※注意!The Night Of The New Moon『新月の夜』『影の獄にて』『戦場のメリークリスマス』のネタバレがあります。
※前回の記事はこちら
The Night Of The New Moon『新月の夜』感想⑤
徐々に戦局は日本の劣勢へと傾いていく。収容所内での捕虜たちは収容所内での自分たちの処遇が改善されるのではないかと期待しているが、「私」は前回の記事で取り上げた理由により、逆に危険を感じるようになる。
そのため「私」はNicholsと協力して、情報収集に当たる。中でも日本軍の軍事情報を得るのに重宝していたのが『戦メリ』でも出てきたラジオだ。これは若手の将校たちによって作られ、使用されていたとのこと。『戦メリ』でのラジオも水筒(?)に擬態させたものだったが、あれも捕虜の手製だったゆえか。『戦メリ』でラジオが発見された際、持ち込んだ犯人とされたロレンスとセリアズが処刑されそうになるといったくだりがあるが、『新月の夜』でも似たような出来事があったことが示唆されている。
おかげで「私」は戦局を把握できたわけだが、日本の敗北が現実味を帯びてくると共に、日本軍が捕虜を巻き込んで自決するのではないかという可能性に怯えることになる。「私」が感じているのは、日本人に対して自決に変わる「名誉ある」選択肢を与えることの必要性だ。
そんな「私」のもとにある日、日本軍の情報部で働く朝鮮人から連絡を取りたいとの伝言が舞い込む。これが敵の罠であれば、日本兵によって惨い目に遭うことは確実ゆえに、「私」は話を受けるかどうか思い悩む。
『新月の夜』から見えてくる『戦場のメリークリスマス』の側面⑤
『新月の夜』における「私」が作者ヴァン・デル・ポストであることは想像に難くないが、『新月の夜』や「影さす牢格子」「種子と蒔く者」における日本人像の深さには恐れ入る。正直なところ、日本人である私は日本人のことや日本人の行動原理について、そこまで突っ込んで考えたことはなかった。ましてやヴァン・デル・ポストは日本軍と戦い、収容所にて虐待も受けた身。理解不能な野蛮人とひとくくりに捉えても何もおかしくないにもかかわらず、何が彼ら日本人を突き動かしているのかを分析する。
この姿に、どれだけ暴行されても個々の日本人を憎もうとしなかったロレンスの姿が重なってくる。「罪を憎んで人を憎まず」とは言うけれど、実際には難しいこのことを、極限の状況に置いても「私」やロレンスは実践した。だからこその美しさが『戦メリ』や『影の獄にて』には存在するように思う(『新月の夜』はどのような展開になるかわからないので、いったん保留にしておきたい)。
(【6】に続く)
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