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『夜明けのすべて』感想(ネタバレあり)。この作品に出会えたことに喜びを感じる

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※注意!『夜明けのすべて』のネタバレがあります。

 

 

映画館から帰ってきた直後に、この記事を書いている。

嬉しい。こんな作品に出会えて、映画館で観ることができて、本当に嬉しい。何が良かったかをひと言で言うのは難しいけれど、観ている間、とても幸せな心地だった。心が洗われるような気がしたし、作品内に満ちている優しさに何度も泣かされた。

 

主人公の藤沢さんと山添くん、両者とも今風に言うところの「生きづらさ」を抱えている。

藤沢さんは普段は優しくて気の利く子なのに、PMSが始まると、イライラが制御できなくなり、ちょっとしたことで怒りを爆発させてしまう。新卒として入った会社で上手く行かず、精神的に追い詰められて退職。今は中小企業の栗田科学で働いている。

山添くんは二年前にパニック障害を発症。恐らくそれまでは大企業で勤めていたようなのだが、電車に乗ったりすることもままならなくなり、栗田科学への転職を余儀なくされる。

 

序盤、藤沢さんが前職で上手く行かず、ボロボロになる様子が描かれる。PMSにより上司の前で怒りを爆発させてしまうし、その日の帰りは雨の中にもかかわらずベンチで寝そべり、警察官から声をかけられてしまう。通っている病院に困りごとを訴えても、事態は改善しない。気持ちを落ち着けるための薬を処方されるも、副作用の眠気によって仕事中に寝てしまい、そこを仕事仲間に発見されてしまう。いたたまれなくなって退職した藤沢さんが、見ていてもう辛い。胃が痛い。

きちんと仕事をしたいという気持ちはあるのに、自分の体が許してくれない。本来は人一倍気遣い屋なのに(転職エージェントの人と喫茶店に行ったときの彼女の挙動に注目してほしい)、PMSのせいで台無しになってしまう。自分のものであるはずなのに、ままならない自分の体。それによって入社数ヶ月の会社を辞めざるを得ないという絶望感。それから数年後、栗田科学で働くようになった藤沢さんが、優しくて気の良い上司や先輩たちに囲まれている姿を見て、まずホッとした。

女性の上司・住川さんが特に良い。PMSで仕事中に癇癪を起こした藤沢さんは後日、迷惑をかけた職場の人たちへの感謝とお詫びのために和菓子を買ってくる。そのとき、住川さんが藤沢さんにこんな感じのことを言うのだ。

「そんなに気をつかわなくていいのよ。これ(迷惑をかけたときに、お詫びとしてお菓子を買って配る)がルールになっちゃってもいけないから。…でも、あたしここのお菓子大好きなの。ありがとう」

何だろう、この完璧さ。今後も仕事中にPMSを発症するであろう藤沢さんに対し、過度に卑屈にならないように諭しつつも、今回お菓子を買ってきてくれたことには喜んでくれる。藤沢さんが癇癪を起こした最中も、背中を撫でてくれながら寄り添ってくれていたし、さながら菩薩のようである。

と、このくだりを書くため、住川さんの名前を調べようとパンフレットをペラペラめくった先で驚いた。栗田科学の人たちは社長しか取り上げられていないんじゃないかと、あまり期待していなかったのだが、しっかり住川さんの紹介が載っていたし、さらには作品中で書かれていない彼女の経歴までが記載されていたのだ。これだけ菩薩だったのにはきちんと理由があったのだと納得できる、この半生。住川さん以外の人物にも、きちんとそれまでの経歴が設定されているようなので、この記事を書いた後にじっくりと読みたい。

 

話が逸れてしまったが、そんな優しい人たちに支えられた藤沢さんは、同じ会社の山添くんがパニック障害で悩んでいることを知り、徐々に彼を支えるようになっていく。PMSに苦しんで一度は社会から脱落しかけた藤沢さんが栗田科学という止まり木を見つけ、周りから支えられたことで、今度は藤沢さんが山添くんを支える側へと回っていく。この循環が素晴らしい。

 

当初は藤沢さんにも栗田科学の人たちにも心を閉じていた山添くんが、徐々に心を開いていく。その大きなきっかけとなるのが、仕事中にパニック障害を起こした山添くんを心配した藤沢さんが、彼の家まで訪ねるシーンだ。パニック障害ゆえに美容院に行けず、伸び放題になっていた髪を自分で切ろうとしていた山添くんに対し、藤沢さんが散髪を申し出る。とはいえ、藤沢さんも髪を切ることに関しては素人で、恐る恐る山添くんの髪にハサミを入れる。だが、切りすぎてしまったことに気付いた藤沢さんがうっかり声を上げ、不安になった山添くんが慌ててスマホで該当の箇所の写真を撮り、確認する。「これは酷い」と山添くんは笑い出し、やがてその笑いは腹を抱えるレベルの笑いへと転じていく。

この場面を見て、涙が止まらなくなった。パニック障害のため仕事に挫折し、転職先の会社には愛着心が持てない。電車に乗れないから、行動範囲も限られる。生きることに意味を見いだせず、心を閉じていた彼が見せた、弾けるように笑う姿。一方で、藤沢さんは本当に申し訳なさそうに謝り倒しているのが、また可笑しい。

髪は怨念が宿ると言われる。勿論、科学的な根拠などはないから、私も信じてはいないが、少なくとも山添くんの伸びた髪はパニック障害で苦しんでいる期間の蓄積でもある。それを思いがけずバッサリと切られるという、ある意味荒療治のようなこの出来事。だからこその山添くんの大爆笑なのだと思うと、抱え込んだ苦しみから解き放たれたような山添くんも、そのことに気付かずに申し訳なさそうにしている藤沢さんも、どちらも愛おしくなる。

 

さて、この出来事がきっかけで、山添くんが今度は藤沢さんを支え始めるようになる。PMSで癇癪を起こす藤沢さんを上手く誘導して、意外な怒りのぶつけ先を与えるくだりはユーモラス溢れていて、見ていて楽しかった(映画館内でも笑い声が起こったぐらいだ)。

 

誰かから支えられることで、今度は自分が誰かを支える側になる。この優しい循環の舞台となる栗田科学だが、この優しさが偶然のものではない。社長の栗田自身、弟を自殺によって亡くした過去を持ち、今もグリーフケアに参加しているのだ。痛みを知る栗田が経営する栗田科学という止まり木。そこで傷ついた翼を休めた藤沢さんや山添くんが、今度は誰かの栗田科学的存在になっていく。

冒頭、藤沢さんは雨に打たれている。会社で癇癪を起こした後、自暴自棄になってベンチに寝転がっているが、誰も助けようとしない。ひたすらに孤独な姿を見せていた藤沢さんが、彼女の最後のシーンでも雨に打たれている。だが、その姿には孤独さや卑屈さはない。自分も誰かの支えになれるという確信のもとの強さが滲み出ている。

 

ラストシーンは藤沢さんではなく、藤沢さんが去った後の栗田科学の光景で締められる。傷ついた人たちが栗田科学という止まり木で羽を休め、何らかの形で新しいスタートを切る物語だと思うと、このラストシーンなのにも納得がいく。

陽だまりの中で昼休みのひとときを楽しむ栗田科学の人たちの姿を眺めながら、改めてこの映画に出会えて良かったと改めて感じた。

 

※優しさの循環を描いた話というと、こちらの作品も好きだ。

nhhntrdr.hatenablog.com

 

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