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戦メリ原作者L・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜(The Night Of The New Moon)』を読む【7】

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※注意!The Night Of The New Moon『新月の夜』『影の獄にて』『戦場のメリークリスマス』のネタバレがあります。


※前回の記事はこちら

 

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The Night Of The New Moon『新月の夜』感想⑦

「私」とコンタクトをとりたがっている朝鮮人についての話が続く。彼の存在が日本軍の仕掛けた罠であることを恐れつつも、彼がもたらす有益な情報を得ている「私」だったが、なぜ信頼性が曖昧なまま長期間彼と付き合い続けることができたのかについての理由が述べられる。

その理由は三つあるのだが、個人的に興味深く感じたのは、彼の名前がキムであることを「私」がいたく気に入ったというくだりだ。というのも「私」はかつてラドヤード・キプリング*1の小説『少年キム』を愛読しており、彼の名前を聞いたときに『少年キム』のことを思い出したというのである。

極限の状況下において、誰を信じれば良いのかもわからない。信用できそうな相手はいるが、それでも罠だという可能性も拭いきれない。そんなとき、その相手にかつて愛した作品と紐付く何かがあるとわかったとしたら。「ばかばかしいと思われるかもしれない」と本文でも書かれているが、何となくその気持ちはわかる気がする。私は幼い頃、ブライトンの『おちゃめなふたご』シリーズを愛読していて、特にイザベルというキャラクターが好きだった。もし私が「私」と同じような状況に放り込まれたとき、例えば看守の名前がイザベルだったら、何か親しみを感じるかもしれない。彼女が他の名前であれば、優しくされたとしても「何か裏があるんじゃなかろうか」と思うところを、イザベルという名前だったからというだけで、格段に大きな安心感を覚える。そんな気がしたりもする。

 

そういうわけでキムから「私」への情報伝達は長期間にわたって続いたのだが、1944年にもなると、キムの様子に変化が現れる。日本軍の内部で敗戦の色が濃厚になってきており、険悪なムードが流れているという。「私」がかつて恐れていた、日本軍が捕虜もろとも玉砕するのではないかという可能性が高まってきたわけである。

1945年5月のドイツの降伏で、その恐れは一層高まっていく。キムから、「私」はテラウチ(恐らく寺内寿一のことだと思われる)が部下に対し、連合国の捕虜になるよりは、ハラキリをしろと命じたとの情報を得る。所謂「生きて虜囚の辱めを受けず」というやつである。

 

『新月の夜』から見えてくる『戦場のメリークリスマス』の側面⑦

以前『戦メリ』の記事にて、日本人は「恥」を重視し、西洋人は「罪」を重視しているのではないかということを書いた。

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『戦メリ』において、ハラは「生きて虜囚の辱めを受け」ているロレンスたちに「恥を知れ」と罵る。これほどに当時の日本軍の人間にとって、恥とは重大なものだったのだろう。『新月の夜』でも敗戦を予感するようになった日本軍の内部で自決という選択肢が生じてきている。

同時に『新月の夜』では、日本軍の人間が計画している捕虜も巻き込んだ自決の原因を歴史に求めている。かつて「私」は、何世紀もの間にアジア人の中で積み上げられてきた西洋人への怒りこそが、日本人が捕虜に対して過度な虐待を加える理由なのではないかと考察していた。

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今回取り上げた箇所でも「私」はアジア人の復讐を予感する。積年の怒りによって、日本軍の人間は捕虜や支配地域の人々の命を巻き込み、自滅しようとしているのではないか、というわけである。

 

この部分を鑑みると、『戦メリ』におけるクライマックスシーンも少し違って見えてくるような気がする。今まで私は『戦メリ』記事で「日本的な自分と本来の自分の間で思い悩み、にっちもさっちもいかなくなった末にヨノイは狂った」と書いてきたのだが、クライマックスにおけるヨノイやその他日本兵の狂いっぷりには、ヨノイ個人の葛藤だけではなく何世紀にもわたって積み重ねられてきた自分たち民族の怒りも関わっていたのではなかろうか。

そうなると、大島監督がインタビューで言っていた言葉が、より重くのしかかってく療な気がする。

 で、僕のトータルな映画のイメージとしては、やはりヨノイも一種の日本の"神"であるし、ハラもまた"神"なんですが、その神には、西洋合理主義だけでは抵抗できないわけで、そこでセリエというもう一人の神というか、異神というか、異国の神が登場することによってドラマが起きる、そのぶつかり合いがとても面白い、という風に感じたんですよね。

 

引用元:WOWOW「ノンフィクションW」取材班『『戦場のメリークリスマス』30年目の真実』、東京ニュース通信社

このインタビューを読んだときはヨノイ、ハラは当時の日本人の典型例をキャラクター化したものだという話だと捉えていたのだが、『新月の夜』の内容を踏まえてみると、本当にヨノイとハラは「日本の"神"」として生み出されたキャラクターなのかもしれないと思えてきた。となると、もう一人の神として生み出されたセリエ(セリアズ)が原罪を背負ったキャラクターだというのもむべなるかなといったところか。

 

(【8】に続く)

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*1:その他、代表作として『ジャングル・ブック』がある。

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