間違えたのかな?と思おうとしたのだが、それでも「ママ」としか聞こえない。やがて、杏の口からそれが間違いでないことを知らされ、そのグロテスクさにげんなりさせられた。幼い頃から杏は母親によって、従属を強いられる「娘」であり、母親をやさしく包み込む「ママ」でもあることを強制されてきた。そう考えると、吐き気を覚える。物語序盤の杏が痛々しいぐらいに生気がないのも、この母親によって心身共に搾取されてきた結果なのだと思ってしまう。

 

それでも周りの人の支えによって母親のもとを飛び出し、ようやく自分の人生を歩むようになった杏が、どんどん生き生きとした姿を見えるようになる。ただ、杏が幸せな姿を見せれば見せるほど、冒頭に提示された「この作品は実際の事件をもとにした」という文言が、見ているこちらに重くのしかかってくる。現在の杏の生活はいずれ、何かしらの形で破綻するのだと約束された状態で、徐々に歩み寄ってくるコロナ禍の気配に怖気を感じさせられる。

 

だからこそなのか、終盤で母親が再登場したとき、「だと思ったよ」と舌打ちしたい気持ちになったし、それでも杏への被害は最小限に留まってほしいと願ったりもした。杏の好きな祖母をだしに、また帰ってくるように迫る母親。その懇願に揺れている杏の姿を見て、できることならスクリーンの向こうに行き、「そんな話、聞く必要ない。無視して。今すぐ警察なり管理人なり、第三者を呼んで。この母親を追っ払って」と言えるものなら言いたい気分になった。そもそも、祖母がコロナにかかったかもしれないこと*2も、保険証がないから病院に行けないということも、杏がどうにかして解決できる話ではない。しかし、杏は実家に向かってしまうのだ。

そもそも杏は幼い頃から、「○○しろ。○○しなくて××な結果になったら、お前のせいだ」と言われ続けてきたのだろうと推測できる。杏が実家を飛び出すとき、母親が言ったのが「ばあさんが餓死したらお前のせいだからな」という言葉だ。第三者からすると、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。杏が飛び出してもなお、五体満足な母親がいるじゃないか。杏は「お母さんがおばあちゃんを支えればいい」と言えばいいのだ。しかし、幼い頃から「○○しろ。○○しなくて××な結果になったら、お前のせいだ」とプログラミングされた杏は、すべてのことを自分のせいだと引き受けてしまう。

 

これは完全に、私個人の思い込みに過ぎないのだが、隼人に対して母親があんなことをしたのは、杏という「ママ」を盗られたことへの嫉妬が根底にあったのではなかろうか。ひとりで生きていく強さもない母親は、杏を捜し続ける。まるで「ママ」に捨てられた迷子の子が、必死でその背中を追いかけているような。しかし、再会した「ママ」には子どもがいた(違うんだけどね)。隼人の姿を認めた母親が怒りを見せているのは、そういった嫉妬や見捨てられ不安があるように思えてならない。

斯様に杏の母親もまた、弱者である。貧困であることもそうだが、常に誰かに依存し続け、自分の弱さや不安を誰かに押しつけないと生きていけないという弱者なのである。その弱者が、杏という他者に抵抗することを知らずに育ってきた弱者を搾取する。グロテスクな悪循環だ。

母親と再会するまでは良い循環の中にいたのに、と歯がみしたくなる。誰かに支えられた杏が、今度は誰かを支え、喜んでもらうことの喜びを知る。生気のなかった杏は、その喜びによって表情豊かな人間へと生まれ変わったというのに。

 

最後、杏の遺骨が母親に手渡されたという話に、力が抜ける気がした。あれだけ、杏は自分を搾取する存在から抜け出そうと頑張っていたのに、最後に行き着いたのは、また母親のもと。

ただ、ひとつだけ希望だと言えるのは、紗良・隼人親子の心の中に杏が残ったということである。遺骨という肉体は母親のもとに留められたかもしれない*3が、杏の魂は彼女が支えた人たちの中に残っていると思いたい。思わせてほしい。

 

 

観賞後の勢いで書いたため、多々羅と桐野に全く触れることができなかったが、今回はこの辺で。

 

※余談だが、杏が掴みかけていた「誰かに支えられることで、今度は誰かを支える」という好循環が描かれたのが『夜明けのすべて』だと思っていたりもする。

nhhntrdr.hatenablog.com

 

 

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*1:主演・河合優実さんが『不適切にもほどがある!』演じていた役

*2:これも嘘だったらしいことが後々見て取れるのが、また何ともやりきれない

*3:しかし、この母親も以降はどうすんのかね?杏という「ママ」を失って、もう縋ることのできる存在が、その場その場で出会った男性ぐらいしかいないと思うのだが。杏の母親は好きになれないが、彼女もまた行政からの援助が必要な弱者ではあると思う。

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