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映画版『ディア・エヴァン・ハンセン』感想4回目。コナーを自殺に追いやったのは何だったのか。

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※注意!映画版『ディア・エヴァン・ハンセン』『アナと雪の女王』『アナと雪の女王2』『JOKER』のネタバレがあります。

 

今回は、前回の記事で取り上げきれなかったコナーの自殺について考えてみようと思う。

nhhntrdr.hatenablog.com

 

この記事で「エヴァンは本編中に殻を破ったが、コナーは破りきれずに自殺に至った」と述べたが、二人の結末を分けたのは何だったのかについては考えがまとまらず、保留にしていた。

 

 

 

絆というもの

現時点で私としての解釈は「他者との絆があったかどうか」である。「うわ、絆とか言ってきたよ。絆なんて胡散臭い、きれいごとじゃないか」と思われたかもしれないが、もう少し説明させてほしい。

 

ここで言う絆とは、「相手と深く踏み込んだ対話を交わし、和解に至った後に築かれるもの」である。

深く踏み込んだ対話とは、自分の暗部をさらけ出すことであり、相手の暗部を受け入れることだ。

ここで河合隼雄氏の文章を引用させていただきたい。

 二人の人間の対話が真に建設的なものとなるためには、お互いが他に対して自分の影を露呈することがなければならない。しかし、これは極めて難しく、成熟した「時」を待って初めて可能なことである。不用意に露呈された影に対して、相手が攻撃の剣をふるうならば、それは必殺のものとなるであろう。あるいは、それを背負う決意をもたずになされた影の露呈は、そのなかへのセンチメンタルな埋没をさそい、二人は暗黒の世界に沈むことになるであろう。

 

引用元:河合隼雄著『影の現象学』、講談社

 

下手をすると殺し合いになりかねない深さと激しさだ。こんなレベルの交流を誰とでも交わしていると、我々の精神力はもたない。「表面上だけの関係」というものはとかく揶揄されがちだが、平穏に社会生活を送っていくに当たって必要不可欠なものである。

だが、身近にいる、本当に理解し合いたい人との関係では、絆の構築が必要だ。絆があるかないかが、「表面上の関係か否か」を分けるものなのだと思う。

 

 

エヴァンとコナーを分けたもの

エヴァンは母ハイディと絆をつくりあげた。その上でハイディの存在が、井戸に潜るエヴァンにとっての命綱となったであろうことは想像に難くない。

 

そして、コナーだ。彼については前回の記事に引き続き、「本来は良い子であったが、大人の事情を汲んでいるうちに限界に達し、暴発した」という妄想のもとで考えてみる。

コナーは他者との絆を築けなかった。彼は一方的に自分の怒りを示すことでしか他者とかかわることができなかった。絆の構築は、「俺の(私の)考えを聞いて!」と叫ぶだけでは実現できない。きちんと相手の考えも理解する必要があるし、そもそも相手に対話しようという姿勢がなければ、ただのひとりよがりに終わってしまう。コナーの態度では、相手が怯んでしまい、深い関係へと発展しないのは当然だ。

 

ゾーイも父ラリーも、コナーの怒りによるコミュニケーションを受け止めきれなかった。母シンシアはコナーに対して優しいが、すさんだ彼のケアについては、的外れなものばかりを一方的に選んでいたような傾向を感じる。

コナー自身が他者との対話方法を知らず、また周囲もコナーと対話する覚悟や度量が持てなかった。悲しきミスマッチにより、コナーは自殺へと至ってしまった。

 

オタキングの岡田斗司夫氏が自身の動画で『アナ雪』のエルサを『JOKER』のアーサー(ジョーカー)と比較し、「『JOKER』はアナのいなかったエルサの運命を描いた映画」と述べている。これについて「なるほどなぁ」と思うと同時に、エヴァンとコナーの違いにも通じているのではないかと思ってしまう。

金ローが10倍面白くなる『アナと雪の女王2』予習&テーマ解説 エルサとジョーカーの境界 - YouTube

※20:27~参照

 

劇中歌「You Will Be Found」「The Anonymous Ones」でも、孤独から脱出することの大切さが歌われている。エヴァンにとってのハイディ、エルサにとってのアナのように、誰かと絆を結ぶことは必要だ。だが、それをいかに構築するかという汎用的な方法はやはりない。人の数だけ、人間関係の数だけ、答えがある。血を流すような思いを経て、ようやく見つかるものなのだと思う。

 

 

最後に

コナーはもうひとりのエヴァンだ。周りから逃げ続け、他者と深い絆をつくらなければ、エヴァンも同じ運命を辿ったのかもしれない。

他者との対話は辛く、苦しい。ときには再起不能の深手を負うこともある。それでも、古い自分の殻を破るには、象徴的な意味で血を流すほどの対話が必要なのだろう。下手をすると死に至る可能性すらあるいばらの道。それでも絆という命綱を手に、道を見失わずに進んだ先に、得がたいものが待っているのではないだろうか。

 

 

 

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