まず最初に。
今回は日向坂46の楽曲について言及していますが、楽曲やメンバーを批判する意図は一切ありません。そういうわけで許してください。
ちなみに日向坂では高橋未来虹ちゃんが好きです。
現在は引退したが、一時期「ユニゾンエアー」というソシャゲにハマっていた。欅坂46、櫻坂46、けやき坂46、日向坂46の楽曲を扱った音ゲームである。
「ユニゾンエアー」に限らず音ゲーをしたことがある人ならわかってくれると思うが、この手のゲームはイベントが大変だ。イベント期間に突入すると、とにかく課題となった曲をひたすらプレイしてクリアポイントを積み上げていく。大体のゲームが累計ポイントに応じて報酬をくれるからだ。もちろん、ポイントは多ければ多いほど報酬も豪華になる。
それゆえに、とにかく譜面を叩く。何度も何度も同じ曲を叩く。一応、イベントの課題曲は複数曲用意されていたりはするが、何十回何百回プレイが必要な状況では焼け石に水だ。イベント期間中の脳内はわずか数曲の歌を聴きまくり、脳細胞の隅々まで課題曲が刻み込まれていくのだった。こうなると、ゲームを離れている時ですら脳内で課題曲がエンドレスリピートされる状態となる。
とにかく音ゲーのイベントは、できるだけ多い回数のプレイが求められる。だからこそ、自然と各楽曲の長さを気にするようになってしまう。当たり前だが1分半の楽曲と3分の楽曲では効率に差が出てくるわけだ。だから複数用意された課題曲の中、できるだけ短い時間のものを選ぶことになる。
ただ、ミッションで長い時間の楽曲を複数回プレイすることを求められることがあるし、そもそも課題曲がすべて3分超えのものだったりすることもある。そんなとき、私は軽く地獄を見るのだ。
さて、いつだったか覚えていないが、そのときの私は日向坂46の「ホントの時間」の周回を余儀なくされていた。「ホントの時間」の長さは3分40秒*1。曲自体はとても可愛らしいものなのだが、音ゲーで繰り返しプレイするには修羅な時間の楽曲だ。
何度も何度も譜面を叩くうちに、私の心は荒んでいく。精神がすり減ると、徐々に人の心は汚らしくなっていくものだ。今思うと日向坂のメンバーに対して失礼なことこの上ないのだが、「あかん、長すぎるやろ。勘弁してくれや」と、そのときの私はぶつぶつ呟いていた。呟き続けた挙句、遂には楽曲そのものにも難癖をつけ始める始末だ。
「だいたいこの歌詞だって回りくどすぎる。『相手が好き』ってひと言で済む話やんけ。それを3分以上もかけるなんて」
今になって思う。何と無粋なことを考えていたのだろうか。あの頃の私に言ってやりたい。それが芸術というものだろう。ひと言で済むメッセージを何分もかけて表現するのが歌だ。数時間かけるのが映画だ。何十ページも何百ページも(ときには何冊も)かけるのが小説だ。
そう考えた上で「ホントの時間」の歌詞を見直してみると、「好き」という単語を入れずに、ここまで相手への恋心を表現できている詞に圧倒される。
一時期は「秋元康の曲なんて」と偏見を抱いたりもしていたが*2、欅坂が気になったのをきっかけに色々と聞いてみたら、メロディはもちろん、詞の内容にも惹きつけられることが多かった。特に欅坂46の「誰がその鐘を鳴らすのか?」の歌詞には、要所要所で生き方の指針を与えてもらっている気がする。
たったひと言で済むことが、見せ方次第で何千何万の通りの作品になるのだから、やっぱり芸術って素晴らしいよなぁと思ったりしたのだった。